会長室より   コラム

石田禮助の「卑」ではない遺言

          

                         安田 睦彦

 年金不安、防衛汚職、食品偽装、薬害肝炎……続発する事件の世相を京都・清水寺の貫主さんが「偽」の一字で切りとってみせた。

 「偽」の世相の主人公は人間である。人間の視点からいうと「卑」の一字で切りとれるのではないか。昨今、事件があるたびに会社や役所の幹部らが「申しわけありませんでした」と一斉に深々と頭を下げる姿が、テレビで毎日のように放映されている。「卑」という烙印を押しつけたい顔、顔ではないか。そういえばバブル期のころから日本人の顔が卑しくなったように思う。このところ「国家の品格」「女性の品格」などという本が売れているのも卑の裏返しなのかもしれない。

 「卑」と言う字に私はそれと正反対の男を思い出す。古武士のような“ヤングソルジャー”――それが口ぐせだった元国鉄総裁の故石田禮助さんである。私も取材でお目にかかったことがある。どこか人をひきつける魅力をもっていた。その人柄は昨年亡くなった作家の城山三郎さんの小説「粗にして野だが卑ではない」にみごとに描かれている。

 石田さんは三井物産の代表取締役を終えてしばらくしたあと、1963年に78歳で第5代国鉄総裁になり、マスコミの話題になった。はじめて国会で代議士連を前に「諸君!」と呼びかけてド肝を抜いた。「ウソは絶対つきませんが、知らぬことは知らぬというから御勘弁を。生来粗にして野だが卑ではないつもり」と自己紹介に入った。城山さんの本の題名もそこからとられている。

 また石田さんは総裁の給料返上で有名になった。「年間50億人という人命をあずかる職は、金をもらってやるべきではない」という聖職意識によるものだが、石田さんは本来「パブリックサービス」に属する仕事では給与を受けるべきでないと考えていた。商売に徹して生きたあとは世の中のために尽くす。そこでパスポート・フォア・ヘブン(天国への旅券)を与えられるのだと。国鉄総裁在任中に政府からの勲一等叙勲の話をことわったのもその心意気だ。

 1969年に国鉄総裁をやめ、国府津の自宅に引込んだ。9年後、93歳で天寿を全うした。葬儀は自宅で行われたが、故人の遺言通りにきわめて簡素なものであった。

 日ごろから家人に対して遺言として簡素な葬儀をと指示していた。

(2008.2)