いまも残る「死」への不浄観
映画「おくりびと」をみて
安田 睦彦
映画「おくりびと」をやっと見た。
日本映画として初めて米アカデミー賞外国映画賞を受けたということで、マスコミは大変な騒ぎになった。直後から映画館にも長い行列ができるようになった。私は騒ぎがおさまるのを待って、5月はじめに“やっと”銀座の映画館でみたのである。300席ぐらいの座席が2割ほど埋まっているだけで、ゆったりと鑑賞できた。
「おくりびと」はお棺の中に遺体をきれいにして入れる「納棺師」を描いている。原作は青木新門さんの「納棺夫日記」で、出版されてまもなく、本会の機関紙「再生」でも取り上げたように覚えている。
本木雅弘さん演じる主人公は、オーケストラの元チェロ奏者で失業中。故郷の山形に帰ったが、思うような仕事がみつからず、心ならずも葬儀屋さんの納棺師の仕事につく。当初は仕事のことを広末涼子さん演じる妻にもいえず、苦しむ。まもなくうわさを耳にした妻に問いつめられて明かす仕儀に。そのシーンで妻は「けがらわしい」と夫の手を振り払う。ここは大事なシーンだが新聞などの映画評では見過ごされている。
日本では「死」「死体」「血」などについて「けがれ」という観念が昔からあって神道の歴史にも深くかかわっているようだ。「死」に対する不浄観は、死に関する職業への偏見としても世間に根をはってきた。それは今もある。
妻にも自分の仕事を説明できずに悩み、妻と同じような偏見にとらわれていた主人公が、人間の命や死の尊厳にめざめ、亡くなった人を悼み、遺族の気持ちにそってやさしく葬ることの大切さを知る。そして納棺師の仕事に次第に誇りと自信をもつようになる。
実家にもどっていた妻も、いろいろの出来ごとを経て夫の仕事の大切さと、夫の心の変化を理解するようになる。やがて「夫の仕事は納棺師です」と平気でいえるようになるのだ。
もう1つ大事なシーンがある。
火葬場で亡くなった人を焼く場面だ。火葬炉のなかで火に包まれる故人が写し出される。それを炉ののぞき窓から見ながら、係員が遺族にいう。「新しい旅立ちです」と。映画の英語名もDepartureだ。
本会がスタートする前年の1990年の夏、私たち仲間は遺体を焼く様子と、焼いた遺骨の処理状況を見届けるために、東京・江戸川区の葬儀場を訪ねた。火葬炉ののぞき窓から93歳の女性がガスバーナーの火で焼かれるのをみた。美しい白髪の頭部から、火はじわじわと体全体を包みこむように燃え上がった。93年間の人の一生がいま燃えつきようとしている。別世界への荘厳な旅立ち、といった不思議な感動を私も覚えた。
10数年前、会員とともにインドのガンジス河畔のベナレスを訪れた。暁天のもとで、木組みの上にのせられた遺体が焼かれていく火葬をみた。遺体への未練はなく、天に還る魂だけが問題であった。ここにはまた違った感動があった。
(2009.5)

