会の運動20年と現代日本の葬送
宗教学者・島田裕巳さんと安田会長が対談
葬送基本法を視野に市民目線で社会的議論を
![]() |
安田 久しぶりです。このところ、頑張っておられますね。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)はどれくらい出ましたか。
島田 29万部です。本が売れたこともありますが、出た後の影響がすごいですね。
安田 ちょうど20年前、私が朝日新聞の「論壇」に「『遺灰を海や山に』は違法か」と書いたとき、大きな反響があった。あのときの社会状況と20年たった今の社会状況がありますね。
島田 「論壇」は1990年9月でしたっけ。あのころからすべてが変わったのではないでしょうか。
当初は、人間の本質に係わる問題ともとらえられた
安田 葬送の自由をすすめる会を1991年2月に立ち上げて問題提起をしたのは、葬送の自由ということと自然葬ということです。墓埋法があって死んだら墓に入らなくてはいけない。焼いた骨も墓に入れなくてはいけないことになっていて、石原慎太郎さんが裕次郎を海に流してやろうと思ったのにダメだった。宗教学者はともかく法律学者も葬送の自由ということをあまり認識していなかった。
会がスタートした年の秋に第1回の自然葬をやったら、京都大学の学生が連絡して来て、1993年でしたか、文化祭でシンポジウムをやった。その時に島田さんとお会いしましたね。講師には他に東北大学の日本思想史の佐藤弘夫さんもおられた。
島田 あの学生は実は創価学会のサークルでした。当時、創価学会には必然性があった。日蓮正宗と別れて、友人葬ということで、戒名なし僧侶なしという形態に踏みきる時期でした。
安田 それは知らなかった。
島田 京都大学でのシンポ自体はまったく創価学会色はありませんでした。
安田 案外たくさん来て驚きました。京都に新しい風が吹くんだというような盛り上がりがありました。いま、われわれの会は若い人の入会が少ないが、当時はそういうことに関心をもつ人が多かった。若い研究者が興味を示してくれた。単なる葬儀の問題というより、人間はどこからきてどこに行くのかというゴーギャンのような、人間の本質に迫るような問題意識があったと思う。
島田 最初は『愛すればこそ自然葬―墓なんかいらない』(悠飛社)という本でしたね。運動は、伝統的というか因習的な人間の葬り方に対する家のあり方、社会のあり方に対する一つの批判という風に受けとられた。単に葬儀だけではなく、もっと深いところに関係しているという認識が当初あった。とくにバブルが崩壊し、冷戦体制が崩れた平成の始まりの時代の必然性があった。安田さんたちが従来の法律の枠組みでできないと思われていたことをできるようにした。そういうところへの共感から人々が集まったと思います。
安田 弁護士とか大学の先生とか、市民運動をしている人とか多彩な人が集まった。遺灰をまくというだけでなく、葬送の自由が大きな問題だった。
島田 家社会への批判がみんなの中にあり、その象徴は墓であり、葬る行為であり、守っていかなくてならないという観念、あるいは社会的制度を打ち砕かなくてはというようなものを感じていましたね。
安田 社会学者の鶴見和子さんは、なぜ、墓埋法があるから自然に還ることができないのか、とはっきり書いている。そこから先をやられなかったが、鶴見さんも劇作家の木下順二さんもインド・ガンジス川のベナレスに行っていて、人間のとことん突きつめた姿を見て、自分たちもそういう形でやろうと思っている。木下さんは、友人の哲学者・森有正と一緒に母の遺灰をガンジス河にまきたいといっていた。どうしてかというと、国内では墓埋法があるのでやれないからだ。会の顧問をしていただいている宗教学者の山折哲雄さん、憲法学者の小林直樹さん、俳優で随筆家の沢村貞子さんとかが会がスタートしてすぐ連絡されてきた。沢村さんは、山を崩して作った墓には眠りたくないのにどうしたらいいのか、といって来られた。
島田 いまでは当たり前になりましたけれど、新潟・巻町のお寺で安穏廟という共同墓が初めてできたのもあのころ。私の『戒名―なぜ死後に名前を変えるのか』(法蔵館)が出たのも1991年です。いろんな意味で従来のやり方にとらわれず、いかに人を葬るかということにみんなの関心が移りつつあった。だから葬送の自由をすすめる会の運動は受け入れられ、衝撃を与えた。
日本人の遺骨執着ということ
本当にあるのかなと思う
安田 その社会背景をどう見ますか。
島田 みんなが都市に出て生活するようになり、村でやっていたやり方でないやり方がいいと考えるようになった。村社会は同時に家社会で、先祖供養を中心にして宗教が成り立っている。先祖を崇拝することで家のメンバーが位置付けられる。一方でしばる。家を継ぐ、田を継ぐのは長男だけとかの文化があった。戦後の高度成長時代に、次、三男が都会の方が豊かになれるかも知れない、自由を謳歌できるかも知れないと大量に出てきた。そういう人たちが都会で居所を定め、自分の葬儀や親を葬ることに直面しなくてはならなくなった最初が1990年代の初めごろだったと思う。いままでのやり方でない、せっかく都会に出て自由を謳歌したのだから家社会にしばられたものではないのがいいと考えた。それに、死者が出た時、それをどう葬っていいかということが、都会に出てきた人間には経験がないのでわからない。墓もなければ、仏壇もない、それに菩提寺もないというのが一般的でしたから。
安田 再生の森という構想をたてて、それが葬送の自由と自然葬を考えるきっかけになりました。島田さんも調査をされていた山梨県の丹波山村、小菅村に僕も行きました。再生の森構想は、都会の人間の遺灰を山に還し、そのときに基金を積んで山や村の復興に役立てたらどうかということだった。あのあたりは土葬地帯です。遺灰を山に還すこと、そんなに嫌悪感はないのではと思った。
都の水源林の木を切ってゴルフ場、スキー場にするリゾート開発の案ができていた。バブルの終わりの頃で、まだそういうことが考えられていた。都会の水の使い方は激しい。なくなればすぐダムをつくるという考えかたに僕は反対でした。過疎の村と都会が折り合っていかなくてはいけない時に、都会は墓地不足だと大騒ぎしていた。そこで再生の森を考えたのです。土葬地帯でも遺灰を山に還すことについて、違和感があるのですね。
島田 そういう習俗自体がない。土葬地帯は、村の人たちが自分たちの共同墓地に遺体を葬る、土葬する。火葬するということがないから、遺骨、遺灰をどうするかという文化が成立していない。外の人たちと自分たちとの間の区別は強い。葬式だとかその後の盆や法事、法要を手厚くやる。新盆には、ものすごい数の人があの村でもやってくる。1軒で何千人とかになることもある。葬儀は村社会をつくる根幹をなしている。ここに異なる葬送習俗が入って来ることに対しては、おそらく、よそ者をどうしていいか分からないということになるのでは。
安田 小菅村の大菩薩峠の近くで実際に自然葬をやりました。われわれは水源林を切ることに反対ですので、水源林を守らねばならない水道局は助かる。恩義を感じたのか、水をやっている人は自然に還す摂理を理解できるということからか、まいてもいいですよ、と。許可を取ってやったことだったので、現地からの抗議が水道局に行った。村長は初めは賛成のようなことだったのですが反対を申し入れた。水道局もちょっと様子をみますかということになって、今はもうやっていませんけれどね。
島田 小菅にしても丹波山にしても何も資源がない山村です。経済を支えてくれるものがほしいが田はつくれない、コンニャクとソバしかない。あとは村役場か農協に勤めるしかない。人口は減る。観光誘致のため何かしたいというのがある。他に打開策がないじり貧の状況です。
安田 遺骨崇拝というか、お墓崇拝というか、村で墓を大事にするのは分かる。遺骨崇拝とお墓崇拝は関係がありますか。
島田 遺骨崇拝というのはないと思う。土葬は基本的に遺骨とか墓が残らないシステムで、埋めたらそのままです。葬るところと家の墓は別です。
安田 土葬だから自然に還る。土葬をしていて遺灰を自然に還すことは違和感を覚えるということにはつながらないと思う。
島田 経済的、政治的理由は別にして、遺骨を自然に還すことへの抵抗は基本的にはないでしょう。
安田 北海道などで、灰をまくと地下水が汚れるといわれることにも関係するかと思って聞きました。
島田 日本人は遺骨に対する執着があるといわれてきた。本当にそうかなと思う。戦争で亡くなった方の骨が海外でそのまま残っている。それを収集する。そのことがあったので日本人は遺骨に執着があるという話ができ上っている。でも、日本人が遺骨に執着しているような兆候は他にはないのではと思う。
火葬、墓加工の技術がすすみ
より墓にしばられるようになった
安田 柳田国男が日本人はみんな自然に還ってきたといい、このまま墓をつくっていったら墓だらけになるといっている。
島田 柳田の影響は確かに強い。『先祖の話』は、戦後すぐに出ました。あれで日本人の先祖崇拝がうまく説明できました。彼の合理主義からいうとこうなるということです。しかし、本当に日本人がああいうこと信じていたかというと、怪しい。
安田 「人は死ぬと山に帰る」こと?
島田 そういう観念はあまりなかったと思う。私は、戦後に一番問題になったのは火葬の普及だと思います。遺骨が残ってしまう。火葬技術が発達して強固な骨が火葬場から生産されるようになった。骨上げという儀式が一番の問題です。これがなければもっともろく焼くこともできる。
安田 骨上げ儀式はどこから出てきたのかな。
島田 火葬が普及して、火葬場の儀式として普及したのです。火葬葬場でやる儀式はそれしかない。骨がきれいに残るようになっている。3年前に父を亡くしたが、実にきれいに焼きあがっていた。こんなにきれいに残すのは日本だけではないか。家墓の普及は明治からだが、初めは土葬だから全部の家というわけではない。本格化したのは火葬になってからです。火葬システムが今の葬送文化を規定している。一番面倒なものと思う。
安田 明治国家は天皇制の家族国家をイメージし、先祖崇拝を大事にし墓を奨励した。そのために火葬が必要になった。
島田 家墓について、5つぐらい原因があると思います。一つは寺請け制、寺檀関係が結ばれ戒名をつける慣習が普及する。明治国家になって、家という観念を強調するようになり先祖崇拝が普及する。柳田国男が独自の考え方で日本の先祖教のようなものを作り上げた。火葬の普及。そして戦後、人工ダイヤが開発され墓石がつくりやすくなった。しかも中国などから輸入しやすくなった。これで家墓の今の形態ができた。戦後は家の規模が小さくなったにもかかわらず家墓を持つ。持てる体制ができてより広がりました。車の普及で遠くに墓を持つことも可能になった。
安田 明治の民法が祭祀権を家督相続の対象にし、先祖崇拝をいう。一度決めた自葬(神官、僧侶に依頼しない葬儀)禁止を、信教の自由を犯すと外国から批判されて撤回し、その代わりに焼いた骨も墓に納めなければならないと規定したのが墓埋法の起源です。明治の国家政策とそれを具体化した墓埋法で、洗脳されている。
島田 そこから脱していない。墓にしばられ、疑問を持っても解放されない。火葬技術、墓石加工技術に支えられてこうなっている。葬送の自由をすすめる会ができて20年を経て、自由になったかというと逆で、今の方がよほど不自由だ。人が死ぬと葬儀だけで231万円かかり、技術の発達で遺骨が残る。墓をつくって埋葬するしかない。それにより、年寄りや死者が生きた人間をしばる。死者の面倒やその費用、あるいは頭の中をしばる面を含めていかがなものか。昔より不自由になっているのではないでしょうか。葬式や墓というものについて、根本的にそれが必要なのか、社会的に問わなくてはならないと思います。
明治神宮が再生の森になるのが
道理としては正しい
安田 東京に出てきた人たちが2代、3代になり、東京を支えてきて死んで行く時代です。今、東京湾のゴミの島に海の森という森をつくる事業がすすんでいる。再生の森の再生は、死を踏まえ新しい生を迎えるということ。自然の循環に還って自分を生かすということで自然葬がある。そこで、ゴミを集め再生するなら人間も還したらと、この森での自然葬を都に提案している。東京を故郷と思う人も増えているのに、そういうことに東京は冷たいですね。
島田 臨海開発はバブルの墓場といわれていました。私は、1992年に建築家の藤森照信さんとの往復書簡を読売新聞でやり、どうせなら墓をつくれと書きました。墓にして、都市公園にして、故郷のない東京人の心の故郷にと。葬儀とか墓の問題は政治・行政の問題です。インフラをちゃんと整えないと安心して死ねない。墓に何百万もかかるとなると、老後の不安に死後の不安が重なる。行政の範囲で、墓までをちゃんとやれと議論する必要があります。
安田 上田篤さんという建築学者がいる。鎮守の森を守ろう、聖域にしよう、自然葬の森にして遺灰をまいたらどうかというので一緒にシンポジウムをしました。上田さんの考えは画期的です。ところが神道は血や死を忌み嫌う。上田さんはそこがネックといわれていた。でも最近、出雲大社の分社というようなところで樹木葬などといってやっている。
島田 森は運動の基本ですか。
安田 樹木葬というのは4平方メートルぐらいにまいているようです。われわれの会員はもうちょっと広いことを考えている。やはり、海の森に再生の森ができるといい。
島田 神社はそもそも誰のものかということがある。明治神宮なんて、国民の献金、献木、労働奉仕でつくられました。いまは、一宗教法人の運営ですが、国民がつくったのだから国民に返すべきだと思います。明治天皇は、京都から出てきて東京に定住して亡くなった人。東京人の先駆的な方です。明治神宮が再生の森になるのが道理として正しい。遠いところにいっても仕方ない。ゴミと一緒にまかれるよりいいのでは。
安田 そういえば、人間死んだらゴミといった検事総長がいた。確かにゴミだが、ゴミとはいわないようにしています。ゴミといわれるのはちょっとという人がまだいます。
島田 死んだ先のことにまで未練があるというのは、いかがなものでしょうか。究極的には死んでゴミになるというところまで踏み込むべきかもしれません。まだ私の場合、死ぬまで時間があるように思いますから、最終的にはそういうことをいい出すのではないかと思っています。死者に振り回される社会というのはいかがなものか。死んだらさようなら。魂は勝手に生きていなさい。でも遺体は粉にしてまいてそれで終わり、と。
安田 会の顧問の小尾信彌さんという天文物理学者はブラックホールに還ることができたらいいと。人間は死んだら無になるという。
島田 『葬式は、要らない』を書いていていた時、それほど葬式否定ではなかった。しかし、本が出ていろいろ言われ、面倒になったわけでもないですが、前よりも葬式や墓はいらないと思うようになった。私の役割は、そうした点をはっきりさせることではないかと思う。
墓も自然葬も自由という原則のもと
あらゆることを見直したい
安田 明治国家の政策で先祖崇拝や墓が奨励され遺骨崇拝の習俗ができた。しかし、みんなの意識がすすんで、法的に焼骨も墓に入れなければいけないといわれたにもかかわらず、20年前にそれが破られ、葬送の自由が確立され、自然葬は自由にどうぞとなった。それなのにまだ、法を主管する厚労省は踏み切らない。すでに自由に自然に還ることが認められているのに、なぜ焼いた骨も墓にと法律で規制しているのか。憲法違反ともいえる。なぜ、厚労省は具体的な問題提起をしないのか。少なくとも焼いた骨は問題がないので、墓埋法の焼骨も埋蔵せよという条項は削除する必要があります。
島田 葬送基本法というのと、墓埋法の改正と二つの道があるということですか。
安田 どうせ変えるなら、墓による環境破壊もあるのだから墓も自然葬も自由という大原則のもとにあらゆることを見直したい。
島田 僕は、死後の不安に対して政治がもっとアクティブになっていいと思う。
安田 どこから攻めるか。田舎から出てきた都民はいっぱいいる。今では東京は故郷と思っているような人に東京は冷たい。墓ぐらいただで用意するべきです。
島田 もっともです。そういうところから議論の場をつくったらいいと思う。老後の不安の先に死後の不安がある状況をいかに解消していくかということは、政治が機能しないとどうしようもない。死ぬ人はこれからふえていきます。社会保障のワクの中で考えなくてはいけない。
安田 島田さんの本が読まれていることをみても分かるように、人間の意識が変わってきている。金がかかる葬儀はいやだとか、沢村さんのように山を崩した墓はいやとか、少子高齢化、核家族化とかいろいろあった。今になって、格差の広がりとかNHKが無縁社会ということで取り上げた独り身の老人の孤独死など、もう一つ深化してきた。直葬などということも増えている。
島田 柳田がいっていたような時代ではない。われわれが死をどう考え、位置付けるかが求められている。どう意味づけるか、つけないのか。そういうことを改めてやる必要がある。よく高齢者の方は、葬儀に関して人に迷惑をかけたくないようにしたいという。ところが、今のシステムなら絶対迷惑をかける。
安田 今の人の考え方をいかにつくりかえていくか。葬送基本法制定を提起しすすめる中でわれわれの運動の目標ができる。議論をする中で考え方の変化も起きてくると思う。
島田 葬送基本法をつくることは、その前に、ある種の公的な議論の場が必要だと思う。その中で、人間をいかに葬るかを議論しないといけない時代に来ている。基本法もあるが、その前提として議論の場をどこにどうやってつくるかです。
安田 広い議論の場をつくることは、大変重要だ。これまでも「お墓をどうするか」といった役所の諮問委員会のようなものはあった。しかし、メンバーは業界団体やそれにつながる学者らが目立った。市民団体を入れるなど下からの視点を生かす形の諮問委員会がほしい。
島田 社会の関心が高いことは間違いない。


