海外の葬送事情

イギリス-その2

緑の葬送 青の葬送(Green funeral Blue funeral)

                                森嶋瑤子  

「石など拝んでもらって何になる」と言った夫
ロンドン大学がつくる土のある場所へ散灰想う


 夫、森嶋通夫、が2004年7月にこの世を去って以来何度も尋ねられたのは「先生のお墓は何処にあるのですか、イギリス、それとも日本?」の質問であった。ある時、私たちの友人の一人から問われ、「彼の遺志だからお墓はつくりません」と答えたのが、それまで知らなかった「葬送の自由をすすめる会」と私を結び付けたきっかけである。たまたま彼女は会のメンバーであった。

 その後、送っていただいた「再生」や岩波ブックレット『お墓がないと死ねませんか』(安田睦彦著)などを読んで日本の事情を知った私の第一番目の感想は「あなた、イギリスで死んでよかったわね」であった。彼は常日頃、「自分は墓などいらない。石など拝んでもらって何になる」と言っていた。事実、彼はマルクスの経済学に関する書物を出版し、ロンドンに30年余住んだ経済学者だがマルクスの墓を訪れたことはない。しかし、幼かった息子が「お父さんの友だちのマルクス」と言ったくらい、彼はマルクスの名を家庭内の会話の中に持ち出していた。夫は一番の供養は自分を知っている人たち、家族、親戚、友人、同僚、その他誰でもが、自分のことを思い出して話し合ってくれることだと言っていた。

 人々の心に残る何かを持っていたり、また生涯に遂げた業績がすぐれていたりする人は、自然に語り継がれるから、それに値する人は長く皆から供養されることになる。口の悪い夫は悪口でもかまわんと言っていた。自分がそのように供養されたいと思っていたので、彼は日頃から故人の誰彼についての話題も多かった。私自身も同じように考えていたので、彼が亡くなった時には子供達は、「別に何も書き残してないけどお父さんの考えはお母さんが一番よく知っているのだし、お母さんも同じ考えなら」ということで家庭内の合意は瞬時に得られた。

 日本ではこのあと、色々な手続きがいるようだから社会との合意に手間取っただろうが、イギリスではこの点に関しては何の問題もなかった。友人や知人の中にも、わが家はお墓もないし灰は故人の好きだった場所に散布したという人があったし、あなたのところには庭があるのだからそこに撒いたらと言った人もあった。日本に比べると、イギリスには遺体を土葬する習慣がまだ残っているが、墓地不足もだんだん問題になって来ているので、政府は火葬を奨励している。しばらく前に、王室の親類に当たる人が初めて火葬で葬られたというニュースを読んだことがある。

 日本では骨が形を残すように比較的低温で行われるが、イギリスの火葬は高温のため全く美しい灰で戻ってくる。故人が自然葬を希望すれば、遺族は骨を細かく砕くことから始めねばならないというのは、イギリスでは考えられない。その場合には、高温の火葬を選べるように出来ないものかと思う。そうして魂は昇天すると信じるとこは出来ても、遺体は土(海をも含めた地球全体ということ)に戻るよりほかない。イギリスでは非常識なことをしない限り、どこに散灰してもよいようだ。

 夫は何処に散布して欲しいと言うことは言い残してないので、家族で決めねばならなかった。Crematorium(火葬場)にもその場所はあるし、わが家の庭でもよかったが、私たちは彼が生涯の後半30余年間活動の場にしていたLondon School of Economicsのキャンパスを選んだ。大学にそのように申し出たところ、ロンドン市内にあるので庭がなく、土で覆われた場所がないとの返答だった。しかし大学も学生たちの憩いの場所として樹木や花をうえられる土のある場所をつくることを考えているとのこと、そのうちに散布に適当なところが出来そうだから待って欲しいということで私たちはほっとした。

 (私たちの町の森林公園に散布することを取り上げた文章に”Green funeral”という言葉が使われていた。自然葬のうち、山や森林に戻るのがGreen funeralならば、海に戻るのはBlue funeralといってよいだろうと思って、それをタイトルに選んだ)

--------------------------------------------------------

 森嶋瑤子さんは、ロンドンで長く活躍した経済学者の森嶋通夫氏(1923-2004)の夫人で、本稿は、本会の柴田ひさ理事が寄稿をお願いして寄せていただいたものです。柴田さんは、帰国児童に外国語の絵本が読める環境を提供することを目的にする国際児童文庫(ICBA)の活動を通じて森嶋瑤子さんと知り合ったそうです。

 森嶋通夫氏は大阪府生まれ。京都大学卒業のあと同大助教授、大阪大学教授を経て渡英、エセックス大学、ロンドン大学で教授を歴任した経済学者。マルクス理論を数理化した業績でノーベル賞の候補に目されたこともあり、1976年には文化勲章を受章している。専門的な研究だけでなく、『イギリスと日本』『なぜ日本は「成功」したか』『サッチャー時代のイギリス』などの歯に衣を着せない社会評論で知られる。


「再生」第60号(2006年3月)

logo
▲ top