「会員の声」 2009年
■「おくりびと」の男性と同じ気持ちに
渡辺輝弥(神奈川県厚木市)
「ホームページのページ」で安田会長が映画「おくりびと」のことを書かれていた。私も、アカデミー賞を受賞する前に2回、受賞後に1回、計3回も見た。映画鑑賞は私の趣味である。
6月中旬、郷里でわたしの実母が亡くなった。満99歳であった。ここ10年ちかく病院に入院したままの死であった。帰郷して納棺されている亡き母と対面した。形式的にだが死に水をとるために、最後まで面倒を見てくれた兄が棺の蓋を少し開けてくれた。私はびっくりした。これが99歳の母か。私には80歳くらいにしか見えなかった。
兄が説明してくれた。納棺師が死化粧をしてくれたんだよ、と。それで映画「おくりびと」を思い出した。そうか、これだったのか、と。私は感動して思わず泣いてしまった。こんな美しい母を今まで見たことがあっただろうか。ない。本当に美しい母だった。
映画のシーンでも妻を亡くした男性が納棺師にお礼をいっていた。「今までにこんなにきれいな女房は見たことがない。ありがとうございました」と。私も同じ気持ちだった。
そこで女性の方にアドバイス。葬儀は質素でお金をかけずに、納棺師に死化粧だけはしてもらってください。残された家族がとても気持ちが楽になり、葬儀が明るく楽しくなります。納棺師にたっぷり予算をとってください。
兄嫁に納棺師の死化粧はどのくらいの費用がかかったのですかと問うたのですが、葬儀社の請求書には細かく記入されていないので分からないとのことでした。
女性は死んでも美しくあってほしいですね。つくづくそう思いました。私の、亡くなった母の印象は99歳の母ではなく80歳代の母の顔になっています。
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■遺骨の「細粒化」で感じたこと
佐々木敏行(札幌市)
昨年11月「甲府再生の森」で、初めて散骨を体験しました。感想は「再生」72号に書きましたが時がたつにつれ、何か肝心のことを言い忘れているような気がしていました。それは、お骨の細粒化作業の事でした。その作業の中で印象に残る出来事が、2つありました。
①作業を終えてみると骨ツボ内の焼骨には、柩に使われていた釘やホッチキスのかけらなどの思いもかけない異物が混入していたこと
②お骨を砕く作業そのものはあまり気乗りのするものではなかったが、砕いていくうちにボロボロになったお骨がきれいな砂粒状のものに変わっていったのは、思いがけない新鮮な驚きだったこと
異物は、写真の通り。ていねいに拾ったつもりでもこれだけのものが出てきたのです。ちなみにお墓や納骨堂に納めたままの人たちはこうした現実をどこで知ることになるのでしょうか。
砕かれたお骨は白砂青松の砂浜から採ってきたかのようなサラサラしたもので、よく見ればその1粒1粒に淡いピンクや水色が含まれていることにも気づきます。
このような体験から見えてきたことは、この作業を単に「散骨の前に済ませておくべき処理作業」というような味気ないものとして受けとめるのでなく、例えば「この作業によって遺骨から不純物を取り除いてあげられる上に、見た目にも美しい白砂にしてあげられるのだ」というようなもっと前向きなとらえ方をすることで、これが「遺族だけで出来る最期の大切なセレモニーでもある」ということを、会の多くの方が再確認し、共有できるように進めていけたら、ということでした。
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■人々の間に静かに浸透する運動の広がり
喜多村蔦枝(東京都羽村市)
5月26日は2年前、亡き夫の骨を西多摩再生の森にて自然に還した日です。命日とともに私には忘れられない日となりました。
計り知れないほどのお墓の悩みを経て、散骨を決心し実行できたことを、今でもうれしく思っています。
普通、人は墓地に納骨した日を覚えてはいないでしょう。納骨ではなく文字通り自然に還したからこそ、またその日の散骨で感動したからこそ亡き人が甦ってくるような気がして、大事に思いたい日となったのかもしれません。
「どうです、私には1年に2回も亡き夫との特別な日があるのですよ」と言いたい気分になっております。おかしいでしょう。
さて昨年のこの日は、お墓の苦悩を綴った『風の音の 墓から自然葬へ』を上梓しました。すすめる会の会誌「再生」も取り上げてくださり、ありがとうございました。
本を読んだ方から、散骨をした何年か後で気持ちが揺らがないか、後悔しないかを考えて、それで踏み切れないといわれました。
本にも書きましたように、その恐れが十分にあったので私は亡き夫の骨灰をほんの少し残して、小さな壷にいれ戸棚に置いてあります。
2年たった今、この壷を完全に忘れているのに気づきました。大抵は遺影を眺めて暮らしているのです。遺影に言葉をかけます。
「散骨できてうらやましい。私にはとてもできない」という声は、「人並みに」という日本人のものの考え方によると思われます。
この状況を考えると、葬送の自由をすすめる会の存在は力強く思います。散骨が人並みになるまで、まだまだ苦難の道と思います。「自由」という観点から、静かに人々の間にゆっくり浸透していくような運動の広がりをうれしく思います。
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■市民後見人の勉強を続けています
小沼佳子(東京都北区)
成年後見人学習会ではお世話になりました。その後も後見人の勉強を続けたいとあちこち情報収集をしたところ、東京大学と筑波大学合同の「市民後見人養成プロジェクト」が立ち上がったことを知り、東大の教室で学習に入っています。
このプロジェクトは、文部科学省から予算をえて、市民後見人活動への高いハードルを越え、分かりやすく勉強したり、利用したりすることができるように考えられたプロジェクトです。
葬送の自由をすすめる会の学習では、後見人業務の難しさ、大変さの側面が強調されたように思います。しかし、その仕事には必要性があり、将来ますますその度合いが増すことははっきりしています。このプロジェクトは、勉強の難しさを強調するより、いかにして町中に大勢の「市民後見人」をおき、身近な制度として利用していくことができるか、が狙いです。
何の資格がなくても、「市民後見人補助人」として弱者をサポートしていく人材養成をめざし、学習後はNPO法人としての「市民後見センター」をつくって、社会保障の一環を担う仕事を開発していく計画もあるようです。
先の学集会に参加した方や、興味のある方にお知らせしようと思いました。
<“再生”編集担当から>
会は、昨年秋から有志15人による「市民後見人」勉強会を毎月1回のペースで開催してきました。その経過は、「再生」71号で呼びかけ人の大沢周子さんが報告している通りです。
小沼さんが参加されているプロジェクトは、東大と筑波大が、文部科学省の「社会人の学びの直し」委託事業としてすすめているものです。座学、インターンシップ、自主活動、ワークショップなどで構成され、総時間数125時間を、およそ9ヶ月で学ぶ内容です。修了者には修了証が出されます。
第一期生は3月からスタートしていますが、第二期生も募集し7月から研修に入る予定です。
詳しくは
東大(東京文京区本郷)の「市民後見・福祉信託プロジェクト」事務局
(電話 03-5953-7010)へ。
