「葬送基本法」制定に向けて

「基本法制定」を求めるに至った根拠となる考え方

【考え始め、行動を開始するための手がかり】

【1】 都市はいま、深刻な墓地不足に陥っている。地価高騰で墓は山へと追い上げられ、環境破壊を招きかねない事態となっている。墓地を新たに手に入れるためには多額の費用がかかる。単身者や子どものいない夫婦の場合、将来、“墓守”がいなくなり、無縁仏になるとして寺や霊園から敬遠される例が表面化している。それほどまでに苦労して墓を造る必要があるのだろうか。

【2】 火葬に付した遺骨は、「墓地、埋葬等に関する法律」(墓埋法)にいう「焼骨」にあたる。同法では、焼骨の「埋蔵」は都道府県知事の認めた墓地、「収蔵」は知事の認めた納骨堂しか許されない、としている。だが、遺灰をまくのは、埋蔵でも収蔵でもなく、遺灰をまく行為は同法の対象にならない。政府も「墓埋法は土葬と火葬が半々だった戦後混乱期の昭和23年にできた。勝手に土葬して伝染病が広がったりしないよう配慮を働かせたのだ。火葬率99パーセントのいま、見直すときかもしれない。遺灰をまくこと自体は同法にふれない」と言っている。

【3】 遺灰をまく「散骨」は古代からあった。仏教の影響で火葬が始まると、淳和天皇(平安朝)は「林野にまいて墓をつくるな」と遺言した。万葉集の挽歌には散骨をよんだ歌がある。中世には親鸞が「賀茂川の魚に与えよ。墓もつくるな」と言い残した。庶民が墓を造るようになったのは、檀家制度が普及した江戸中期からで、それまでは遺体を山や海に捨てていた。明治30年の伝染病予防法で火葬が広がり、ひとつの墓に何人も入る家族墓が一般化した。日本は、火葬先進国。古来から遺灰をまく伝統があり、墓も必需品ではなかった。が、誤った先入観で自ら葬送の自由を奪っている。残念である。

【4】 「自由」あるいは「人権」にも考えを及ぼしておきたい。

 フランス大革命は、膨大な血を流した末に「自由・平等・友愛」という魅力にあふれた「言葉」を後世に残した。また、もっと現在に近いところでは1948年12月10日、国連総会が「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利とについて平等である。すべての人間は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる」と高らかに謳い上げる「世界人権宣言」を採択している。

 日本というこの国に暮らす者にとって極めて身近な存在であるはずの「日本国憲法」は、「戦争放棄」を誓った「平和主義」とともに「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在および将来の国民に与えられる。すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と明記している。

 「葬送の自由」を求める私たちの行動は、「フランス大革命」、「世界人権宣言」、そして「日本国憲法」の精神を根源とする、未来に向けた極めて人間性にあふれた理念にのっとったものであると信じ、「アピール」をもって高らかに宣言する。

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