あの世への散歩道シリーズ

題字:あの世への散歩道

第9回 死者に会える島

                         民俗学者・酒井卯作
                         (題字・写真も)

 少し悲しい話をしよう。長崎県五島列島に三井楽(みいらく)というところがある。ここは平安朝の昔から死者に会えると伝えられたところです。下五島の福江市から、さらに西の果てにある三井楽の向うは、茫漠として東支那海が広がっていて、かつて遣唐使がここで船待ちしたと伝えられたところです。

 この三井楽を有名にしたのは、11世紀の「かげろふ日記」(上巻)です。この作者の母親が亡くなったとき、念仏僧たちがこんな話をしていました。「どこかにみみらくというところがあって、そこに行けば死者に会うことができるそうだ。ただ、近くにその姿が見えるので、近づこうとすると消えてしまう。遠ざかるとまた現れる。そんな不思議なところだそうだ」。それを聞いた作者の兄が

    いづことか音にのみきくみみらくの
    しまがくれにし人をたづねん

という一首を残しています。これは幻でも良いから、噂に聞くみみらくという島まで行って、亡き人に会ってみたいというものです。みみらくの島はよほど有名だったとみえて、その後12世紀になって、藤原俊頼の「散木奇歌集」という本にも、「みみらくがわが日の本の島ならば、今日も御影にあはましものを」という歌が残されています。おそらく死者の魂の行く世界は、海の向うだったのかもしれないという、仏教以前の日本人の信仰がそこにあったと私は考えています。

墓
長崎県五島列島の三井楽の墓。ここにはいろいろの人の死がある。

 三井楽の岬に立って沖を見ていると、なるほど水平線の向うに漂うものが、死者の幻なのか、カモメの舞なのか見間紛うほどに不思議を感じさせるのが、この三井楽の岬です。この岬には、迫害からのがれて来て、悲劇の生涯を終えたキリシタンたちの墓が、荒波を背にして立っているのも印象的です。

 死者の面影を追い求めてくる人たち、世をのがれて寂しく眠る人たち、そのいろいろの人生が眠る感情の姥捨の海を思わせますが、かつて作家の三好達治は「海よ、僕らが使ふ文字では、お前の中に母がゐる」といいました。たしかに広さと深さで人々の心を包む海は、亡き人の憩い場所としては、いちばんふさわしいところかもしれません。

 ごらんのように、かつての私たちの社会は、老いて果てた人たちに寄せる思いにも優しさがありました。今ではどうです。老人たちは、生きているときはホームに追いやっておいて、死んで墓に眠ってから、盆になると叩き起こして家につれて来て、やれ食え、やれ飲めだって。冗談じゃない。私だったら化けて出てやる。

再生 第73号(2009.6)
--------------------------------------------------------------------

酒井 卯作(さかい・うさく)1925年、長崎県西彼杵郡西海町生まれ。
本会理事。民俗学者。
著書
南島旅行見聞記 柳田 国男【著】 酒井 卯作【編】 森話社 2009年11月
琉球列島における死霊祭祀の構造  酒井 卯作 第一書房 1987年10月
稲の祭と田の神さま 酒井卯作 戎光祥出版 2004年2月
など多数。

logo
▲ top