会長室より   コラム

「墓作らず灰にして海へ」志賀直哉の願い空しく
浜田庄司作の骨ツボごと盗まれた遺骨

          

                         安田 睦彦

 3月も半ばになると“小説の神様”志賀直哉(1883-1971)の遺骨盗難事件を思い出す。

 直哉の遺骨が骨ツボぐるみ東京・青山霊園から盗まれたのがわかったのは、1980年(昭和55年)3月16日の昼すぎのことだった。その年の1月に亡くなった志賀夫人の納骨の際に墓石をあけてみてみつかったのである。

 所轄の赤坂署は墳墓発掘、遺骨遺棄、領得の疑いで捜査に入った。

 犯人は、著名な陶芸家の浜田庄司(故人)がつくった骨ツボ目当てか、熱狂的な直哉ファンの仕業か、とみられた。また120キロもある墓石をひとりで持上げるのは無理だから、複数犯という見方が強かった。

 事件発生から3日ほどして、300メートルほどはなれた霊園内の草むらに散乱している遺骨(焼骨)がみつかったが、直哉のものかどうかは不明だった。結局、犯人はわからずじまいに終わった。

 盗まれた骨ツボは、昭和20年代に直哉が浜田庄司に頼んで夫人と対でつくってもらったもの。いすれも黒のうわぐすりをぬった耳つきの益子焼で、直哉のツボは高さざっと40センチ、夫人のはひと回り小さかった。ふだんは志賀家の食卓におかれて、砂糖ツボに使われていたという。

 直哉の葬儀をとりしきったいきさつを「葬送の記」に書いた作家の阿川弘之によると「しっかりしたきれいな骨が、浜田庄司作陶の大きな骨ツボを満たして尚余った」。

 「私は灰になった後でも、焼き場のきたない骨ツボに入れられることは厭わしく……」と浜田庄司に骨ツボを焼いてもらったいきさつを「実母の手紙」(1948年)にしるした直哉はさらに続けて「私が死んでも墓はつくらず、灰にして自家に置き、邪魔になったとき、海に沈めてもらいたい、と家人にいっている」とも書いていた。

 直哉は亡くなる直前にも「死んで築地の本願寺で盛大な葬式なんて考えただけでもいやだね」といっていたので、青山葬儀所で簡素な無宗教の葬式が行われた。それでも会葬者は葬儀告別式合わせて1200人に上った。

 いまも志賀直哉をしたって墓前で手を合わせる人を時おりみかける、と青山霊園ではいう。

 遺骨のない墓に頭を下げる人たち……事件のことを知っているのだろうか。複雑な思いはかくせない。

 余談だが、有名人の“墓荒らし”としては1971年8月に割腹自殺した作家、三島由紀夫の遺骨が東京・多磨霊園にあった墓から骨ツボごと盗まれたケースがある。3ヶ月ほどして、同霊園内の公衆便所わきの盛土のなかから遺骨だけがみつかった。

 また、1993年には漫画「サザエさん」の作者である長谷川町子さんの遺骨が、東京都内の墓地から盗まれた。熱狂的な町子ファンの仕業かとみられていたが、まもなく遺族にカネを要求する脅迫状が届いた。

 両方の事件とも、犯人はわからぬままである。
(2009.3)

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