海外の葬送事情

タイ

仏教徒は墓をつくらず散骨 長い葬儀の後、骨は抜け殻


                        面川裕香(出版社「めこん」編集者)    

 タイに滞在していた7年間に、いくたびか葬儀に参列した。死を看取った知人の葬儀もあったし、一度も会ったことのない人の葬儀もあった。

 タイは国民の90パーセント以上が上座部仏教(いわゆる「小乗仏教」)徒である。参列した葬儀は、それぞれに少しずつスタイルは違うが、基本的には上座部仏教のスタイルであった。ほかに土葬のイスラム教式・キリスト教式や土葬・墳墓の華僑式などもあるが、ここでは一般的なタイの仏教徒の、志望から火葬までについて順に述べていこうと思う。

死亡当日、先ずは防腐処理

 死亡が確認された後、警察へ「いつ、どこでどのような状態で死亡したか」を届け、死亡証明書を発行してもらう。その後、市役所へ死亡届を提出し、遺体の火葬許可証の発行を受けた上で、葬儀の準備に取りかかる。

 当日中にもう1つしなければいけない大切なことがある。それは遺体に腐敗防止剤を注入し、腐敗を防止することだ。タイでは身分の高い人ほど死亡後火葬までの期間が長い。王族などの場合は、死亡した1年後に葬儀・火葬を行うこともあるほどである。一般人でも100日ぐらい自宅に遺体をおいて祀っていることも少なくない。その間、遺体をきれいな状態で保っておくために丁寧な防腐処理、いわゆるエンバーミングが行われる。

 この防腐処理は、漢方やケミカルな薬品などを使ったタイ独特のもので昔から行われている。専門の試験があり、合格者には医師と同等の資格が与えられている。目張りを張った部屋でほどこされる。

 防腐処理を必要とする期間が終わり、自宅安置の期間が過ぎると葬儀の準備が始まる(自宅安置される期間については個人差があるので、ここでは記述を省略する)。

寺に運び込んで始まる葬儀

 

 早朝、僧侶が自宅に来て遺体の手首に綿の紐を結び、その紐を引き先導しながら葬儀を執り行う寺院まで運ぶ。ここからが儀式の始まりである。日本の通夜にあたるものはない(が、後述する最終日前日の葬儀がとても長く、終わる時間が夜の8時9時になることも珍しくない)。

寺院
葬儀を行う寺院

 運んだ遺体は寺院の中にある葬祭準備所で棺桶に移し、もう一度化粧を施し、最後にランの花(ランは葬儀において日本の菊の花のような使われ方をする)で遺体をおおう。それから寺の祭壇の中に棺桶を入れ、葬儀が始まる。

 10時頃4人の僧侶が来て祭壇の横に座る。最初に喪主が仏陀に対して線香を供え、次に遺体のある祭壇に向かってお線香を供える。それから読経が1時間ほど行われ、その後喜捨と供物を僧侶に奉げる。僧侶が祭壇から降り、庫裏に戻った後に日本の「精進落とし」のように、参列者に対して食事が振舞われる。お粥を出すことが多いようだ。

 この料理に仕出し・出来合いのものを使うことはあまりなく、家族・親戚が自分たちで作ることが多い。また、日本では近所の者が手伝いに行くが、タイの葬儀は親類縁者だけで執り行う。

初日と同じ事繰り返す数日間

 翌日から1日目と同じことを繰り返す。この繰り返しの日数が長いほど身分が高い、または財力があるということを表すことになる。

 葬儀の日数は必ず奇数なので、繰り返しの終了日は3日目、5日目…という風に奇数になる。

その後に来る荼毘の日

 タイの葬儀において、この日が一番重要である。遺体を荼毘に付す日だからである。

 日本のように葬儀と火葬は別の場所ではなく、火葬も寺でおこなう。たいていの寺には火葬場がしつらえられており、葬儀の後にバス等で火葬場へ移動することはない。

僧侶
祭壇の横で読経を始める僧侶たち

 この日は朝10時ごろ9人の僧侶が庫裏からやってきて祭壇に上がり、一番えらい僧侶のリードで読経が始まる。手にはうちわのような道具を持っている。お経はタイ語ではなく、インドから伝わったパーリ語。読経は2時間程度続く。昼食時には料理を供物し、しばし休息いただいた後に、もう一度午前中と同じ事をおこなう。午後の読経が終わると1日目同様、喜捨と供物を奉げる。

 9人の僧侶が帰った後、高僧が「人生について」「死について」などの哲学的な講和を参列者におこなう。仏教用語のたくさん入った難しい話もあるが、多くは「人には親切にしなさい。特に貧しい人や困った人に対して寄付をして功徳を積みなさい」というような内容のものである。これが30分ぐらい続く。

 講話が終わるといよいよ火葬である。自宅から遺体を運び出した僧侶が先導し、綿の紐で引いて火葬場の周りを3周する。これには極楽への道を作るという意味がある。この後、遺体を焼却場に運び込む。

 なお、日本人の感覚での「葬儀」「通夜」は、この後から始まるといってもいいかもしれない。仕事関係者やそう近しくない知人は、火葬をするこの日の葬儀に参列することが多い。日本同様、黒い服を着て参列するが、ネクタイは必需品ではない。また、暑い国ゆえ、女性は日本のように黒ストッキングを履かず、素足に黒いサンダルを着用することも多い。香典は500バーツ(1500円)程度が一般的である。ちなみに、日本では香典の数倍を渡すと思われる結婚式のお祝い金は、タイでは同額かそれ以下である。この比較でタイ人にとっての葬儀の重要さがわかってもらえるだろうか。

 午後4時頃から火葬前の儀式が始まる。4人の僧侶の読経が1時間程度続き、終わるとランの花を参列者に渡し、火葬前の遺体に供えてもらう。これが遺体との最後の別れである。 最後に遺体の運び込まれた焼却炉に喪主がランの花を入れ、扉を閉じる。

 この後、いよいよ遺体を荼毘に付す。日本の火葬場の焼却炉と違って、火葬には時間がかかる。遺骨の引き取りは翌日になるので、参列者を自宅に招き、食事をふるまう。最近では自宅に招くことはせず、香典返しのような形でテイクアウト形式のサンドイッチやパンを葬儀の際に渡すことも多い。

火葬後の骨、僧侶が各部分を説明

 午前10時ごろ、前日火葬にした遺灰が運び込まれ、僧侶が重要な骨から順番に並べ、各部分の骨の説明をしてくれたあと、骨壷に入れる。日本のように箸で互いにつまんで入れることはしない。大きいトングのようなものでつかめる大きさの骨は入れていき、粉になったものはちりとり状のもので入れる。遺骨と一緒に生花も骨壷に入れる。最後に頭蓋骨を載せて骨壷にふたをする。

 骨壷は自宅に持ち帰り、いったん仏壇に祀った後、占い師に決めてもらった日に散骨する。一般的な仏教徒の場合、墓はない。

葬儀は死者を極楽に送る儀式

 タイの葬儀全体を通して感じるのは、「死者を極楽へ送るための儀式」だということ。日数を長く執りおこなったりするのは遺族の見栄もないわけではないが、根底にあるのは「自分たちにできる限りのことをして死者を極楽の一番いいところへ送りたい」という気持ちなのだ。だから、葬送は葬儀がメインとなる。魂魄は葬儀によってすでに救済されているので、いわば「抜け殻」である遺骨についてはなんの未練も持たない。畑にまく人もいれば、川や海に流す人もいる。生前「自分の骨はどこどこに散骨してくれ」という遺言を伝える者もないわけではないが、ほとんどの場合は遺族が判断して、近所の山河に還す。だからいわゆる「墓」のようなものはないし、「どこに散骨した」という目印や記録のようなものもまったく残さない。

 だが、だからといって墓を否定するわけではない。タイ人のイスラム教徒やキリスト教徒、華僑が墓を持つことに対して、仏教徒たちが「狭い国土に墓を作るのは不経済だ、全員散骨に変更しろ」ということは過去にはなかったし、これからも間違いなくないだろう。 おもかわ・ゆか(面川裕香) 1998年より7年間バンコクに居住。タイ王立チュラーロンコーン大学文学部タイ語特科修了後、地元出版社に勤務。ライターとしてタイ、主にバンコクの社会事情などを日本へ発信する。 帰国後、東南アジア各国の書籍を出版するめこんに勤務。3月よりパキスタンに居住予定。

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おもかわ・ゆか(面川裕香)
1998年より7年間バンコクに居住。タイ王立チュラーロンコーン大学文学部タイ語特科修了後、地元出版社に勤務。ライターとしてタイ、主にバンコクの社会事情などを日本へ発信する。 帰国後、東南アジア各国の書籍を出版するめこんに勤務。3月よりパキスタンに居住予定。


「再生」第64号(2007年3月)

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