海外の葬送事情

エチオピア

地域生活に溶け込む葬儀講
民族や宗教を超え助け合い


                     西 真如(京都大学特任助手)  


 エチオピアに長く滞在していると、ついこのあいだまで元気だった現地の友人が急死したということをたびたび耳にする。あるいは、知人の家族や親族の誰それが死んだから、葬儀に出席しないかという誘いを、ひと月に1度や2度は受けるようになる。ここでは日本よりもずっと、死が身近に感じられる。というよりも人の死が、日常の生活に織り込まれているかのようだ。

エイズ発症ふえ身近になった死

 この感覚には、次のような説明を与えることもできる。UNDP(国連開発計画)の統計によれば、エチオピアでは国民の出生時平均余命(いわゆる平均寿命)が45年あまりで、日本の国民より36年も短い。欧米の医療機関を受診できるほどの収入がある、ごく限られた階層の人たちを除けば、彼らが予防的な検診とか適切な治療を受けられる機会は、たいへん限られている。加えてエチオピアではこの十数年のあいだ、エイズを発症する人たちが着実に増加してきたことで、死はますます身近なものに感じられるようになった。

 ただし、死が「日常的」であるからといって、エチオピアで生活する人たちが死に無関心だろうと想像するのは正しくない。逆にここでは、人の死にたいへんな注意が払われる。ある友人のことばを借りれば、「結婚式には欠席しても言い訳ができるが、葬式にでないための言い訳はない」のである。

 エチオピアには、言語や文化の異なる数十の民族集団があるといわれるが、死者を葬ることへの並々ならぬ関心の高さという点では、おおむね一致しているように思われる。

 またエチオピアには、棺おけ屋とか墓堀人夫といった職業はあっても、いわゆる葬儀屋、つまり葬式の手配一切を引き受けてくれる業者は、筆者の知る限り存在しない。その代わり人びとは、葬儀講(ウッドゥル)と呼ばれる一種の住民組織に参加することで、自分自身や家族、親族の葬儀に備えるのである。

アジスアベバに数千はある葬儀講

 エチオピア政府が2002年に実施した家計調査の報告書をみると、「銀行預金」や「保険掛け金」といった項目に続いて「葬儀講の会費」という支出項目がもうけられている。それほど葬儀講の活動は、人々の生活と切り離せないものだということだろう。

 葬儀講の活動がもっとも盛んなのは、首都のアジスアベバだ。市内で活動している葬儀講の数を示した統計は見あたらないが、およそ500万の人口を擁するアジスアベバには、少なく見積もっても数千の講があると考えられる。

 ひとつの葬儀講に参加している会員の数はふつう、数十から数百人くらいである。会員となるための資格は講によってさまざまであるが、いちばん多いのは近隣の住民が組織するものだ。つまり仲間うちで葬儀があったとき、すぐに駆けつけられる範囲(おおむね徒歩20分くらいの範囲)で生活している住民が組織するのである。ほかに、同郷者(同じ地方の出身者)や同じ職場の仲間が組織するのもある。また、女性だけが参加できる講もある。

 アジスアベバで生活する人たちは、異なるタイプの葬儀講を組み合わせながら、ふたつ以上の講に加入しているのがふつうだ。5つや6つに同時に参加している人も、決して稀ではない。

 葬儀講に参加すると、毎月の会合に出席する義務があるほか、会費を支払わねばならない(会費は日本円にして、月に120円から240円くらいが相場である)。そしてもちろん、仲間うちに不幸があれば、会員たちは総出で葬儀の準備を手伝わねばならない。

遺体搬送、テント設営、食事など分担

 ここでアジスアベバの葬儀について、簡単に説明しておきたい。アジスアベバでおこなわれる葬儀は一般に、「埋葬」とそれに続く「お悔やみ」からなる。誰かが死ぬとすぐ、近所に住む親族や葬儀講の仲間があつまって、葬儀の準備を始める。彼らは死体を洗い、棺おけや花を買いにゆき、必要なら死体を搬送する霊柩車の手配をする。女性たちは、急いで食事の準備も始めねばならない。

 埋葬はふつう死の翌日におこなわれ、参列者は故人の家におもむいて、質素な食事の提供を受ける。そして教会あるいはモスクに移動し、聖職者による祈祷がおこなわれた後、墓地に死体が埋められる。

 葬儀の翌日から少なくとも3日のあいだは、故人の家のまえに大型のテントが設営される。ここで故人の家族は、お悔やみを言うためにやってくる人たちを迎えるのである。故人に近い親族は、大きな泣き声をあげながら入ってくる。そのほかの参列者は静かに会場を訪れ、遺族に簡単なお悔やみのことばを述べて、食事やコーヒーの提供を受け、立ち去ってゆく。「お悔やみ」の会場でのテントの設営と撤収、それに食事の提供も、講仲間の仕事である。あとで述べるように、ひとつの葬儀に関与する葬儀講はひとつではなく、複数の講が作業を分担して、葬儀を出していることが多い。

 埋葬やお悔やみへの参列者は、ふつうの葬儀でも数百人、故人が著名な人物であれば数千人を数えることも珍しくない。しかし講仲間が交代で労働力を提供してくれるし、葬儀に必要なテントや椅子、食器なども講が所有しているので、葬儀にかかる直接の出費といえば、埋葬の費用と食材の買い出し費用くらいのものだ。また講は、会員から徴収した会費を銀行口座に積み立てており、葬儀の際には一定の金額を支払ってくれる。日本円にすると、多くても数万円くらいの額だが、直接の出費はだいたいそれで、まかなえてしまう。

労働と費用の提供に限定した活動

 ところでエチオピアは、既に述べたように多民族国家であり、その首都であるアジスアベバの市内には、さまざまな民族が入り乱れて暮らしている。死者を葬ることへの関心は同じように高いとしても、葬式の流儀は全く同じというわけにはいかない。それに宗教の違いもある。アジスアベバ市民のおおむね半数はムスリムで、残りの半分はキリスト教徒だ。

アリマ
近所の女性たちだけで組織する葬儀講の議長をつとめるアリマさん=中央=

 アジスアベバの葬儀講活動で興味深いのは、異なる民族に属する人たち、あるいは異なる宗教を信仰する人たちが、同じひとつの講に参加している例が非常に多いということだ。例えば市内の公営住宅で暮らすアリマは、近所に住む女性30人で組織する講の議長をつとめている。彼女の講には、少なくとも4つの異なる民族に属する人たちが参加している。また、アリマはムスリムだが、参加者の半分はキリスト教徒である。アリマたちがこの講を設立したのは1979年のことで、そのあと死別した仲間や、新たに加わった仲間はあるものの、彼女らは4半世紀以上も、一緒に活動してきたのである。

 同じ講に宗教の異なる仲間が参加しているということは、ムスリムがキリスト教徒の葬儀を手伝ったり、逆にキリスト教徒がムスリムの葬儀に参加したりするということだ。そんなことができるのは、ひとつには葬儀講の活動が、世俗の領域に属するものだからである。葬儀そのものは、もちろん故人の宗教と切り離すことができないけれども、講の活動は、労働と費用の提供が目的であって、基本的には宗教儀礼に干渉しない。

ムスリムとキリスト教徒が共同作業

 例えばアリマの講のように、女性だけで組織する講の仲間は、葬儀の際に食事の準備を手伝うことになっている。ムスリムの女性とキリスト教徒の女性が一緒に台所に立って仕事をするわけである。アジスアベバの葬儀で用意するのは、豆のスープをはじめ質素な食事と、コーヒーやソフトドリンクに限られており、肉や酒が提供されることはない。

 他方で男性が中心となって組織している講は、遺体を収めた棺を移送するなどの力仕事をこなす。葬儀には、教会やモスクでの宗教儀礼が欠かせない。そこでこれらの場所まで棺を担いでゆくのは、講仲間の重要な役割のひとつである。もし故人がキリスト教徒であれば、教会の門までは(ムスリムも含めて)全員で棺を運び、その先はキリスト教徒だけで棺を運び込むという具合にすれば、ムスリムは教会の敷地に足を踏み入れずにすむわけだ。ただし実際には、エチオピアのムスリムはかなり宗教的に寛容なほうで、他の講仲間とともに教会へ足を踏み入れ、キリスト教徒と一緒に司祭の説教を拝聴している姿が、よく見られる。

 アジスアベバの葬儀には、一方で宗教や文化による違いはあっても、他方で誰もが参加できる共通の過程がある。講の活動は、葬儀の多様性を前提としながらも、共通するニーズに応えてゆくことで、アジスアベバ市民の生活に浸透してきたのである。あるいはひょっとしたら、共通のニーズがあるから、誰でも参加できる葬儀講があるという説明は、正しくないかもしれない。エチオピア全国からアジスアベバにあつまってきた人たちが、人の死という共通の課題に直面し、一緒になってこの課題に取り組む中で、宗教や文化的背景の違いを超えた共通の活動をつくりだしていったとも言えるからだ。この活動をとおして、多様な葬儀のありかたの中から、共通のニーズが抽出され、アジスアベバの葬儀のかたちがつくられてきたとも言えるだろう。

霊柩車借料を出し合うだけの講も

 しかし多くの葬儀講が、最大公約数的な活動ばかりをおこなうとなると、それぞれの故人やその遺族に見合った多様な葬儀のニーズには、どうやって応えたらよいのかという疑問がでてくる。他人と異なる葬儀のニーズは「自助努力」で満たせばよいと、アジスアベバ市民は考えているのだろうか?

 じつはアジスアベバには、特定のニーズに的を絞った活動をおこなう葬儀講もたくさんある。ちょっと変わったものでは、霊柩車を借りる資金を出し合うためだけに設立された講がある。人口が急増しているアジスアベバ市では、墓地の面積も不足しており、近年では故人の自宅から遠く離れた墓地に埋葬される例も多い。それでも従来どおり、講仲間が棺を担ぎ、徒歩で墓地まで行くべきだと考える人も多いが、中には霊柩車が必要だと感じる人もいる。

 しかし従来の講は、会場設営や食事の準備はしてくれても、霊柩車を借りる資金までは準備していない。かといって霊柩車の借料は、多くのアジスアベバ市民にとって、個人で負担するには高額すぎる。そこで霊柩車を使いたい人たちがあつまり、従来の葬儀講とは別に、霊柩車を借りる資金を出し合う講を設立したのである。ちなみにこの講の名称は、「旅は道連れ」講といい、およそ180名の会員がいる。

 ところで先に、葬儀講の活動は宗教儀礼に干渉しないと述べたが、これはあくまで一般論であり、じっさいには宗教儀礼に的を絞った講というのも存在する。例えばムスリムの葬儀であれば、宗教儀礼のひとつとして、故人の自宅でコーランを唱和することが推奨される。この唱和に参加した人たちには、なにがしかの謝礼をする習慣であり、その費用を負担するための講が存在する。この講に参加できるのは、もちろんムスリムだけである。

 ここまでの説明でおわかり頂けたように、アジスアベバには宗教や民族を問わず(近所に住んでいる人なら)誰でも参加できる葬儀講と、特定の宗教的、あるいは経済的なニーズを持っている人だけが参加する葬儀講がある。ここで注意したいのは、葬儀に霊柩車を必要とする人たちとそうでない人たち、あるいはムスリムの宗教儀礼を重視した葬儀を望む人たちとそうでない人たちが、まったく別々に葬儀を営んでいるわけではない、ということだ。

興味深い、共通の活動編み出した過程

 すでに述べたように、アジスアベバの人たちは、ひとりで幾つもの葬儀講に参加している。そしてひとつの葬儀には、たくさんの講が関与している。アジスアベバで暮らす人たちの多くは、まず誰でも参加できるタイプの葬儀講に加入しておいて、その上で個別の必要に応えてくれる講を組織してゆく。誰かが死ぬと、これらの講が力を合わせて、故人とその遺族のニーズに見合った葬儀を実現するわけだ。

 これを宗教や民族の違いに関わらず、共通のニーズのために活動しながら、同時に特別なニーズにも応えていく活動の形式であると考えるならば、アジスアベバの葬儀講活動から私たちが学べることは、たくさんあるように思われる。

 多様な文化や宗教が共存するエチオピアでは、民族間の対立が時として武力紛争に発展する。またその紛争が、同国の貧困の原因になっているとも言われる。エチオピアの過去の政権はいずれも、民族問題に苦慮してきた。しかしその同じ社会で生活する人びとが、人の死という共通の課題に直面したとき、さまざまな立場の違いを超えて、葬儀講という共通の活動を編みだしてきたことは、たいへん興味深い事実であるように思われる。

--------------------------------------------------------

 にし・まこと(西真如)
 京都大学卒業後、在エチオピア日本大使館で専門調査員(のちに三等書記官)として勤務するとともに、同国の民族問題や住民組織の活動に関するフィールド調査をおこなってきた。ローカルな実践にもとづいて民主的な社会関係が構築される過程に関心を持つ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究科博士課程単位取得退学。博士(地域研究)。
ホームページ:http://www.jafore.org/9/ 
ウエブログ: http://www.jafore.org/blog/ 


「再生」第63号(2006年12月)

logo
▲ top