海外の葬送事情

イスラエル

宗教ごとに限定されるすべての墓 原則土葬、現状続けば近く満杯に

                     笈川博一(元・杏林大学教授)  

 住まいのすぐ近くに谷中霊園がある。死が仏教の一手販売だった江戸時代が終わって間もない1874年、明治政府は天王寺の一部を没収して東京府の公共墓地として谷中霊園が生まれた。おかげで青山、雑司ヶ谷などとともに仏葬以外の死者たちの受け入れが容易になった。霊園内を歩くと、多くはないが十字架のついた墓もそこここに見られる。つまりここはまず"墓地"であり、そこに各種宗教の信者、あるいは不信者が眠っているわけだ。  イスラエルでは、つい最近まで、修飾語のつかないただの"墓地"は存在しなかった。墓にはすべてユダヤ教・イスラム教・キリスト教という限定がついているのである。


■墓地に遺棄されたキリスト教徒の遺体

 それは時に悲劇を生み出す。あるルーマニアのユダヤ人が親切なキリスト教徒の農家に庇護されてホロコストを生き延びた。彼は戦後、その家の娘と結婚した。新婚の二人は荒廃したヨーロッパを捨て、独立したばかりのイスラエルに移民した。生活は苦しかったが、小さい幸せを感じるようになった夫妻は成人した子供たちに看取られて相次いでなくなった。妻は、夫の隣に確保してあった墓地に葬られた。

及川さん

 数日後、子供たちが行ってみると、新しい墓は掘り返されていた。通報を受けた警察が捜すと、そばにあるキリスト教徒の墓地に捨てられていた死体が発見された。二人とも宗教を特別に意識したわけではなく、移民した新しい国での生活に追われたためもあって妻はユダヤ教に改宗していなかったのである。犯人は挙がらなかったが、ユダヤ人墓地にキリスト教徒が葬られることの方が死体を掘り出して遺棄することよりも重要だった人たちの仕業であるのは明らかだ。

 子供たちは怒り狂った。しかし問題はそれにとどまらない。イスラエルでは、ユダヤ人であるかどうかは母親によって決定されるのだから、改宗しなかった母の子供たちもキリスト教徒に分類されざるを得ない。イスラエルではごく少数の外国人をのぞいてキリスト教徒はアラブ人しかいない。兵役に就いた子供たちの敵はアラブであり、イスラエル国籍のアラブ人ともしっくりいっていない。母も自分たちもアラブのキリスト教墓地に葬られるのはどうしても抵抗がある。

同じ問題はイスラムにもある。その昔イエメンが王国だった頃、王は国内視察用に飛行機を買った。車で行こうにもろくな道路がなかったためもある。ラクダでは時間がかかりすぎるではないか。王は飛行機と一緒にイタリア人のパイロットを雇った。あるときこの飛行機が墜落してしまった。幸い王は乗っていなかったのだが、パイロットは死んだ。さてこのパイロットをどうしたものだろうか。イエメンはイスラム国家であり、少数のユダヤ人はいたのだが、キリスト教のコミューニティーは存在しなかった。つまりイエメンにはキリスト教徒のイタリア人を埋葬する墓地がなかったのである。結局この気の毒なパイロットは数週間かけて本国に送り返された。

 この問題は日本人でキリスト教徒の筆者をも悩ませた。1970年から25年間にわたってイスラエルに暮らしており、日本に帰る可能性があるとは思えなかったからだ。イスラエルで死んだらどうしよう。ずっとユダヤ人社会の中で暮らしていたため、上記のルーマニア系の人ほどでないまでも、アラブの墓に入るには抵抗がある。しかもアラブ人キリスト教徒のコミューニティーとなんの関係もないし、ローカルな教会に属していたわけでもない。これでは埋葬を断られるかもしれない。日本に埋葬するにしても問題はある。イスラエルで火葬ができるなら、骨だけを移動するのは大きな問題ではない。だが国中どこにも火葬場はない。しかし生身の死体を運ぶのはそんなに簡単ではない。ファーストクラスより高い。高い運賃を支払うのが筆者でなくても、悩まざるを得ないではないか。この問題は日本人でキリスト教徒の筆者をも悩ませた。1970年から25年間にわたってイスラエルに暮らしており、日本に帰る可能性があるとは思えなかったからだ。イスラエルで死んだらどうしよう。ずっとユダヤ人社会の中で暮らしていたため、上記のルーマニア系の人ほどでないまでも、アラブの墓に入るには抵抗がある。しかもアラブ人キリスト教徒のコミューニティーとなんの関係もないし、ローカルな教会に属していたわけでもない。これでは埋葬を断られるかもしれない。日本に埋葬するにしても問題はある。イスラエルで火葬ができるなら、骨だけを移動するのは大きな問題ではない。だが国中どこにも火葬場はない。しかし生身の死体を運ぶのはそんなに簡単ではない。ファーストクラスより高い。高い運賃を支払うのが筆者でなくても、悩まざるを得ないではないか。

■毎年、東京ドーム2個分の土地が墓に

 谷中霊園には東大医学部学生の解剖実習用に遺体を寄付した人たちの共同墓がある。まわりにいくつもある寺の墓地に行けば、無縁仏の集団墓もある。墓地のそこここには、もう何年もお参りされた形跡のない墓に「この墓の持ち主は○月○日までに届けられたい」との管理事務所のメモがある。要するに、「届けがないと、無縁仏にして墓石を撤去、墓地は再度売りに出します」ということだ。ところがユダヤ人は死者に対してえらく義理堅い。子孫がいなくなろうが、記録がなくなり、長い年月で墓石がボロボロになって誰が埋葬されているのか分からなくなろうが、墓が撤去されることはない。無縁の死者という考え方もない。

 この墓が問題だ。イスラエルでは原則として土葬である。それはユダヤ教、イスラム、キリスト教でも同じことだ。いざ埋葬するときに"永眠"した死体を立たせるわけにはいかないから、横にするしかない。その結果、一人分の墓は1メートル×2メートルくらいになる。しかし通路は必要だし、宗教規定によって死体と死体の距離を近づけすぎるわけにはいかないから、それらを計算に入れると1000平方メートルあたり250基ほどの墓を作ることが可能である。つまり1基あたり4平方メートルの土地が必要だ。全国では年間約25000人のユダヤ人が死んで葬られるそうなので、10万平方メートルの土地が毎年新しい墓に必要になる。東京ドーム2個分以上になる。

 たいした広さではないのだが、墓はどこに作ってもいいというものではない。墓参りの便を考えると、遺族の住むところの近くでないと困る。町が小さいときに作った墓地は人口が増え、住宅地が増大するにつれて邪魔になるのだが、墓を移そうなどという発想はない。そうなると、生者と死者の争いは不可避となる。特に人口の多いテルアビブ周辺には4つの大きな墓地があるが、最近そのうち3つは満杯になって新しい死者を受け入れられなくなってしまった。現在の方法を続けていたのでは、遠くない将来に死者の行き所がなくなるのは目に見えている。

■段違い埋葬方式、アパート方式など考案

 日本では一人だけの墓はかなり有名・有力な人に限られる。普通は火葬した遺骨を骨壺に入れ、家族単位で一緒に葬るのだから、一人あたりの面積はたいしたことはない。それでも寺に付属する墓は営業上、直系の者しか入れないのが普通だ。谷中の禅寺にある笈川家の墓には祖父母、叔父、叔母がいる。いずれは従姉妹が入ることになるが、独身で子がないので、最終的には5人で終わりになりそうだ。叔父の弟である父も、その長男である筆者もそこに入る権利がない。そこで父は生前に松戸にある都営の八柱霊園に墓地を手に入れた。現在の住人は両親に弟の3人である。ところが利潤を上げる必要がない東京都は六親等まで入る権利を与えている。六親等といえば、はとこになる。普通はつきあいが絶えるくらい遠い親戚だ。管理者を世代がかわるごとにかえていけば、何人でも入れそうな具合だ。このユルユルの規定は新しい墓地を作りたくないとの意図から来たものだろう。しかし他家に嫁に行って姓が変わった人が入ることは普通はないから、全くの無制限というわけでもない。

 だから、イスラエルでもこの方法を採用すれば問題はかなりの程度に解決するはずだ。ところがユダヤ教の規定がそれを許さない。一人ずつの墓でも、火葬にしてしまえば必要面積はかなり小さくなる。しかし死体を焼却するのは宗教規定が許さない。そこで墓と墓の距離を小さくすることを考えた。しかしそれでは死体間の距離が近くなりすぎて宗教規定を満たさない。そこで段違いに葬るという革命的な方法が生み出された。ある墓の住人を深く埋め、隣の墓の住人を浅く埋めれば住民間の距離を稼ぐことができるではないか。この方法で約30パーセント余計に墓を作ることができるようになった。しかしこれでは根本的な解決にはならない。

 そこで考え出されたのが2階建ての墓だ。といっても地下1階と2階を作る方法である。主として夫婦用だ。先に死んだ人を深く埋める。そのあとに死んだ人を連れ合いの上に埋めれば、同じ面積を2倍に使うことができるではないか。墓の上には1メートル×2メートルで高さが60から70センチくらいの立方体を石で作り、上を大理石の板で覆ってそこに名前や生没年を彫り込むのが普通だ。夫婦用はそこに二人の名前を彫ることになる。最初は一人分を彫っておき、時至ればもう一人分を彫る。ユダヤ版"赤い信女"である。「夫婦は二世」だそうだから、これはいい考えかもしれない。来世のことを考えずとも、葬れる死者の数は2倍になるのだから、墓地の拡大速度は半分になる。

 拡大速度をもっと遅くする方法はないのだろうか。上述の二つの方法はそれぞれに効果はあるにしても、限定的である。古い墓の処分ができず、死者の数を劇的に減らす方法がない限り、一つの墓が占める地上面積を減らすしか方法がないのは明らかだ。そこで、アパート方式が考案された。2メートルほどの厚さの壁を作り、そこに4、5階建ての墓を作る。死体置き場の冷蔵庫をイメージすれば、当たらずといえども遠くはない。約2000年前に使われていた方式だが、それ以降は失われてしまった。これだと一人あたりの地上面積を劇的に減らすことができるのは、一戸建てと集合住宅の違いと同じだ。

 しかし人間は保守的で、変化を嫌う。これまで地下だった墓所が地上になってしまうのは大きな変化だ。それを緩和するために二つの対策が考え出された。一つはイメージ作りの心理作戦である。アパート方式の墓で一番有名なのがエルサレムにあるサンヘドリンである。サンヘドリンは紀元70年にローマ軍との戦争で神殿が破壊されて以来、ユダヤ人たちにとって事実上の統治機関に当たる役割を果たしていた。当然イメージは高いし、誰でも知っている。そこでこれを "サンヘドリン方式"と名付けた。

サンヘドリン
エルサレムのサンへドリン(ユダヤ教の最高法院)にあった墓(紀元70年ごろ)。近年の墓地不足対策として、かつて行われていた地下室に死者を重ねて埋葬するこの「高密度埋葬」を現代に応用してはという建築家の提案があり、ユダヤ教の最高実力者が受け入れたため、これを模した墓がつくられているという

 イメージのほかには実利で釣る手がある。あてがわれる墓に文句をつけなければ無料だが、ちょっといいところとか、先に死んだ連れ合いの隣とかの条件をつけると数千シェケル(1シェケル=23円)から1万シェケル以上かかるところを無料にした。おまけに、普通タイプなら自前でかなり大きな石組みを作らなければならない。材料にもよるが、これにも数千シェケルから数万シェケルは必要だ。サンヘドリン方式を選べば遺族が払わなければならないのは石に彫り込む費用だけだ。これはお得だ。しかしこうした努力にもかかわらず、サンヘドリン方式を選ぶものは多くない。選ばれない理由の一つが臭いだ。どうも工事がきちんとしていないらしく、完全に密封されていないらしい。これでは人気が出るはずがない。

■火葬普及めざす葬儀社が登場し、論議

 21世紀に入ると事情は少しずつ変わりだした。これまで絶対のタブーと見られてきた火葬が商業化されたのである。それが2004年に作られた「落ち葉」という会社だ。イスラエルでは初めての"私的"葬儀会社だ。その前駆現象として20世紀終わりごろから"私的"墓地が営業を始めたことが指摘されよう。独占状態の一角が破れた。「落ち葉」は営業を始めるに当たって理論武装を忘れなかった。それによると、火葬はユダヤ教で禁止されているのは間違いだという。第一聖書の中に火葬の例が3つもあるではないか。

 3例とも王なのだが、彼らが火葬されたのなら問題ないはずだ。もっともはっきり火葬と分かる一人はいろいろ問題のある王だし、他の二つの例には火葬かどうかの議論がある。「火葬はユダヤ教に反しない」と主張する宗教専門家も一人しかみつけられなかった。「それでもなお火葬は正しい、将来はその方向だ」というのが「落ち葉」の主張だ。

 落ち葉」社は、伝統的な土葬も扱っているのだが、目指すところは火葬の普及である。火葬した後の遺骨・遺灰に関しても遺族宅で保管、同社のコロンバリウム(骨壺を並べておく棚)で保管、墓地などに埋葬と選択肢を並べているが、一番には散骨を薦めている。火葬→散骨となれば、これは墓地問題にとって究極の解決法となる。しかしこの解決法に問題がないわけではない。 なにしろ前例がよくない。ナチス・ドイツのホロコスト時には多くのユダヤ人がダハウなどの強制収容所で殺され、焼却され、"散骨"された。近い例では60年代初めのアイヒマンの例がある。元SS将校でユダヤ人虐殺に関わったが、アルゼンチンに潜伏中にイスラエルの諜報機関にとらえられた。彼はエルサレムで開かれた裁判で有罪と認められて絞首刑に処せられた。1948年の独立以来唯一の死刑である。アイヒマンの死体は焼却され、遺骨は地中海に撒かれた。「落ち葉」社の提案はそれを思わせるではないか。  2004年、新築の火葬場は放火されて焼け落ちた。再開されたが、正確な場所は明かされていない。


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 おいかわ・ひろかず 東京教育大修士課程を1970年に修了し、ヘブライ大学に留学。25年のイスラエル滞在経験がある。95年から昨年まで杏林大学教授。中東近代史、古代エジプト言語学。イスラエル在住当時は、時事通信やNHKの通信員としても活動した。

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「再生」第80号(2011年3月)
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