海外の葬送事情

マケドニア

死の儀礼に多く残った古代の慣習
 初春の一夜、下界に下る死者の魂


                アンドリアナ・ツヴェトコヴィチ(映像作家)

 古代ローマのことわざに「死そのものより、弔いの過程のほうがより大変だ」ということばがあります。死は自然な生物学上の現象ですが、それに続く葬送儀礼や死の取り扱いに関わるあらゆることがらは、ある文化圏で人々が死をいかに受容していくかについての心理的な、社会的な発見といえるのではないかと思います。

 私の母国、マケドニアでは長年にわたり、数多くのしきたりと信仰による興味深い葬送儀礼が展開されてきました。それはマケドニア人の、死のみならず命そのものの捉え方を示しています。

■墓に死者の好物を運ぶ人々

 マケドニアはご存知のとおり、世界史上の重要人物のひとりであるアレキサンダー大王(紀元前356-323)の領土であった古い国家です。かつて彼の王国はインドまで伸びており、いまでも彼の兵力と見識について多くが語られますが、現在のマケドニア共和国は、東はブルガリア、西はアルバニア、南はギリシャ、北はセルビアと接するバルカン半島の内陸国です。

 アレキサンダーなどの時代のマケドニア人は、一神教ではなく多神教を信仰していました。神々は、今日のギリシャにある聖なるオリンポス山に住んでいました。死者には頭から足先まで金を着せました。富は死後の世界に同行し、それはマケドニア貴族の有名な高官の武器、装身具、葬式用贈物といった墓の装飾品に示されている通り、一族の統率力、英雄的行為、権力の証でした。

金の仮面
死者の顔を覆った金の仮面

 死者は木製の棺に入れられ墓穴に埋葬されました。軍人は甲冑と金の止め付きの青銅ヘルメット、金の装飾付きの鉄剣、短剣、槍の先端といった武器もいっしょに埋められます。金銀を口にくわえ、金や銀や象牙の指輪をはめていました。靴には金のリボンとバラの花飾り、皮と麻の胴甲や衣服には後脚で立ち上がったライオンや植物の幾何模様が金片で描かれているという具合です。

 墓は地中深く、遺体は石床に置かれた。興味深いのは、死者の顔が金の仮面で覆われていたことです。今でもこれと似た風習は、マケドニアの主として東部の村落で見られます。そこでは、死者の顔には金ではなく麻布が被せられるのです。

 そのような地域だったマケドニアはまた、イエスの第1弟子の聖ペテロがこの地域で布教したと伝えられ、初期段階からキリスト教を受け入れた土地です。教会が建立され、古代の儀礼は大きく変わりました。例えば、新生児には洗礼が行われる。成年になって信仰を受け入れた人もキリスト教から見ると新生児ですから同様です。ところが、死に関する儀礼の方には、キリスト教的ではない古風な儀礼が多く残りました。例えば、人々は今でも、墓に死者が好んだ食べ物を運んだりするような儀礼に疑問をいだきません。文化的習慣であり、それがマケドニア人の特徴であり伝統であるのです。

■司祭に祈ってもらう死の旅の無事

 私はマケドニアの首都スコピエで生まれ育ちました。父はセルビア人、母はマケドニア人で、ともにクリスチャンの家庭の出身です。両親は、愛とか年配者や隣人への敬意、忍耐といったキリスト教の価値観を持っています。

 小さい時から死を見聞きする機会が少なからずありました。それは始めは友人のまた友人、隣人と自分とは関係の薄い他人の死でした。両親は、死について私の耳から遠ざけようと常に努めていたように思います。子供はそれに触れるべきではないということだったのでしょう。でも、私には死は愛しい人を亡くした親族の生活をひっくり返すとんでもない悲劇であることだけは分かっていました。

 12歳の時、伯母が亡くなりました。初めての直接的な死との出会いです。父の兄の妻だった人で、父の親類はみなセルビアに住んでいたので、マケドニアに住む唯一の親しい身内でした。いつも微笑みをたやさない魅力的な人でした。伯父とともに食品雑貨店を経営していました。その晩、私は彼女の夢を見ました。夢の中で、彼女は私には分からない事を話していました。彼女に話しかけると私の歯が何本か抜けました。母は、夢の中で歯を失くすのは死の徴だ、といいました。

 何しろ死に関する多くの事柄は、子どもの目や耳から遠ざけられ秘密裏に行われているようで、初めての葬儀は、私にはびっくりすることばかり。悲しみはとても言葉では表しきれません。ひとたび死が来ると、死者と死者を取り巻く全てはタブーです。伯母の死後、程なく祖母も亡くなりました。私が葬儀へ参加したのは、単に両親が葬儀の準備をしなければならなかったのと、私がともにいるべきだと思ったからです。

 マケドニアでは人が死ぬと、数多くの習慣や儀礼がかかわってきます。

 年老いた家族が病み、死期が近くなると教会の司祭を家に招きました。司祭に来てはもらうものの、その目的は教会で行われる罪の懺悔ではなく、死にゆく者の旅の無事を祈ってもらうためです。最近はこうしたことも少なくなってきて、人々はますます死を恐れ、家族の一員を失わんとしている事実を冷静に受け止めることができなくなってきているようです。その代わりとなっていることの1つが、親族のために弔いの衣装を、死者のために新しい装束を購入することです。

 死期が近いと感じた当人は、通常、息子か娘に家族の指輪とか、家族にとっての大切な物を与えます。この行為は、古代から現代につながる風習ということができます。死が近づくと近親者が呼ばれ最後の別れをします。これは、時には一晩中部屋の外で魂の解放を待つという、ひどく苦しい場面です。亡くなると、程なく友人や他の親族にも知らせが届きます。皆、その知らせをきくとすぐに死者の家にやって来ます。

 弔いの衣服は普通、極めて簡素で、黒のズボン、スカート、靴下とリボンです。すべては黒です。それは装飾品も例外ではありません。しかし、死者には白の下着とお気に入りの服や新調した服が着せられます。

 人々は死者の家族に弔意を示しに、短時間でも職場を離れます。たいていの人が花を持参するので、死者が安置された部屋はすぐに花と蝋燭でいっぱいになります。連絡を受け、葬儀社が棺を持ってくる。遺体が棺に納められる前に清めの儀式がある。私はこれには立ち会ったことがないので、この場面について述べることはできませんが、近親者と死者の扱いを心得た年配の女性が、全行程を取り仕切るのです。

■日本のやり方と似た「北枕」の慣習

 遺体は清められると薄化粧が施され、新しい服を着た遺体は棺に入れられます。棺は西あるいは北向きに置かれます。このやり方は極めて重要な約束事です。私は、同じルールが日本でも守られていることを知ったとき、とても興味深く感じました。生きている人は毎朝太陽を拝めるよう、常に東枕で寝なくてはいけないが、死ぬと北向きに寝かされる。マケドニア人の太陽崇拝は大変古く、古代信仰では太陽神は主神です。太陽への執着はマケドニアの国旗にもみられ、古代王位の象徴です。日本人と通ずるものがあるのでしょうか。

 西か北枕で棺に入れられた遺体は、そのまま自宅に一晩置かれます。マケドニア人は決して死者を死んだその日に葬ることはありません。一晩自宅で眠る遺体の前に人々がやって来て、あたかも生きている人に話しかけるように声をかけます。埋葬のとき、いっしょに墓に入れてほしいと思った食べ物や物品を持って来る人もいます。彼等は、死者は先に逝った親族と出会うのでことづてを頼むことができると、どこかで信じているのです。

 翌日、遺体は聖歌と祈りが行なわれる教会に運ばれます。遺体は祭壇前に安置され、司祭は死者を送るために聖書の詩編を読みます。私が子供の頃から記憶している忘れられない言葉は「塵にすぎないお前は塵に返る」(旧約聖書・創世記)です。会葬者たちは蝋燭を手に遺体を取り囲みます。その蝋燭は後ほど、死者のために設けられた蝋燭置場に置かれます。会葬者は、多くの場合死者の頬や額へのくちづけをして別れを告げ、儀式は終わります。

 棺の蓋が閉められ、埋葬墓地へと運ばれます。死者の名を刻んだ木の十字架を持った若者が先頭を歩く。その後に、若い女性が甘く茹でた麦と赤ワインを持って続く。それは埋葬の後にふるまわれます。司祭が最後の詩篇を歌うと会葬者は罪を許したまえと口々に唱えつつ、土粒を棺に置く。そして甘麦と赤ワインや清涼飲料が出されます。飲食の前、死者の名の魂のためにと言いつつ、食べ物、飲み物が地面に注がれます。埋葬後、会葬者は墓に近いレストランに向かい、ささやかなもてなしにあずかるのです。

■40日間地上に留まる死者の魂

 外国人を最も驚かせるのが死者に対するマケドニア人の悲しみ方ではないかと思います。

葬儀でなき悲しむ婦人たち
葬儀の場で、泣き悲しむ婦人たち。

 人々が死者に向かって断腸の思いを述べつつ泣き悲しむ声がとても大きいので、死者と生前会ったことがない人でも涙を誘われます。私はこれは、マケドニア人の死への姿勢を反映していることのように思います。キリスト教に従えば死は必然であり、死後、魂は創造主のもとに帰ります。死者の魂は先ず煉獄へ向かい、天国行きか地獄行きかの神の審判を待つことになりますが、死は魂を肉体の痛みや脆さから解放するのだから恐れるに足りません。これに対して、マケドニア人は死者の魂は40日の間は地上に留まると信じているのです。近親者は40日間は墓参をし、花と飲食物を供えます。死者の母親は1週間、公共の場では黒いスカーフを被り、その後40日が過ぎるまで首の周りにそれを結びます。死者の家では、しばらくはラジオを聴いたりテレビを見たりしません。人々は、死者の魂が天国で休息出来るように祈るのです。

お墓
初春の一日、墓前に近親者が集まる。

 教会の大事な礼拝日の前には、死者のための祈祷をあげ、蝋燭を灯し墓参をして花を飾ります。両親が亡くなっている場合、子供は結婚や家を新築する際には、墓参りをして祝福に参加してもらいます。死後1年間は結婚を控えます。時には墓地で親族の集まりをし、死者と共有した楽しかった頃を思い出しつつ軽い昼食をともにします。食事中は、死者も蘇って話に参加すると思われているのです。通常、初春の1日、近親者はどっさり食べ物を携えて墓参りをします。一晩中そこで過し、周りの人々と一緒に飲食をします。墓地には蝋燭が点され、独特の落ち着いた雰囲気が醸し出されます。人々は、その日は魂が下界を訪ねて親族たちと飲食し、早朝には天国に戻るようマリアさまが神に頼むと信じているのです。

 この習俗を、有名なマケドニアの映画監督、ミルチョ・マンチェフスキは映画作品、「シャドウズ」(2008)で扱っています。死に関わるこれらの儀式は、マケドニアの文化と伝統の重要な構成要素なのです。

■一部で取り入れられ始めた火葬

 マケドニアの現在の葬送に関する法律は十分でなく、葬儀社は市場での公正な競争を保障する新しい法律制定をめざしています。待たれているのは、死後の扱いに関連した業務の国内及び国際措置を規制する法律です。通常、遺体はすべて棺に収め、埋葬するという伝統的方法で行われます。最近、環境問題への関心から火葬も採り入れられ始めてはいます。が、死と葬儀に対する人々の考えは極めて保守的であり、変えることはむずかしいようです。私個人は、もし政府が新しい考え方を示し、提案していけば次第に世論も変わっていくのではないかと考えています。環境意識の高まりや死について冷静に合理的にとらえていこうとする動きが、葬儀の方法の改善や社会の変化をもたらすと思うのです。

                      (原文は英語=柴田ひさ・訳)

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アンドリアナ・ツヴェトコヴィチ(Andrijana Cvetkovik )1981年生まれ。マケドニア出身。
ブルガリアのクリスティヨ・サラホフ国立舞台映画芸術アカデミーで映画・テレビ監督の修士号を得たのち来日、日大で芸術学の博士号を取得し、同大研究員。短編ドキュメンタリー作品の製作、監督を手がけてきた。現在、葬送の自由をすすめる会の記録映像の製作に携わっている。

「再生」第68号(2009年6月)

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