会長室より   コラム

議員を先生と呼ぶのはやめよう 


                            安田 睦彦
                                

 「お互い先生と呼ぶのはやめましょう」-- 20年の運動のなかで、いろいろのシンポジウムを開いてきた。真っ先にパネリストの間で申し合わせるのが、この言葉である。それでもうっかりして「○○先生」と呼び、苦笑することも多い。会場の参加者にも言ってあるが、「先生」を連発するので困る。

 「先生」が乱用されているのが政界だろう。こんどの参議院選挙中、テレビで新聞でとさまざまな形で討論会が開かれた。消費税論議が白熱化。なかには相手の人格をおとしめるような発言もみられた。それでも「××先生」と呼ぶのは忘れない。一種の枕言葉のように使われていて、その「先生」にはまったく敬意はみられない。

 選挙中の街頭演説をみた。「××先生来たる」と大きなノボリがはためく中で、××先生は50人くらいの聴衆を前に熱弁をふるう。話が終ると聴衆のひとり、ひとりをつかまえて、だれかれなく手を握って話しかける。聴衆のなかから「××先生」と呼ぶ人たちもいて、進んで××先生の手をにぎり、肩をたたき、励ましの言葉をかけている。「××先生」といっても「××さん」という人は聴衆のなかには見られなかった。

 政治家を「先生」と呼ぶようになったのは、明治以降のことらしい。当時、自由民権思想を唱え、文字通り弟子を教え育てていた人が多く、弟子たちもひとりでに「先生」と呼んでいたものらしい。「先生」の"中身"に対する敬意、実力、人格への尊敬が伴っていた。この呼び名が時代とともに形ばかりになる。"汚職"をしても、平気で「先生」とよばれている。政治家はついに"厚顔無恥"の典型に成り下がる。

 「国会議員を先生と呼ぶのをやめよう」と提案したのは、私の記憶では、かなり以前に元日本社会党委員長の故江田三郎さんや、土井たか子さんらだったが、残念ながら多数意見にはならなかった。

 人間は弱い存在で、ひとから「先生」、「先生」といわれると、自分がすぐれた存在であるように錯覚しがちである。学校の教師はまさに先生だが、生後、児童からそう呼ばれているうちに何か仰ぎみられる存在だと思いかねないとその教師自身の反省の弁である。私は、いまでも小学校6年のときの担任の名前を胸に深く刻んでいる。先生はクラスの貧しい児童にたいして毎月こっそりと文房具を渡しておられた。私は偶然それを知ったのだが、級友に対しても黙っていた。その後、私は、そういう「先生」に残念ながら会っていない。    

2010.7.12