第1053回・特別個人葬
雪の富士を中心に山々の望める海で
(中井恵理=故人の3女)
10月23日、秋晴れの中、相模湾で母の散骨をした。家族・親族11人での見送りとなった。
小網代湾を33フィートのヨットで10時に出港した。風とうねりが少々強かったが、空気が澄み、360度眺望を望める天気であった。雪をかぶりくっきりと聳え立つ富士山を中心に、湘南・江ノ島、伊豆半島の山々、大島、房総半島にぐるりと囲まれ、三浦半島城ヶ島へと続く。
どこへでもあっという間に着けるように思うほど近く見える。空は抜けるように青く、高かった。山と自然をこよなく愛した母の思いが通じたようだ。
約1時間のクルージングで相模灘へ到着した。ジブセールをおとし、ヨットを安定させた。弔笛をならし、姉妹3人で母を海へ還し、お別れをした。前日から用意した花びらを海へ流した。白、ピンク、黄色、水色の色とりどりの花びらが、海の上を帯となり、美しく最後まで10月の日差しを浴びてきらめいていた。
第1054回・特別合同葬
やっと黒潮にのせてあげられた
(浜田真理子=故人の妻)
台風で1ヶ月あまり延期となった特別合同葬も無事終わりました。当日は、午後から雨の予報でしたが、船上は薄日すら差して暖かく、参列した主人の妹と私は喜びあいました。
主人が亡くなって早2年になろうとしていました。やっと本人が望んでいた黒潮にのせてやり、宇宙からお借りしていた身体を生命の源である海にお返しすることができて安堵しました。これで主人も心置きなくあちらの世界で精進することができることになり、喜んでいることと思います。
まだしばらくこの世に留まらねばならない私どもは、故人の想い出をことあるごとに語り合いながら明るい気持ちで生きていきたい。それが供養になると思っております。今後、このような見送り方もあることを縁ある方々に知ってもらうようつとめてまいります。
第1058回・自然葬
思い出した迷いのない父の顔
(鈴木麗子=故人の娘)
「俺が死んだら墓はいらないぞ、海に撒いてくれ」
いつだったろうか父は晴れ晴れとした顔で私にいった。
生前、「葬送の自由をすすめる会」というタイトルのファイルを作っていた。そこには、父が自ら入会手続きをし、いただいた会員証、自然葬の新聞記事、そして会報「再生」などが整理されていた。年を重ねるにつれ、死を意識しながら後に残される私たちを気遣って準備をしてくれていたのだろう。「死んだ人間に高額な葬儀・墓は不要」というのが父の考えであり、また遺言であった。
年にかかわらず向上心があり、新しいものを積極的に取り入れる前向きな人だった。自然葬を選択したのも今思えば父らしいなと思える。桜が満開の日、父はそっと1人旅立っていった。 あまりの悲しみに散骨に対する考えが揺らぐこともあった。そんな時、「俺が死んだら墓はいらないぞ」と言ったときの顔を思い出した。迷いなど感じられない父の顔を。
11月6日、曇り空の中、相模湾の海に父を還した。青い海に吸い込まれていく父の骨。いっしょに捧げた黄色い薔薇の花は海面に浮かび、ゆらゆら漂う。美しい光景でした。お父さん、お疲れ様。私も私なりに精一杯生きてみる。また会おうね。
第1063回・特別個人葬
全員で般若心経を全員で唱えながら
(矢野昭美=故人の妻)
夫の死から2年2ヶ月、生前から望んでいた自然葬を11月20日、坂本竜馬が見下ろす土佐湾で実施でき、会に感謝の気持ちでいっぱいです。高知県支部長の竹内隆男さんにお願いして般若心経を全員で唱え、心穏やかに送ることができました。
心配していた雨も風もなく、2隻の船で色とりどりの花びらをまき、船が3周して渦のようになり、それが太陽の光に照らされてキラキラ輝き、私には花のダイヤモンドに見えました。主人は生前、ブラジルに住みたいなどと夢のようなことを言っていました。今はそこに向かって進んでいると私は信じています。
主人の死で人の死ということを考えさせられた2年2ヶ月でした。主人が私にしっかり1人で生きて行くよう教えてくれたような気がします。
第1065回・合同葬
桜の幼木は骨粉を吸い込むように動いた
(野口みさを=故人の妻)
念願だった夫の自然葬を終えてほっとしている。骨の破片は米粒より大きくならないように、これには最も気を遣った。しかしいつの間にか「あなた」と「私」だけの恍惚の空間からだけ生まれる大きさがあると判った。死者につき纏うあの香り、そこはかとないあの香りが家の中に遍満しているこの時間帯は吾が家に逗留中だ。幽明境を異にするというのは一体どういうことかと秘かに探ったりもした。
現地はひろびろと草原が広がっていた。足の悪い私は、娘や立合いの方々に手伝って頂いて先行の方々の後を追った。現地に着くと桜の幼木を頂いた。この幼木は骨粉を吸い込むように動いた。まんべんなく撒いたその上を白い葩で覆った。帰途を急ぐ車中では、その香りから既に解き放たれているのを知った。タケイワタツノミコトの故事を思い出した。この外輪山の一角を蹴破って白川のとうとうたる流れを始められたという――。まさに悠久の大地である。
(注)タケイワタツノミコト 阿蘇を拓いた神話の神で、神武天皇の孫とされている。
第1066回・自然葬
釣りをしながら待っていてくれる
(鎌倉詩美=故人の妻)
11月27日は夫と私の38回目の結婚記念日でした。その日に夫の自然葬をしていただくことに決めていました。当日は私と2人の子供たち、私の妹と付き添って下さる高知県支部長の竹内様の5人でした。桂浜沖4キロの土佐湾に船を止めていただきました。波もなく穏やかな海に亡き夫の性格そのままに実に静かに波間に還っていきました。私たちは無宗教でお墓に入るを良しとせず、10何年前から海への自然葬を約束していましたから、このさわやかで清々しい最後の儀式にとても心救われる思いが致しました。
釣りが趣味だった夫は、いつか私が行く日を釣りをしながら待っていてくれると信じることが出来た忘れられない日となりました。
第1069回・特別合同葬
暗いカロートから父母を開放
(安川 潔=故人の3男)
私は、今回の特別合同葬で父母の散骨をしていただいた。
東京の下町にある我が家の菩提寺が、前年に寺から予告があって判ってはいたことであるが、老朽化した寺を改築することと、先の戦争で半ばこわれている墓石の移築はできないので新設を、という通知が届いた。寄進も願いたいと書いてある。
宗教法人と檀家との関係に、昨今の傾向からして疑義を抱いてきた私は、少し前に会に入会していて、遺骨の引き取りはできる事を知っていたので、何のためらいもなく、この際、自然葬にする決心をし、寺側との話し合い遺骨を引き取った次第である。そして寺との縁を切ることが出来た。
12月10日の自然葬は、快晴に恵まれ、観音崎では少々波が高くなって船は揺れたが、みなさん無事散骨を済まされた。私も、波間を彩る花弁をカメラに収めることが出来た。
暗いカロートから開放されて自然界へ。願いがかなってすがすがしい思いである。
第1073回・特別合同葬
寂しいというより穏やかな気持ちに
(高橋泰子=故人の入居していた有料老人ホーム湯河原ゆうゆうの里スタッフ)
船に乗り、相模湾に出て散骨が開始され、故人の粉骨が沈んでいきました。ゆらゆらと雪のように静かに沈んでいった粉骨を見つめながら、故人の生前の日々を思い出しました。
故人は、終の棲家として有料老人ホームに入居され、22年間暮らされました。苦しい病状に悩まされながら、ゆったりした日々を送っていました。ご自分の死後のことを指示書にしっかりと残され、私たちスタッフに託されました。
墓地をつくることで自然破壊にならないようにという願いで散骨を選ばれたようです。教壇に立たれていた方で、故人らしい選択だと思いました。
有料老人ホームのスタッフとして私は大勢の方の葬儀に参列しお見送りしましたが、自然葬は初めての体験でした。自分の家族、親しい友人だったらと思うと複雑な心境にもなりましたが、故人の環境に対する思い、死生観をとても立派だと今は思っています。
船が散骨したところを数回周り帰途に着いてからすぐ、鯨の大群に出合いました。鯨がこれから故人を守ってくれるようで、もしかしたら故人が鯨を呼んだのかもしれないと寂しい気持ちというよりは穏やかな気持ちになりました。
第1074回・特別合同葬
カモメもともに見守ってくれた
(半澤裕子=故人の姉)
あいにく厚い雲に覆われた空、鈍色の海面でしたが、遺族の気持ちにはかえってふさわしい天候でした。
「シーフレンド1号」に乗船し、目的の海域に向かいました。船尾のテーブルから、順番に遺骨と花を海へ。海面にまかれた鮮やかな花びらの色彩に目をひかれたのか、カモメが間近まで飛来します。働き盛りの年齢で世を去った弟。すべての生命の源である海へと還って行く彼の遺骨の行方を、カモメもともに見守ってくれているようでした。
11組すべてが終わると、船は再びエンジンを始動させてその海域を3周します。汽笛の響く中、1分間の黙祷を行い無事に葬儀が終了しました。
場所を示す海図も頂戴しましたので、機会があったら今回参葬することができなかった両親を、その海域を望見できる場所まで連れて行きたいと考えています。
第1074回・特別合同葬
2人の最後のデートでした
(浅見マリコ=故人の妻)
3月18日は、おだやかに晴れてほっとしました。
ひとり息子をシナーラ号で散骨してから5年、夫と共に支えあって生きていきた私たちにも、去年の秋ついに別れの時が来てしまいました。
地元の先生や看護師さん、ヘルパーさんに助けられ、最期まで家で看取ることが出来たことは幸いでした。夫はかねてから2人いっしょに撒いてほしいと言っていましたが、子供もないことですし、私の手で夫の散骨をしたいと思い合同葬に申し込みました。2人の最後のデートです。
始めは知らない人たちの中でちょっと不安でしたが、皆それぞれが同じ思い、同じ目的で言葉を交わし、なごやかな雰囲気の中で無事に散骨をすることができました。
第1074回・特別合同葬
心が軽やかなのが不思議でした
(故人の妹=福地昭子)
青い海原の散骨をして会に入って、その現実がこの日。姉と私2人で兄の遺骨をだいて赤、白、黄の花びらと好物のビールを持って乗船しました。昨年の7月に肺がんとわかり、化学療法をすれば1年、何もしなければ3ヶ月の命。兄は1年の方にかけましたが、桜の花をみることなく眠るように愛する奥さんの元へ旅立ちました。
観音崎沖、5つに分けた兄の遺灰が海面をすべるように、私たちに「サンキュウ」といったようでした。自然葬実施証明書を読んであげました。心が軽やかなのが不思議でした。
第1084回・自然葬
母さん、ごくろうさまです
(故人の次男=蛭田誠治)
3月31日、母は93歳にて亡くなりました。「ごくろうさまです」と、言葉を送ります。
私(誠治)は次男ですが、父は私が生まれ100日目に亡くなった、と聞いております。母は実家に戻り、5人の子供を母の母と共に育てたようです。私は5人の兄姉の一番末っ子「バッチ」です(一番上と一番下が男で、中3人が女)。母は苦労の連続だったと思います。
最初、母は兄嫁夫婦と同居したとのこと。姑、嫁の確執もおおくあったように聞きました。辛く人に言えない気苦労も、今で言うストレスとして抱えていたものと思います。このころ、私は転勤などで遠く離れておりました。
愚痴をいえばきりがありません。とにかく3月31日をもって、母は自由の身になり、天高く大きな空に向かったことでしょう。そして私達を、陰になり日向になり応援してくれるものと信じております。
第1085回・自然葬
大自然とのセッションを
(故人の母=長谷川れい子)
陽子に手紙を書きました。
28歳の誕生日おめでとう! 貴女方の新たなるスタート。"再生"への誕生日。敢えてこの日を選び、自然の元にゆだねました。幼いころより音楽を志し、突き進んでいった貴女。あまりにも突然に、あまりにも短い生涯を閉じた。道半ばだったけれど好きな道に生き後悔はないと信じます。
なき父親と同じ海で新たなる旅路を2人で安らかに楽しく過ごして下さい。そして海の音、風の音、時として海鳥の声……。大自然の奏でる音と貴女のピアノとコントラバスのセッション、何重奏になるのでしょう。すばらしいハーモニーでしょうね。
少しずつ海の水は蒸発し、大気に含まれた風に乗りどこにでも行ける。風の中に貴女を感じたい。海流に乗れば世界中の海にも行ける。貴女はすべてから解き放たれ自由になったのです。ひとつ心残りは晴れ女の貴女らしくない天候だったことです。でも今、私は少しほっとしています。貴女は私と貴女の妹に強い影響を心の中に残してくれました。貴女の思いを感じつつ前進して行きます。
第1092回・自然葬
自然のなりわいと実感
(鈴木裕子=故人の妻)
船に乗るときには、少しの雨が止み、風がそよともせず、落ち着いた気持ちで散骨することが出来ました。常日ごろ、循環と還元の中で生かされていると感じる者として、また、海とは大いにかかわりのある仕事をしていた故人に対して、これは、自然のなりわいだったと深く実感しました。
本当によかったと思いました。しょっていた荷物を誰かが取り去ってくれた。そんな気持ちにもなりました。終了したあと「自然葬実施証明書」をいただいた時、安田会長の「お墓は心の中にたてるもの」という言葉がわいてきて、安堵感を味わっています。
ずっと寄り添ってきてくれた娘夫婦にも感謝の気持でいっぱいです。
第1093回・自然葬
姉は皆の心の中に
(庄司康子=故人の妹)
姉はいつも賢く、一生懸命生きた人でした。10代半ばは、水牛のソロバン3丁だめにして東北代表1位になったとのこと。郵政事務官を務めましたが、好きな編み物で身を立てたいと勉強、編物学院を設立、夫にも恵まれ幸せでした。同じ酉年生まれの英夫、ひで子は同時に発病、英夫は1昨年、姉は昨年亡くなりました。
夫婦は10年ほど前に会に入っていました。葬儀は密葬にして、仙台国際ホテルで50人ほど参加してお別れ会をしました。みんなの心に中に姉は生きています。会の阿部さんの案内で夫婦の灰は大森山にまかれました。姉ちゃん安らかに眠って下さい。
第1094回・自然葬
花咲く初夏、コーヒーとともに
(新楽弘子=故人の妻)
夫は昨年11月、亡くなりましたが、「暖かくなり、花が咲く頃いかがですか」との助言で、寒がりの主人でしたからその通りと思い、5月15日に散骨しました。初めは不安もありましたが、立会いの高橋様の「心配しないで来て下さい」の一言で気持ちも落ち着きました。故人の遺志で「山」と決めていましたので甲府再生の森を選びました。
当日は好天にめぐまれ、思った以上に景色もよく、花も咲いていました。その下に遺灰と故人の好物のコーヒーを撒きました。遺灰は雨に流され、風に舞って旅に出るそうです。そう思うと、あちらの世界もまんざら悪くはなさそうです。いずれは私も主人と同じ自然葬をと思い生前契約をしました。
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