遺族の感想文

遺族の感想文 第851回(2004.7)~


第885回・特別合同葬

7年間の思いを実現
(岩根悦子=故人の長女)

 母を、墓でなく自然に還したいというぼんやりした考えが、会にお世話になるかたちで実現しほっとしました。

 本来はこの春の特別合同葬の予定でしたが、ひとり娘が大風邪にかかり、自然葬の前夜に悪化してしまいました。そうしたトラブルの後で、今回は今度こそ無事に済ませたいと緊張感も大きかったのですが、シーボニアマリーナに着くと、穏やかな海の様子に徐々に薄らいだようでした。

 夫と2人での参加でした。ご一緒する皆さんと集合場所でお会いし、いくつかの説明のあと、安田会長が「きょうのこの日を迎えるまで、それぞれの道のりがあったでしょう」とあいさつをなさいました。簡単な言葉の中に深い思いやりが伝わってき、こみ上げる思いを静かに胸におさめることができました。


第891回・自然葬

兄夫婦を江の島沖で送る
(山本章夫=故人の弟)

 10年前に妻を亡くし、子どもがなく一人暮しをしていた兄は、遺言で通夜、葬儀、告別式は無用、遺体は直ちに自治医科大学へ献体、遺骨は妻正子の遺骨とともに自然葬とすること、と私ども弟妹に託しました。

 海上は波立っていましたが、花びらがいつまでも浮かんで、兄夫婦の遺骨をいとしんでいるようでした。私ども弟妹のほか、兄の教え子が散骨に立ち合ってくれ心に染みる自然葬でした。


第892回・自然葬

「最後は自然に帰る」といった夫
(乙部弘子=故人の妻)

 台風10号の停滞により当日の朝まで実行が危ぶまれましたが、8月1日14時15分、相模灘にて無事夫の散骨を済ませることができました。初めのうちは波が高く、船は大揺れでどうなることかと心配しましたが、沖合いに着くと静かになり、美しく青く澄んでいて撒いた遺灰は海の底深く沈んでもひときわ白くいつまでも輝いて見えました。

 遺言状に「自然に生まれ、自然に生きたのだから、最後は自然に帰ることが私には相応しい」と、自由奔放に生きた人らしい言葉があり、生前から会の会員にもなっていましたので、私も子どもたちも迷いはありませんでした。


第894回・自然葬

思い出したカブト虫、クワガタ虫探し
(佐藤三郎=故人の父)

 10年前、元気だった母が「私は散骨する事に決めたから、その時はお願いね」と書類を渡しました。3人の娘を育て、千葉県に住む長女の近くで生活をしていました。私は3女で、神奈川に住んでいて、体調をくずしてからは、母のもとへ通っていましたが、だんだん私を忘れてゆく母の姿に帰りの電車でも涙が止まりませんでした。

 2月6日朝、夢を見ました。母と私が温泉に行く予定だったらしく、「私は先に行ってるからね」と母が言い、「仕事が終わったら後から行くね」と私が答えたところで目が覚めました。その日の午後、母は亡くなりました。砕骨は、姉と私と主人と子供の4人で行いました。握ったら崩れてしまいそうな、お骨でした。姉にも沢山の母への思いがあり、母のそばにいてくれたことを感謝しています。

 散骨の前日は、まくら元にお骨を置いてそい寝をしました。観音崎沖の海に白い粉骨が雪のようにふわっと広がって、緑の菊、ピンクのバラ、キキョウ、テッセン、墨田の花火などの花びらが小さい輪、大きい輪となって8の字を作ったとき、母の望みが叶ったのだと感じました。


第895回・自然葬

森の中での不思議な気持ち
(佐粧摂也=故人の長男)

 8月7日、甲府市の昇仙峡において父の自然葬を行いました。他界してからちょうど6カ月後の実施となりました。率直に申し上げれば、遺志とはいえやはり幾ばくかの迷いがありました。最終的に半年も引き延ばしたのはその現われだったのでしょう。

 当日の朝でさえ完全に納得していなかったように思います。しかし、実際に「再生の森」に足を踏み入れ、豊かな風景の中で父の骨粉を撒いていると不思議な気持ちになっていました。この感覚があってこそ故人と改めて向き合える、これこそが自然葬という行為の本質ではないかと感じた次第です。


第896回・自然葬

不思議な気分の残るまま
(近藤宏次朗=故人の養子)

 乗船してより葬送の現場までは、不埒にもピクニックのような浮かれた気分でした。ところが、いざ葬送が始まりますと、海の美しさ、風の爽やかさ、故人の望んだ音楽にあわせ、とても神妙かつ厳かな気持ちに変転しました。船から大海原へと遺骨を移し、花で飾り、とても清々しかったのを今なお思い出します。


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