3、4ヶ月に1回ほどのペースで公開の懇談会を開きます。
●「葬送の自由は基本的人権」 小林直樹委員
●「土葬の復活、火葬を見直す」 山折哲雄委員
などの講演を予定しています。
★第3回「葬送基本法推進懇談会」は2012年3月17日(土曜日)
会場:研究社英語センター大会議室(東京都新宿区神楽坂1―2、電話03-3260-9856)
中村祐二弁護士が基調講演を行い座長は島田裕巳委員です。
今回は委員の方々から出た『基本法に何を盛り込むか』を中心の懇談会とします。
詳しい日程や開催場所は「再生」84号(3月1日刊の予定)に掲載します。
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◎議員立法とは
国会で成立する法律案は、日本では大多数が行政府である内閣提出のものという実情だが、国会は当然、立法機関として他の国家機関の干渉を受けず議員の発議によって法律をつくることができる。これを議員立法という。
発議権は議員一人ひとりにあるが、それが乱発されて国会会期中に膨大な議案が処理されなくなることや、選挙区目当ての「おみやげ立法」などを防ぐため、国会法は発議に制約をもうけている。国会法56条は、議員が議案を発議するには、衆議院では議員20人以上、参議院では10人以上の賛成が必要とし、予算をともなう場合だと衆議院では50人、参議院では20人以上の賛成を要すると規定している。このほか、各会派は提案には会派の承認を必要とするとしている。
法案については、衆参両院に議院法制局が設けられていて、法案のアイデアを要綱にし、法案に起草するところまで担当する。
議員立法により成立した法律は、これまで新しい価値観にもとづくもの、生命倫理に関する法制度の構築を目指すものなどが多い。例えば、母体保護法、臓器の移植に関する法律、児童虐待の防止等に関する法律、ストーカー行為の規制等に関する法律、貸金業法、特定非営利活動促進法、などがある。
第2回葬送基本法推進懇談会は10月25日(火)、東京・神楽坂の研究社英語センターでで開催しました。中村裕二委員が、スウェーデンで調査した冷凍葬について基調講演「冷凍葬の現状と将来」で報告し、議論に入りました。
■日時 10月25日(火)午後1時から4時半 開場は午後12時30分
■会場 研究社英語センター大会議室 (東京都新宿区神楽坂1―2、電話03-3260-9856)
■参加費 500円(当日 会場にて受付)
■出席委員
渥美 雅子氏
島田 裕巳氏
中村 裕二氏
八木澤 壮一氏
安田 睦彦氏
(五十音順)
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★葬送基本法推進懇談会委員(2011年8月現在)
| 渥美 雅子 | 弁護士。男女共同参画、人権など中心に活動。余技に講談(高座名・渥美右桜左桜) | ||
| 池田 茂穂 | 元最高検検事、元名古屋地検検事正。京橋公証役場公証人。 | ||
| 上野 千鶴子 | 東大名誉教授。家族社会学、ジェンダー論。フェミニストとして多様な分野で発言。 | ||
| 小尾 信彌 | 東大名誉教授。天文物理学。放送大学の学長を経て現在は顧問。 | ||
| 香山 リカ | 精神科医。立教大学教授。臨床経験を活かして社会を分析。マスコミでも活躍。 | ||
| 小林 直樹 | 東大名誉教授。憲法、法哲学。憲法学のリーダーであるとともに人間学を提唱。 | ||
| 坂元 薫 | 東京女子医大教授。精神神経科医。うつなどの心の病について社会的に発言も多い。 | ||
| 小原 秀雄 | 女子栄養大学名誉教授。動物学。ゾウなど野生生物の保護に取り組むなど多彩な活動。 | ||
| 島田 裕巳 | 宗教学者。東大先端研客員研究員。『葬式は、要らない』などの著書が話題に。 | ||
| 中村 裕二 | 弁護士。地下鉄サリン事件被害対策弁護団事務局長。狛江市教育委員会委員。 | ||
| 中山 千夏 | 俳優として活躍。元参議院議員。現在は市民運動を続けながら、著作活動に専念。 | ||
| 平野 和彌 | 千葉大名誉教授。植物病理学。 | ||
| 松根 敦子 | 1978年に日本安楽死(現尊厳死)協会に入会。日本尊厳死協会副理事長。 | ||
| 道浦 母都子 | 歌人。『無援の抒情』で現代歌人協会賞を受賞。多くの歌集のほか、小説『花降り』も。 | ||
| 村田 喜代子 | 作家。1987年「鍋の中」で第95回芥川賞を受賞。『故郷のわが家』で野間文芸賞(2010) | ||
| 八木澤 壮一 | 東京電機大学名誉教授。日本建築学会賞を受賞、設計した施設は映画「おくりびと」にも登場。 | ||
| 安田 睦彦 | 当会会長、ジャーナリスト、1991年に本会を創設、自然葬に道をひらく。近著に『墓は心の中に』。 | ||
| 山折 哲雄 | 国際日本文化研究センター名誉教授。専門は宗教学。一握り散骨を提唱。 | ||
| (敬称略、五十音順) |
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家族葬」が定着し「直葬」急速に普及
どうしても残る「墓をどうするか」の問い
山折さんが大震災被災地の話をされたが、大規模災害の死者をどう葬るかについては前から危惧していた。関東大震災が起きたらどうなるか。葬送基本法にもかかわることだが、現実には対策がとられていない。行政がこういう問題にかかわることがないし、あまり考えていない現状がある。 東北の被災地で土葬というようなやり方がとられた。自衛隊の人が手伝って仮の施設に土葬される。互いにベニヤ板で仕切られただけの状態で、遺族がかわいそうと思うのは当然だ。2年後をめどに火葬し直すといわれていたが、すでに堀り起こして火葬する動きもあったようだ。
死者を弔う、悼むことにおいて宗教者が苦悩していることも伝えられている。宗教家の方々がボランティアをしているが、死者を弔うことに果たしてどれほど貢献できているか。菩提寺の住職ならいいが、他から来た僧侶に弔ってもらってすむのかということも起きている。
・死者数、国内で年間120万人に
今、国内で年に120万人が亡くなる。120万の葬儀があり、120万の遺骨が残る。今年2月5日の日経新聞に「揺れる葬祭」という最近の葬儀事情の変化についてのリポートが掲載された。流通大手イオンが葬儀業に参入してきたことと、私の書いた『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)の与えた衝撃がいかに大きいかというような記事になっている。著者として「衝撃」というのはよく分からないが、僧侶の方々からは批判をいただいた。もう一つ『戒名は、自分で決める』(同)という本があります。読んだ若いライターの方が、父が亡くなり自分で書いた戒名をもってお寺に行ったら、商売を侵害してはならない、ということでもめたことが週刊朝日の記事になっていました。
葬儀の大きな変化について指摘していきたい。一つは直葬。直接火葬場に行って葬儀をするやりかたが急速に普及してきた。『葬式は、要らない』を書くきっかけになったことです。昔は密葬といっていた家族だけの葬儀がいまは家族葬という形で定着してきた。家族葬が基本になっていてその一部に直葬がある。『葬式は、要らない』の帯に葬儀費用も日本は世界一高くて231万円と出ているが、家族葬が基本になってくると低下し、10年間でほぼ3分の2になっている。また、葬儀への会社、企業のかかわりが大きく減っている。それとともに参列者が減っている。
直葬とも関係するが、孤独死、無縁死がNHKの「無縁社会」という番組で広く知られるようになった。行き倒れの形で亡くなった人が、自治体の費用で葬儀社員二人に見送られ直葬されるシーンで直葬のイメージができた。韓国でも同じようなことが起きているようだ。孤独死、無縁死は昔からある。本当にふえているのか、そういうことへの恐怖が広がっただけか検証が必要と思う。
墓の費用を賄えない人がふえて、火葬もせず遺体をそのまま自宅に放置していて逮捕された例とか、遺骨を車の後部座席に置いておいて車ごと駐車場に捨てたとしてつかまったような事例がある。遺骨をもてあます人たちは推計しようもないが、10万は軽く超えているのではないか。
・都市での死者がふえ、高齢化
こういう変化が起きてきたのはなぜか。死者の数が増えている。すでに年間120万人が亡くなっていて、将来は140万から170万人という推計もある。以前は70万人だったのでかなりの変化だ。 それから、死者が高齢化した。75歳以上が全体の死者の6割を占める。昔なら大往生といわれる年齢だ。高齢で亡くなると家族以外に参列者はない。家族葬で十分となっていく背景です。
また、医療とか介護とか、年金だけでは生活できないということで費用がかかり、亡くなったときには葬儀をだすお金、墓をつくるお金がないという人たちがふえている。
都市で死ぬ人がふえていることも大きな問題だ。高度経済成長時代に地方から出てきた人たちが亡くなったり、葬儀を出す側にまわる。今までの地方でのやり方はできない。あるいはそういうものを望まない。村社会の葬儀は重要だったが都市では当然合理化の方向に向かう。葬儀の簡素化の大きな要因となる。企業社会も変化して、葬式組の機能を果たさなくなった。宗教とのかかわりでは、都市では檀那寺を持たない人がふえている。新しい墓地を求めるとき檀家にはならない。また、都市では高額な墓の問題がある。東京の青山墓地では1区画1000万円というのもある。
・檀家関係結ばない都会の人たち
葬儀の合理化は、家族葬や直葬が広がることによって解決の方向が見えてきている。葬儀社の対応も早い。お寺との関係では、檀家関係を結ばない人がふえ、都会ではそれが基本になっている。なぜ仏教式葬儀をやらないかという声もでるが、その裏には宗教自由の墓地の増加がある。どうも行政が寺院側に宗教、宗派を問わない形にと指導しているようなところがある。ペットの葬儀は宗教法人がやっても収益事業になる。檀家関係のない人たちに墓を販売するとか葬儀を担当するとなると、これも宗教行為でなく収益事業かなという気もしてくる。
こうした中で自然葬のインパクトは大きく、散骨もこれからもすすんでいくと思う。今年出した『墓は、造らない』(大和書房)で考えたのは東日本と西日本の違いだ。骨つぼの大きさが違う。東は全骨拾骨だが西はのど仏と頭蓋骨ぐらいで足などは引き取らない。骨つぼは東の3分の1から4分の1ぐらい。墓の下は土になっていて直接埋葬であり散骨をやっている状況だ。東は大きな骨つぼをカロートに入れて永久保存する。合理的でないように思う。
西は火葬も早くすすんでいる。お墓を持てない人は本山が骨を引き取る。本山納骨が行われる。西日本の人はお墓に困っていないのではないか。自然葬が大体東日本で行われているのは、これと関係するのではないかと思う。日本中を墓にしていいかということも問題だ。家族関係が変わり墓を守る人がいない。墓をどうするかの問題はどうしても残る。その前提となる火葬して骨つぼに入れるやり方が合理的なのか考える必要がある。
政府、自治体は老後の不安には対応するが死後の不安は考慮しようとしない。葬送基本法が必要だという一つの大きな理由には、そこについて行政が考えてこなかったという現状があると思う
八木澤 私の専門は建築です。火葬場の研究と火葬場づくりをしてきました。人間が死んだらどんな風に扱われるか、それが全て建築に関係します。
墓埋法は明治初期の火葬場取締規則が基です。江戸時代はキリスト教対策で厚生行政、文部行政をお寺にまかせ土地を与えた。明治になって、仏教の関与をやめて神道でやることになり葬儀も神葬祭にしようとした。火葬は仏教的葬法だからと明治6年に禁止し、一時、日本全体が土葬になりました。しかし、トラブルがいろいろあり2年後には再開する。そのとき、伝染病での死者は火葬しないと衛生上問題があるということを理由にしました。やむを得ず再開するので火葬業者を取り締まる必要があると火葬場と墓地を取り締まる規則をつくった。それを警察が担いました。
火葬したいなら民間でやりなさい、そのためのお金は自分たちで出しなさいということです。戦後、取締規則を墓埋法という法律にして、厚生省が公衆衛生上の問題として引き受けました。だからどういう弔いをするか、どういうお別れをするかなどということは関係ありません。周囲に迷惑をかけないかということだけでやっている。火葬場をつくるにも墓地をつくるにも政府の金は出ません。火葬場は自治体でとなっているが補助金制度はないのです。市営墓地などは特別事業で利用者のお金でつくられています。税がきちっと入っていない。人が死んだ以後について国は何もしない。死者へのサービスという問題を入れた葬送基本法をつくらないといけないと思ってこの懇談会に参加しました。
火葬ですが、焼いて骨になって墓に入るということも、世界的にみると必ずしもそうではありません。墓をもたないところはたくさんある。インドのベナレスという町ではガンジスの川岸で火葬をし、骨はすぐ流す。遺骨はいろんな川に流されています。ヨーロッパでは、キリスト教の復活の思想の関係で遺体の保存が基本だったが、近代になるとそうは行かなくなってプロテスタントから火葬が始まった。今はほぼ全世界で火葬が多くなりました。英国では70パーセントになっている。最近は墓地に骨をまく場をつくる、埋めて墓碑は持たないのが一般化しています。日本では合葬墓はできてきたが散骨の場はなかなかできない。これができればいいと思います。
松根 私は自然に還りたいという強い願望から葬送の自由をすすめる会に入会しました。尊厳死協会は尊厳死の法制化を目指して運動をしています。法制化となると永田町とのつきあいにならざるを得ない。反対派もいます。大変に厳しい問題があるが、この会もこれからそれを始めなくてはなりません。
尊厳死協会には12万5000人の会員がいる。無意味な延命はしないので1年に2000人が亡くなるが、入ってくる人も多いので徐々にふえてます。議員に要望書を出すことなどでみんなの力を合わせ、05年に14万名の署名をつけて国会請願を提出し、議員連盟もできました。しかし、内閣が変わり、政権が変わり、選挙がある。議員連盟に入ってくださった議員が落選する。また新たに始めなくてはならない。
先日、尊厳死法制化を考える議員連盟の会議がありました。会長をしているのが福島県選出参議院議員の増子輝彦さんです。一生懸命やろうとしていたときに3・11の東日本大震災です。原発問題があり大変な思いですが会議に出てきて、「すすめます」といって下さった。会員一人ひとりが運動体になってやらないと通じません。
山折 尊厳死協会は安楽死でもよろしいのですか。
松根 世界では安楽死を認めている国もありますが、私どもは自然の死ということです。安楽死の場合は、十分に生きたということで医師が死期を早める。尊厳死はまったく自然死ですので自然死ですので自然死協会です。
山折 次に平野さん。千葉大名誉教授で植物病理学が専門です。
■葬送基本法は自然葬のためだけの法ではない=平野
平野 植物が病気になったら土葬、火葬するのが伝統的な防ぎ方です。今日は化学薬に依存して本来あるべきことをやらないが、人間も自然に還すべきだというのが私の思いです。会の運動に20年参加していて、葬送基本法についていよいよその時がきたと位置づけています。
葬送が多様化した中で、国は自然葬は墓埋法の対象外というだけで現実を見放したままの状態です。市民の目線から葬送基本法という制度を提唱するということは当然でてくる問題だ。自由をすすめる一方で自然葬を法制化するのは自己矛盾という見方もある。しかし、基本法は自然葬だけのための法ではない。葬送一般を総括した基本理念にもとづいた法であり、決して矛盾していない。
今までにないのだから、一般のコンセンサスをどう得ていくか、理解を深めていくかが大変です。会の委員会で議論しました。一番初めに死の公平性、平等性が話題になった。死を考えることは生を考えることに通じる。基本法にはその理念を根源に置いておかなくてはならない。
地球環境、自然を保護する葬送の追求。これは墓埋法にはない。葬送の自由をすすめる会の趣意書では、「伝統的葬法を復活させるとともに、自然の理にかない、しかも環境を破壊しない葬法を自然葬と呼ぶ」と述べ、そういう葬法が自由に行われるための社会的合意の形成を目指すと発足のときにうたっている。こういうことを基本法の重要なポイントとして織り込むべきと思っている。
中山 自費出版ネットワークで知り合った友人がこの会の理事をしている。委員になってくれないか、という事で委員になりました。会のことは知らなかったが、もちろん散骨には関心があった。最近、友人が続々とその形式だった。今日話を聞いて、スムーズにできるようになったことにこの会の努力があったことを知りました。
また島田さんの話を聞いて、私、日本の葬式の変遷の典型だったんだなと思った。ある時期から、既存の宗教団体というものに非常に疑いをもち、かかわらずに一生を終えたいと思うようになった。オウム事件以来、決心が強くなった。ところが母や祖母はそういう団体に昔から所属している。今、静岡県の伊東に住んでいる。母たちは伊東に移ってからも自分の宗旨、宗派の寺を一生懸命探してお墓を持っていた。母が生きている間は、私はお付き合い程度でよかった。ところが母が亡くなりかけた頃に信徒の交代という書類を持って来られて跡継ぎを迫られた。
ずるずると信徒にはなりたくないと思っていた。住職とは同じ年齢で仲がよい。四十九日まで引き伸ばし、いよいよ申し出た。信徒はやめたい、いまひとつ信仰が納得できない、しかし母や祖母の気持ちはくみたい、必要なことがあったら面倒はみたい、寺の資金面の協力もする、と。
ダメだという。まじめな住職なのです。信徒でない人の家族は無縁仏としてしか扱えないという。ふと思いついて、では私でなくてもいいかと聞くと、どなたでもいい、と。で、家族同然の友人に信徒になってくれないかと口説いて信徒になってもらいました。こうして私はめでたく先祖代々の檀家のくびきから自由になった。しかし、友人に押し付けただけで社会的な解決に貢献しないまま自由になって忸怩たる思いがあった。そこへ懇談会の話がきたので、参加しました。
中村 安田さんの『墓は心の中に』という本の197ページに、葬送基本法の骨子5点が書かれている。私が心を動かされたのは、その3番目の項です。「自然葬は国土の有効利用と保全に資し、地球環境を守るものであって、国は積極的に支援する」。簡潔で美しい言葉と思っています
私は8月末、スウェーデンに行って冷凍葬という葬送スタイルについて、自然環境を守る上で本当に役に立つのか調べてくる。プロメッサという会社が特許を持っている。ホームページにその方法が書かれてきます。
ジャガイモやトウモロコシのでん粉でつくった棺に遺体をおさめる。1週間から10日かけ、マイナス18度まで低温化したあと、マイナス196度の液体窒素に沈める。それを出して真空の中で揺さぶると粉々になる。体重7、80キロだと、フリーズドライされた粉末状態で大体30キロになる。金属除去機で金属をより分け、再びでんぷんの棺に入れ地表から30センチから50センチのところに埋めると、半年から1年で土になり肥料になるという。
山折さんが化石燃料による火葬の二酸化炭素排出について話された。プロメッサによると1体23リットルの燃料を使うという。また、火葬では歯の治療に使われるアマルガムによる水銀の大気汚染の問題もあるといいます。島田さんは行政が死後の不安に対処していない現状を述べられ、そのために葬送基本法が検討されなくてはいけないといわれたがまったくその通りと思います。
小尾 大学に入ってから70年たっているが、その間宇宙の研究をやってきました。宇宙は140億年から150億年前に誕生したといわれています。とんでもない歳月のように思うかも知れませんが、太陽、地球、月が生まれたのは大ざっぱにいって今から50億年近く前です。150億年はその3倍ぐらい昔。それほどかけ離れた時間ではないと思うわけです。
宇宙は何の素もなくある日突然生まれた。何もないということは、空間もない、物質もない、時間もないということです。何もないところに突然生まれ、そこからいろんなことすべてが生まれた。生まれて1秒たつと温度は100億度になった。1秒の間に、自然界に現代の物理学で想像つく物ごとが起きている。万有引力など、自然界の物理学の基本法則が生まれ、陽子、電子、中性子などの基本的粒子が出来上がる。最初の1秒で宇宙の基本的なシナリオがすべてできあがったのです。
それから宇宙は爆発的にふくらんでいる。ふくらみ続けている。10億年たつと、大きな転機を迎えます。銀河の時代を迎えた。初期は光が強い勢力を持っていたが物質の方が強くなった。物質は固まりをつくる。その一つが銀河系。2000億個の星があって原子力を放って輝いている。隣のアンドロメダ銀河にも仲間がいる。これを銀河の時代というのです。
宇宙の始めには水素とヘリウムという軽い元素しかなかったが、星を原子炉として鉄に至る90いくつかのさまざまな元素ができる。そういう華々しい時代だから地球のような星もでき、生物が進化し人間も生まれることができたんです。銀河の時代は1兆年で終わる。今はまだ幼児期だが、やがて銀河の時代が終わると、宇宙に輝く星はなくなりすべての物質は崩壊し真っ暗になって何も起こらなくなる。何も起こらない空間だけあって時間も存在しない。
無から出発して無に帰る。その中で今、人間も仮の姿を地球の上で過ごしている。一体どうしたらいいのか。死ぬまでの宿題として考えてみるのもよろしいのではと思います。
島田 お坊さんの嫌いな歌に「千の風になって」という歌があります。お墓に自分はいないということを歌う。死者の魂がいないのなら、葬儀をしたり供養したりすることは意味がなくなる。やはり、われわれの感覚が従来のものと急速に変わって、先祖の霊が祟るとかいうことにリアリティを感じなくなっている。家の重圧がなくなりつつある。
自然葬が始まったとき、自然葬・散骨とともに家の墓からの解放ということが強調されていた。自由をいかに確保するか。そのためには何らかの戦いが必要です。その武器としても葬送基本法を考えていくことが今は重要なのではないかと思います。
死んだ後のことに行政は無策だ。しかし、現実には遺骨は残り、墓はつくらないといけない。今のままだとそこに追い込まれてしまう。それによりまた家の重圧を感じざるを得ない。感覚と制度のズレが大きくなっている。こうした懇談会の場が求められていて、葬送基本法は重要だがそれを軸にして議論をすることも大切です。そのために冷凍葬のようなことが求められているという情報も共有して現実に対処する。その出発点になると思います。
法律的問題も倫理、道徳的問題も、現実的な火葬をどうする墓をどうするなど、議論することはたくさんあり、いろんな問題が含まれると思う。
安田 一つだけ言わせていただく。今、何も文句をいわれることなく自然葬が自由に行われている。山折さんの一握り散骨、あるいは原子力科学者の高木仁三郎さんは故郷の赤城山の国有林に散骨された。できるようになったことを忘れて、葬送基本法をつくろうというようなことをいって余分な声を引き出すのは困る、黙っていたほうがよかろうという方もいる。しかし、われわれのスタートは、国家権力で墓に入らなければだめと思い込まされてきたという壁や社会習俗の因習から解放されるには、基本的権利としての葬送の自由を訴えつづけていくということにあった。権利の主張がないとだんだん権利は失われていく。戦前から戦後にかけての日本のあり方を見ていれば分かる。権利の主張は続ける必要がある。
山折 葬送基本法をすすめるには努力が必要という話、理念の問題、環境問題、宗教団体との付き合い方についての話もでた。冷凍葬や世界のいろいろ葬送のこと、宇宙の生成と終末を考え人間の死について思いをいたすことなどの問題も提起された。会場からの発言も受けたい。
松井覚進 長野県の富士見高原で2反8畝を耕している松井です。会員です。会の運動などに対し、仏教界から商売のじゃまという声があることが出ましたが、宗教法人は商売ではないはずで税金がかからない。そういう根本が矛盾だらけで、そこをつかないと本当の宗教の姿はでてこない。3・11原発事故以後、文化人と称する人たちが遠慮っぽく話すのはよくないと思う。ズケズケといわないと問題は解決しない。その観点から宗教も税法の問題を話さないとだめだと思います。商売なら収支をはっきりして税を支払うべきだと思う。島田さん、中村さん、中山さんにお聞きしたい。
山折 それでは中山さんから。
・信徒やめたとき、住職がいい人なので苦しんだ=中山
中山 信徒肩代わり事件のとき住職にいったひとつは、私は公にものをいう人間だということです。公にいうとき、税法のことは詳しくいったことはないけれど宗教団体の商業的利用はおかしいといってきた。オウムはやり方を間違ったが他の宗教団体だって同じではないか。いいことやっているような顔して同じことやっていると思ったとあちこちでいっている。いっていながら檀家に納まっているわけにはいかないということを理解していただいた。
公の発言は、具体的な人を相手にせず言うことができることが多い。しかし檀家の問題はそうはいかず、相手がいい活動をしていることも知っているので大変苦しかった。
原発問題についても、現実に友人に東電の社員もいて、その人をどう扱うか苦慮した。運動はこういうことをクリアしていかなくてはいけないことと思った。
・課税のどこまでが正いかは国民の納得にかかっている=中村
中村 憲法20条は信教の自由はこれを保障するという。信ずることの自由、布教活動の自由、宗教団体をつくる自由です。都道府県の認証を受けると誰でも法人をつくることができるという建前だが、新設は難しくなってきている。宗教団体への課税が甘いという指摘だが、そう見受けられる面もある。伊丹十三監督の映画「マルサの女」でも宗教団体が出てきたが、国税当局もねらい目にしている。
墓苑開発、霊園の販売、永代使用権の譲渡、戒名代、お車代などの形で法人、宗教家に入る所得、収入がある。20条により相当優遇されてきた。学校法人も固定資産税がかからない。課税がどこまでが正しいのかは国民がどこまで納得するかにかかっている。純粋な宗教活動に資するもの、信教の自由を守るために必要なもの、その限度で非課税にして営利活動には課税していくということと思う。国税は努力していると思うが、まだ不公平感はあるのが実情と思う。
・非課税の一方で補助が期待できないのも現実=島田
島田 宗教法人の課税の問題は難しいことがある。国民の中の納得できない感覚は理解できる。戒名料は料金の料だから疑問を持つのは当然だ。一般社団、NPOも公益法人として広い意味では宗教団体の仲間に入る。今は公益法人の改革がすすんでいて財団のあり方などが問われている。 宗教法人は宗教行為に対しては非課税だが、一方で政教分離という問題もあり援助、補助は与えられないという性格もある。寺が地方にある。コミュニティの絆をつくる役割りをしていると寺の維持に何らかの補助はあるのか。茅ぶきの屋根をふき替えようというようなときに補助は期待できない。国が積極的に課税していくと、神社でも寺でも経済的に困って維持運営が難しくなってなくなってしまう例が出る可能性もある。そういう風に総合的に考えないと、ひとつの点だけとって課税したほうがいいという議論は成り立たない。
宗教法人は宗教行為に対しては非課税だが、一方で政教分離という問題もあり援助、補助は与えられないという性格もある。寺が地方にある。コミュニティの絆をつくる役割りをしていると寺の維持に何らかの補助はあるのか。茅ぶきの屋根をふき替えようというようなときに補助は期待できない。国が積極的に課税していくと、神社でも寺でも経済的に困って維持運営が難しくなってなくなってしまう例が出る可能性もある。そういう風に総合的に考えないと、ひとつの点だけとって課税したほうがいいという議論は成り立たない。
寺などが営業というような感覚を持つようになったのは、おそらく戦後に寺の住職が事実上世襲されるようになったことがある。それまでは師匠から弟子だったので家の仕事というような感覚はなかった。自営業的にとらえる傾向が出てきているところに大きな問題がある。歯切れ悪いいい方だが、非常に難しい。宗教法人、宗教団体、あるいは信仰というものをどう考えていくかということを議論しないと解決の方向にいかない。仏教界はそこに対して熱心ではない。積極的に考えないと宗教法人に課税するという話が真剣に社会的に出てくる可能性があると思う。
山折 ほかにいかがですか。
池田茂穂 葬送基本法推進懇談会の委員の一人です。欠席の予定でしたが都合がよくなり出席しました。私は法執行というか、規制する立場の仕事を長くやってきた。その角度から葬送基本法を制定していくことを考えると大変むずかしい事業だと思っている。3・11以降、状況が変わるのか、あるいはどう展開するのか山折さんにお聞きしたい。
法律家として葬送のあり方は自由であると思うが、自由であるものを規制する形で法をつくることになるのであり、そこが難しい。また、規制の側の根拠とされる基本法をみると、民法の祭祀承継という規定がある。墓を守ることと「家」を守ることが同義になっている。「家」が崩壊しているのは分かる。企業社会も「家」だった。私の所属した検察庁は検察一家といって「家」だった。偉い人が亡くなると必ず一家の葬式があった。それは消えました。
次に、刑法には礼拝所及び墳墓に関する罪や死体損壊罪などの罪がある。この規定はあまり発動されることはないが、この国の形と重要なかかわりを持つ。祭祀、宗教的感情などを保護法益としており、民法の規定とともにこの問題に取り組むとき動き出す。原発問題でも指摘されているが、この国は揺りかごから墓場まできわめて精密な利権構造がある。保護法益たる宗教感情とは何か。山折さんは被災地に行かれて、鎮魂、墓のあり方を改めて考えさせられたといわれていたが、これらの感情が動き始めると規制も動き出す可能性がある。
震災以来、人の絆を求めていくということが動き出した。これは家問題と密接な関係がある。山折さんのいわれた遺体処理についていろんな感情が出てきている。おそらく刑法の問題とかかわる。規制する法律がないがゆえに、非常に自由になっているがゆえに、とんでもない方向に向かう危険もはらんでいる。
祭祀の形は国の構造とかかわるという問題、山折さんは指摘されておられます。歴史的な災害をへてどうお感じになったかお聞きしたい。私はそう感じながらこの法の制定に力添えできればと思っています。
・死と向き合い、近代を考える好機としたい=山折
山折 近代的価値観、歴史観、人間観が今度の大災害を契機として根底から問われ始めた。どこから問われ始めたかというと、古代的価値観、宗教観、神話的物語、世界にたくさんあるそういう物語というものが、慣れ親しんでいる近代的人間観、世界観を揺さぶり始めている。刑法とか民法など、明らかに市民社会が成立してできあがったものの根底を疑い始めた。動くならここから動くかもしれない。動かさないといけないと私は思っている。
一方では日本人のこれからの教育をどうするかということについて、凶悪な犯罪が発生したり道徳的な不祥事が続発したりするたびに文科省から呼ばれる。宗教情操のことはこれからの教育に欠かすことはできない。そのとき、生きることはもちろん死とどう向き合うかは決定的に重要だ。 これは戦後の憲法や教育基本法からずっと抑圧されてきた問題です。社会のレベル、学校のレベル、家庭のレベルで死と正面から向き合うことをしないできた。その結果、今度の大震災に直面して被災地の方々はどうしていいか分からない。死をむき出しの屍という形で見せつけられた。どう向き合いどう弔うか、それが根本的に問われ始めた。
これには地域差がある。東北、東京、関西には温度差がある。関西はもう忘れ始めている。そういうときに葬送基本法を考えるとき、これからの人間をどう教育するかという人間観、環境問題、人間とは地球の運命にかかわると同時に生と死にかかわる根本的存在なんだという点から議論すると、近代的民法、近代憲法などの考え方にどう挑戦しどう豊かにするかを考える絶好のチャンスになると思う。
京都には仏教教団の大本山が集中している。この大本山がほとんど動かない。一体となって島田さんの『葬式は、要らない』に反撃した。どうにもならない状況にいる。しかし、市民の間で、行政の間で、宗教教団の社会的貢献について問いが出始めている。公益法人の見直しの問題も出てきた。企業でも社会的責任ということが問題にされる。それに比べると仏教教団は遅れている。 その観点から宗教法人法の見直しと葬送基本法の制定問題をドッキングさせることも大事だと思う。葬送基本法の理念の中にこれからの日本の社会をどうするか、若い世代をどう教育するか、生きて死ぬという人間の根本問題をどう考えるかに触れる理念、メッセージが欠かせないと思う。
山折 先ほどの松井さんの質問にからんで八木澤さん。
・宗教行為か営業かは歴史的にあいまい=八木澤
八木澤 江戸時代は火葬場は全部お寺がやっていました。明治になって一時禁止した火葬を再開するとき、政府は再開するかどうか寺に問い合わせをしている。東京・芝の増上寺は以前は末寺で火葬をしていたが「もうやめた」と返事をしている。京都では本願寺は渋谷の山の中で再開したが、裏山に火葬場をもっていた石庭の龍安寺がやめるという返事をしたので、京都市は困ってとなり村の衣笠山に火葬場をつくった。料金もとっていたようで、宗教行為か営業行為かどうもよく分からない。寺もいろいろさせられていて、そのころからあいまいになっています。
・代々の墓、本当に重いものです=松根
松根 質問には答えられませんが、私は家の墓を大変重く感じています。私は骨をこの世に残したくないといいましたが、私ひとりそんなこといっただけですむ話ではありません。山形県の最上家でしたが、庄内に墓がある。その後、九州の柳川に移り、そこにも墓がある。そこの次男が今度は四国の宇和島の伊達家に出仕しそこにも代々の墓がある。みんな石塔が立っています。いま川崎に住んでいます。主人の父と主人の墓はそこにある。そして私のところは孫の女の子が一人です。しょいこむことはできない。本当に重いです。
・会に研究体制をつくる必要性を認識=平野
平野 いろいろうかがって、この会はいかに大変な宿題をかかえているかを感じている。勉強し直さないとついていけない。冷凍葬など先端の遺体処理法なども出てきて、研究体制をしっかり会の中で構成して、会員以外にも知恵を求めて研究をすすめる必要があると動き始めている。ご指摘があった問題を含めて取り組む姿勢を持っていることだけは紹介しておきたい。
・「節度」の語で窮屈にならぬよう注意したい=中村
中村 葬送の自由という人権をとらえるときに自由権が分かりやすいが、人権には自由権のほかに社会権とか参政権などがある。国に一定の作為を求めるのを社会権、国から放っといてもらう、束縛されないというのが自由権だ。『墓は心の中に』で示された葬送基本法の骨子のうち、死者を弔い見送る行為は葬送の自由を原則とするという第1項、自然葬は節度を持って行うかぎり自由、という第2項は自由権、自然葬を国が支援するとの第3項、自然葬を望む高齢者は国や地方自治体が用意した「再生の森」などに無償で還ることができるとした第4項は社会権の性格がある。 今ある自然葬の自由な状態が「節度」という言葉を法に置くことによって窮屈にならないよう十分注意が必要だ。
・どんな権利にも「節度」は当たり前のこと=安田
安田 葬送の自由というのは一般的自由権だと思う。骨子に「節度をもって」という言葉を使ったのは一般の安心感を考えたからだ。節度は当たり前のことで法に書く必要はないと思う。どんな権利行使にも内在的制約があるのは当たり前のことだ。反対の中の反対には非科学的なものもある。そういうものにまで権利を侵害されることは絶対に認められない。
中村 憲法の人権の中でも「内在的制約」「公共の福祉に反しない限り」という言葉で無制限には認められていない。安田さんは人権に内在している制約の問題で心配する必要はないといわれたのだと思う。内在的制約を持つのは当然で、そこにスポットが当たって条文化していくことで自由が狭まっていくものをつくろうとしているわけではない。私たちは葬送の自由をすすめるため、どういう自由があるのか、国に対してどのような作為を求めていくのか、自由権的側面、社会権的側面を整理しながら作業をすすめたい。
山折 会が運動を始めて20年たち、自然葬で最後をという人はふえた。これからどうかというと少し停滞気味ではないか。そういう段階だ。法の問題も絡めて基本的に考えようということになってきた。改めて世論の支持を得ていかなくてはならない。いろんな要因が出てきた。それを会として継続的に懇談会形式で考えていこうということになった。
・運動20年で新たな覚悟が問われている=安田
安田 われわれが葬送の自由を提起したときは相当の覚悟をもってやった。ここまで自然葬ができるようになって、その覚悟が少しうすれてきているのではないかと思う。業者も自然葬を取り上げている。会だけの特許ではない。20年目でもう一度覚悟が問われているような気がする。勝ち取った葬送の自由を市民生活に定着させていく戦いがこれからのわれわれの覚悟でなくてはと思う。
山折 会長の所信表明ですね。最後の中山さん。
・役に立たない葬式選ぶ自由、忘れたくない=中山
中山 例の地元の住職が、ぼく自然葬をやろうと思うという。それはいいことだ、と思いましたが、しかし、自然葬やっているのだから檀家制度はそのままでいいのか。そうではないだろう。宗教的組織の問題と自然葬という問題は別であり、そのかかわりを考えていかなくてはと思いました。 もうひとつは、環境保全になるような方法で自分の葬式が行われればうれしいと思うが、こういう考えは危ういところがある。人間は、だれの役にたたずともなんの役に立たずともいていいと思う。役に立たない葬式を選ぶ自由もあるということを忘れないでいたいと思う。
山折 日本は超高齢社会。女性の寿命は男性の寿命をオーバーしている。男が先に死ぬ。これからは女性の力に頼らなくてはいけない。中山さんの話を聞いて意を強くした。もっと女性が前面に出ていただくことが大切と思いました。これで終わります。