会長室より   コラム

漂泊、流浪への憧れと自然葬 


                            安田 睦彦
                                

 先日、事務所で自然葬の生前契約をされた会社員の男性と話をする機会があった。

 60歳定年を迎えて、本会の会員になった。死後の備えを考えてのこと。さしあたって次の仕事が見つからない。四国八十八ヵ所の巡礼にでも行ってみようか。仕事探しはそれからだ。

 世は高齢化社会。定年後20~30年は生きることになる。いわゆる生老病死(しょうろうびょうし)が一昔前より、ゆっくりやってくる。

 会員の中には、四国八十八ヵ所の巡礼をされた方が多い。なかにはもう3回もやったという"聖者"もいる。

 そのほか、教職にある会員から「現役をひいたら出家して雲水になり、諸国行脚の旅に出よう」という提案もあった。 会社やら、いろいろの"オリ"のなかで、自由を殺して生きてきたのだから思い切った自由な生き方を、というわけである。しかし、雲水というのは一種の乞食である。そして末路は「野垂れ死に」である。会員のなかにも「野垂れ死に」願望は多い。まずお釈迦様と同じ死に方だ。それになんとなく世俗にまみれず格好が良いということらしい。 いずれにしても、自然葬希望者には放浪、漂泊の旅への憧れが感じられる。

 それは日本人一般のものではないのか。 

「風になびく 富士の煙の 空に消えて
 行方も知らぬ わが思ひかな」
由緒ある武士の家に生まれ、結婚して子どもまでもうけたが、その家庭を捨てて出家した西行。

 「予もいずれの年よりか 片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず」
と「奥の細道」の旅に出た芭蕉。

 「分け入っても 分け入っても 青い山」「うしろすがたのしぐれてゆくか」
最近、にわかに人気の出てきたのが、俳人、種田山頭火。すべてを捨て酒だけを友に全国を乞食、放浪した。

 漂泊、流浪へのあこがれは、いまも現代の歌謡曲の主調音である。

 「北へ帰る旅人ひとり」「あすはいずこの町か」- 旧制旅順高校の寮歌で、後に小林旭が歌って世に広がった「北帰行」(作詞・作曲: 宇田博)。

 「川は流れてどこどこ行くの」「人も流れてどこどこ行くの」- 喜納昌吉作詞・作曲の「花」 沖縄だけでなく日本全国でヒットした。

 映画でもいえる。

 爪楊枝を口にくわえ、合羽を風にゆらせながら山道をゆっくりと次の目的地へ歩み去る木枯し紋次郎。紋次郎役の中村敦夫は自然葬を愛する一人だ。

 昔いわれた「神隠し」など、それと関係があるのだろうか。 柳田国男の「山の人生」にも、不意に山中に姿を消し、何年かたってひょっこり戻ってくる女性たちのことが記録されている。

 集団ヒステリーなどと呼ばれる近世の「おかげまいり」「ええじゃないか」など。大挙しての神社参詣も漂泊願望の流れにあるのではないか。

こんな旅立ちもある、

 60年(昭和35年)安保闘争で学者、文化人たちの運動の中心にあった歴史学者の上原専禄(1899-1975)。 運動の過程で友人の裏切りに会い、妻の死なども重なって71年(昭和46年)6月、知人たちに「妻のため回向三昧の旅に出る」と手紙を出して、行方を絶った。75年(昭和50年)10月26日、京都で肺がんで死去したと、死後3年7ヵ月して娘さんから公表された。その折に「遺骨を苔寺にひそかに埋めた」ことも明らかになった。(山田風太郎著「人間図鑑」徳間書店)

 「死」を伏せよ。という知識人、文化人も多い。会員だった劇作家の木下順二、俳優・エッセイストの沢村貞子、会員ではないが漫画家の長谷川町子、作家の五味川純平ら。

 さて、最後になって一人忘れていませんか。日本人の放浪願望の象徴、"寅さん"こと車寅次郎である。

 寅さんは、文字通り日本中をさすらい、毎回失恋する話だが、庶民の涙と笑いがある。山田洋次監督によって50作近く作られ、文字通り日本人の心を丸ごとつかみ、根強い人気を保った。

 "寅さん"を演じた渥美清は、国民的俳優となったが、本来は照れ屋。妻に「死んでも公表するな」と頼んでいたという。実際はまったく違った展開になったが・・・・・。 車寅次郎も、渥美清も自然葬を望んだのではないか - と私は勝手に思っている。                                   (敬称略)   

(2010.2)