会員総会記念講演

インフルエンザの流行と終わり

2018年会員総会記念講演
 国立感染症研究所名誉所員 吉倉 廣

 今日は老人という皆さんと同じ観点からお話ししようと思います。インフルエンザとはいったい何だというと、風邪とインフルエンザの違いがよく分からない。風邪の原因にはいろんなものがあります。ライノウイルス、コロナウイルス、アデノウイルスとか。RSウイルスなんか皆さんは聞いたことがないでしょうが、今年、富山県の老人介護施設で集団発生がありました。入所者46人の56%がかかったけれども、さいわい亡くなった人はいませんでした。
 風邪はわれわれ老人が病気になる原因として一番多いものです。風邪をこじらせると死に至る恐れもある。風邪の種類は多いけれど、必ずしもインフルエンザではありません。
 インフルエンザは鼻水やせきが出るなど、普通の風邪と症状がよく似ています。インフルエンザ・ウイルスの中で、重症なパンデミック(爆発的な流行)を起こすのはニワトリあるいは豚に由来するウイルスです。

ワクチンはどれぐらい効くか

 インフルエンザ・ワクチンがはたして効くのか効かないのか、よく聞かれます。ワクチンを打っても、インフルエンザではない風邪には効きません。ワクチンを打っても風邪はひきます。ワクチンがどのくらい効くのか正確に調べるのは難しい。今年の流行株はA型ですが、来年の流行に備えるためには前の年、つまり今年にワクチンを作っておかなければならない。ワクチンを作るには大量のタマゴを使いますから、とにかくニワトリが必要になります。
 そうして作ったワクチンが、来年流行するインフルエンザの型と違うことがあるから、年によって当たりはずれが大きい。一般的にワクチン接種の効果はよくて25%と言われています。50人いたら、そのうち10人ぐらいにしか効果がない、それ以外の人には効かないということです。
 接種される立場に立つと、そんなワクチン接種をよくやるねという話になります。ただインフルエンザに感染して重症になると、医療費がかかるし、中には亡くなる人も出てきます。死亡者のほとんどは70歳以上の高齢者です。
 一方、大きな人間集団で考えると、10万人のうち十分の一の1万人が発症しただけでも、その医療費は大変な額になります。ワクチン接種によって沢山の人が重症なインフルエンザにならないで済む、命を落とさないで済む、医療費の節約にもなる。だから国の立場としては、ワクチン接種をやったほうがいいというのが正直なところです。
 つまり、ワクチン接種を自分の立場で考えるか、集団の立場で考えるか、どちらから考えるかという問題であって、ワクチンを打ったから自分はもう大丈夫だという話ではどうもありません。

ウイルスはだんだん変異する

 2009年、私はFAO(国連食糧農業機関)の会議でカナダに行ったとき、新型インフルエンザを実体験しました。メキシコで豚インフルエンザが発生してアメリカに入ってカナダに飛んできた。成田に帰ってきたとき、機内に乗客の足止めをして、スターウォーズのダースベイダーみたいなマスクをかぶった検疫官が乗客の熱をはかって、2時間ぐらい機内に閉じ込められました。
 そのあと、兵庫と大阪の高校生が修学旅行で感染して帰ってきて、日本でも大騒ぎになった。治療薬のタミフルの買い占めや、タミフルの飲みすぎで飛び降り事故なんかがあって騒いだ割にたいしたことはなく、1か月ぐらいで普通のインフルエンザと同じようになって終わりました。日本での死亡者は数人、それも病気にかかっていた人や介護施設に入っていた老人でした。
 この新型インフルエンザはメキシコの豚の畜産場で始まったのですが、最初は1,000人がかかって70人が死んで、死亡率は10%に近かったのです。WHO(世界保健機関)は毎週、死亡データを公表しましたが、それを見ると最初は死亡率が10%だったのが、7%になり、5%、1%とだんだん減っていく。
 もし同じウイルスが広がっているならば、死亡率が10%でなければ理屈に合わない。私は非常に不思議に思ったわけです。結局、インフルエンザ・ウイルスは広がっていくうちに変異するということです。それならば、どういうウイルスが広がりやすいのか。
 ウイルスに感染した人が寝込まない場合、動き回ってウイルスをまきちらすので、次の人、さらに次の人へと広がっていきます。人から人へと感染が続くにつれて、寝込まない程度の軽症(毒性の低い)のウイルスがだんだん優位になっていくのです。
 ですから、最初は毒性の強いウイルスが出てくるけれども、広がっていくうちに病原性が弱いウイルスが優位になる。そして、やがて流行が終わるということです。そのことからインフルエンザの社会的流行を防ぐバリア(障壁)をあえて無理して作らなくても、いま言ったような経過を経て、次第に弱毒化していくことを見つけて論文にして学会に報告しました。

環境に左右される死亡率

 中国で出た新型ウイルスでも最初は重症で患者の三分の一ぐらい死にましたが、広がるにつれてだんだん弱くなった。メキシコと同じような一般的なルールが適用されます。ところが、最初のうちは死者が少なくて、あとから死亡者が増えていくというケースがあります。それはなぜか?
 弱毒化したウイルスであっても、抵抗力のない人の集団に入ると猛威を発揮することがある。インフルエンザの死者がどういう所で死んだか、調べたデータはありませんが、おそらくは介護施設とか病院といった、多数の人がいる閉鎖的な場所だろうと思います。こうした施設に入ると、囲まれた環境の中でいやおうなしにウイルスに感染してしまう。
 第一次大戦のあと、スペイン風邪が日本に来たときは、ある時期からあとになって死者が増えました。最初は軍隊の兵舎で、ついで製糸工場の女工さんの間で猛威を振るいました。どちらも囲まれた環境にいた人たちです。
 それから考えると、われわれのような高齢者の集団、老人が固まっている集団では、ワクチン接種をした集団としない集団を比べたならば、かなり結果が違うと予想できます。ワクチン接種をした方が死者は少なくなるはずです。老人ホームや介護施設に入っているお年寄りは接種したほうがよいでしょう。

決め手は体温の違い

 重症なパンデミックを起こすインフルエンザは豚や鳥に由来します。なぜ豚から人間へ、鳥から人間に移るのか。その理由は豚、鳥、人間の体温の違いです。人間は体温が36度、鳥は41度、豚は39度です。
 鳥で増えたインフルエンザのウイルスは41度でもっとも鳥に広がります。しかし、鳥はまったく平気で死ぬほどの症状はあまり起こしません。なぜ鳥を殺さないウイルスが人間を殺すのでしょうか?
 このウイルスが人間に来たときにどうなるか。まず鼻や咽喉、気管などの上部気道に感染しても、ここは温度が低いのであまり増えることができない。しかし、体温の高い深部の呼吸器、つまり肺に入るとそこで増殖するため、重症の肺炎になって死を招くことになります。
 インフルエンザ・ウイルスはいつも変化していて、自分が増えやすい条件になると爆発的に増える。人間を殺すような強力なウイルスであっても、鳥そのものにとってはまったく大丈夫なのです。
 こう考えると、インフルエンザに対するもっとも効率のよい対策は、人間にとって病原性の低いウイルスは広がるとともに弱毒化するのに任せておいて、病原性の高いウイルスが広がるのを抑えることだと思います。その根本的な対策はニワトリあるいは豚のインフルエンザ・ウイルスを常に監視していて、発生したときに速やかに対応することにあると思います。

(了)

吉倉 廣(よしくら・ひろし) 東京大学医学部教授を定年退官後、国立感染症研究所所長に就任した。1990年から最近まで中国のポリオ根絶計画に参加したほか、OECD(経済開発機構)バイオテクノロジー部会、WHO(世界保健機関西太平洋地区予防接種部会の副議長などを務めた。