会員の声

「会員の声」 2010年



■会員証を受け取り前向きに、具体的に

木内森枝(東京都江東区)

 会員証を受け取りました。初めての電話での問い合わせでしたのに、丁寧に説明下さりありがとうございました。会員となるための申込書を書いているうちに、考え方がより具体的に前向きに変わってまいりました。人生にとって重いことですが、夫だけ納骨している霊園についても「言い遺しノート」に返還願いを書き、自分の仮納骨もやめて、会で行われた海の特別合同葬も参考にさせていただき、急がず娘たちにも気持を伝えていきたいと思うようになりました。いただいた資料が大変よいヒントを与えてくださいました。

 現在、多病ながら息災でおりますので心配を目前にしているわけではありませんが、年齢的に明日の確約は得られない状況にあります。しばらくは会員とさせていただいた安心感を持ちつつ過ごしてまいります。よろしくお願い申し上げます。

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■思い出した子ども時代の野辺の送り

吉田フミイ(東京都新宿区)

 京都のシンポジウム「自然葬を語る集い」を、大変身近な思いで読むことができました。講師の方々のご発言が分かりやすく、引き込まれるように読み進みました。

 私は現在、60歳になったところです。新潟の平野に生まれ育ち、14、15歳ぐらいまでは自宅で死を看取り、野辺の送りを見て育ちました。棺は文字通り、棺桶とよばれる湯船のような桶で、村はずれの火葬場では、その時の役割が振られた村人が大量の藁を、3メートルもあろうかという高さに整然と積み上げ、4隅に立てられている丸太の柱から鳳凰や蓮の花などの造花できれいに飾りつけられた屋根が天蓋のように吊り下げられていました。

 たぶん、米どころなので大量の藁の調達は容易で、当たり前だったのでしょう。

 火葬場の真南400メートルほどのところに位置している、村の子どもたちの遊び場だった神社で遊んでいると、終日立ち昇る煙が見え、時々スルメを焼くような匂いが漂ってきました。

 小学生のころ、友達のお母さんが亡くなり、火葬場まで鐘を叩いていく葬列と友の幼い顔が、いまでももの悲しく思い出されます。

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■葬儀のあとで見つけた亡き妻の歌

小林祥一郎(東京都練馬区)

 去年11月22日、妻和子が79歳の人生を閉じました。没後に彼女の残した書き物を整理していたら、印刷物の裏紙にいくつかの歌の走り書きがあるのを発見しました。

 われ死なば真砂となりて夫(つま)を待ち
 海原こえてともに流れむ

 胸がふるえる思いがしました。転移性肝臓癌の進行については、詳細を本人に話しかねていました。それなのに和子は、みずから死期のせまっていることを知り、海の散骨のことまで考えて歌にしていたとは……。 しかし、最後の入院時にはもう歌をつくる余力などなかったはず、ほかに記されたメモなどと読みあわせると、一昨年の2月、胆管癌の手術を受けたあと、長い入院生活がつづきましたが、おそらくその時期に詠んだものであろうと思われます。

 和子が短歌をつくっていたとは家族のだれも知らず、そんな趣味も素養もないと思っていたのですが、長引く入院に歌でも詠まなければやりきれないときがあったのでしょう。あちこちに疑問符や傍線がついている不本意な習作を発表することに、生きていたら怒るでしょうが、ほかの歌も一部披露いたします。

 病院の深夜は哀(かな)したえまなく
 お父さんお父さんと呼ぶ声聞ゆ
 足萎へにならじと夜の病棟を
 歩めばあはれ夫(つま)を呼ぶ声
 寒椿がつぼみをつけて君待つと
 見舞ひの夫のやさしき言葉

 女あるじが再び帰ることのない中庭に、今年も寒椿がうつむきがちに花を開きました。私たちは葬送の自由をすすめる会に入っていて、いつか夫婦そろって散骨しようと話していました。妻の遺骨はその日まで、注文している壷ができたら私の壷と並べ椿の庭に面した書斎の本棚の一隅に置くつもりでいます。

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■下北沢のジャズハウスを訪ねました

松根 敦子(神奈川県川崎市)

 私が「葬送の自由をすすめる会」に入会したのが14年前、相模灘に散骨の手続きもすませてあります。また、人生の終末についてはリビングウィル(尊厳死の宣言)を認めて33年経ち、自然な旅立ちを心から願っています。

 「再生」77号の会員インタビュー「私はジャズハウス店主」を拝読して、戦後間もなくからジャズを聴き続けている私は、嬉しくなって店主の芥川美佐さんに電話をし、東京・下北沢にあるお店「ポジー」に伺いました。その日は、1960年代初頭から相次いで来日したジャズ・ミュージシャンの大判のプログラムを抱えて……。

 「ポジー」は今でもレコードですから、レコードに針を落とす、あの震えるような快感を久し振りに味わうことができ幸せでした。芥川さんとは、互いに好きなミュージシャンの話をするなど、本当に楽しいひと時を過ごせました。 人生の最期についての思いが同じであることは、人生の価値観が同じであると言うことでもありましょう。同じ思いを持つ者同士は、様々な思いが一致することだと実感した次第です。

 「再生」の読者の中には、若い頃ジャズを愛された方もおいででしょう。良き青春の思いを、再度お楽しみになってはいかがですか。

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■葬式は要らない

福田佳代(東京都練馬区)

 私は80歳を過ぎました。5年前に長男を亡くしました。葬儀などは、嫁と孫たちでごく普通に済ませました。私はいろいろ考えた結果、戒名は必要ないと思いましたので嫁と相談の上、位牌は俗名のみと致しました。雑誌の広告に「葬式は要らない」との活字をみて、やはりこれからは大勢の人が同じように望まれる風潮になってきたとの感じがしましたので、改めて自然葬をしたいと思い、葬送の自由をすすめる会に参加したいと思い、入会しました。

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■やっと納得いく死後に

木村令得子(東京都港区)

 誕生も一人
 死も一人
 あの道この道を迷いながら
 やっと納得いく死後に
 喜びと希望に
 これで私は残りの日々
 もっと自分らしく生きられる
 ありがとうございました
 こんなご縁
 こんなめぐりあわせ
 大好きな青海に私がいると
 考えるだけでうれしい


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■懸案解決してくれた自然葬ハンドブック

吉田輝(広島市南区)

 「自然葬ハンドブック」(葬送の自由をすすめる会編)を書店で偶然手にしたとき、長年私を憂鬱にしていた懸案が一気に解決されると直観した。

 私の家の墓地は見晴らしのいい高台にあるため、墓参は心が晴れ、また故人を偲ぶことで俗心も清められるようで、墓掃除などもいやと思わず行ってきた。しかし、自分の遺骨もいつかは暗い墓石の下に納められると思うと、気が滅入ってしまうのである。

 私は四季の自然から多くの心の糧を得てきた。秋の紅葉の心温まる優しさ、雪山の静寂、吹雪の山の稜線の死界のような荒涼、残雪の春山の雄大さ、夏山の雲の白さ……。これらの情景が心に蓄積されていくにつれて、自分の心が自然に同化されていくのを感じる。無為自然こそ私の理想なのである。

 本心を明かすと、死期を悟ったとき、自分で自然の気にいった場所に出かけていき、そこで静かに死を迎え、遺体も風化するにまかせたい。しかしそれは社会的に許されない。「自然葬ハンドブック」には、私の理想への指向性が明示されている。

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■頭を切り替えると面倒なことは何もない

星野清和(群馬県玉村町)

 お盆に寺に行き和尚といろいろ話をしたとき、たまたま墓の後継ぎがいないと申しますと、その場合は寺へ土地は返してもらう規定になっているとのことでした。普段、日常の生活防衛に追われ、またそうしたことについては詳しく知りませんでしたので、改めて新聞などに出ていた葬儀や墓の継承の特集記事の切り抜きを4部ばかり読み返していると、全国でこの問題は深刻と書かれていました。

 今更のようですが、今の仏教は真の仏教にあらず、葬式仏教、銭取り仏教以外の何ものでもないなと認識しました。それならば、頭のスイッチを切り替えさえすれば、逆に面倒な問題は一気に区切りがついてしまうことに気が付き、気分さわやか、清々とした感じになりました。

 ことの本質に気づいて解決策がわかれば、そんなに思い悩むほどのことのない課題であることが分かり、今回はよい機会に恵まれたと深く感謝しています。兄弟と話し合い、なるべく早めに後の始末をしようと思っています。合掌。

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