あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第19回  死神無情

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字・イラストも)

 死神はまた、餌をとり逃がしたようだ。

世の中にはポックリと亡くなる人もあり、死にそうでなかなか死なない人間もいる。6年前、癌で死ぬべきだった私はまだ生きていて、今回も10月19日、もう一度あの世に行く機会に恵まれた。年齢からいっても、これは絶好のタイミングだったのに、しかし私は死神の手から逃げ切った。

死神無情

今回はたくさんの方に迷惑をおかけした。自分の不摂生が原因でのこの始末なのであるが、くわしく述べて、迷惑をおかけしたことのお詫びとエンマ様への報告としたい。じつは私はいま病院にいる。首にはまだ点滴用の針がささったままなのである。

仙台支部の講演を終えて東京に戻り、ハメを外したのがいけなかった。10月18日、近くの病院に担ぎこまれたときは、歩行はほとんどできないし、記憶も半分はなかった。しかし私は覚えている。医師は端正な若い方だった。「ナニ、明後日北海道に行く?? すぐ中止してください」。だってまだ3日もある。その間にこのくらいの病気ならなおせるでしょう。もちろん口には出ないが、そんな顔をしたと思うのだが、しかし女房と医師の話はもっと深刻な方に進んでいた。

万一のときの遺体の連帯引受人の連絡先。これはなんとかすんだ。延命治療をどうするか。医師の問いに女房は即座に答えた。「必要ありません。すぐツブして下さい」。ツブすとは鶏を殺すことなのだ。長年つれ添ってきた旦那を、そうかんたんにツブせるのだろうか。私はずっと生き続けたいと思っているのに、だ。考えてみたら女房は酉年の生まれだった。

病んだ1本の葦も生き続けようとする。人も死に直面すると生きたいと思うもの。そりゃ健康なときにはなんとでもいえる。しかし病人はみんな心の中に闇を抱えた人たちだ。絶望するか、生きるか、そのどちらかだ。延命治療するか否かを病人が決めるのには勇気がいる。瞬間、私にはその勇気が鈍った。

一週間たって、私はやや正常になって、自分の状態がほぼ理解できるようになった。北海道は会場の設定やチラシの用意、新聞社への手配などがすんでいるのに突然の中止である。ただではすまない。じつはこれで昨年に続いて2度目なのだ。

2、3日たって、北海道支部の責任者、塩崎氏から封書が自宅に届いた。覚悟はできている。看護婦たちの足音が絶えた深夜、封を切った。そこに綴られた塩崎氏の文面には、私を責める言葉はなくて、病気の見舞いと、私の健康への思いやりだけが綴られていた。人間の信義を裏切った者への、これは神の返事なのだろうか。塩崎氏の深い配慮が心に沁みた。

この会誌が出る頃は、たぶん退院して元気になっていると思う。こんどこそゆっくり北海道へ出かけて、墓の成立など、しんみりと語りたいと思っている。いいえ、酒はもう飲みません



再生 第83号(2011.12)
--------------------------------------------------------------------

酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

logo
▲ top