●第1642回・小樽沖特別合同葬●
花びらの美しい光景に茫然
第2の人生、年金生活となり楽しい日々をと思いながらも日毎に病院通いが数を増し、社会経済情勢が生活に厳しく変遷して参りました。子供達に経済負担をかけないようにしたいと思い会に入会しました。
昨年5月に妻が亡くなり、自然葬をお願いしました。6月25日に日程が定められてから、天候が気掛かりでした。前日に二男が埼玉県より小樽市に入り「天候悪く出航する船舶すべて欠航」と報告してきました。小樽に着いた時は出航を見合せていました。しかし、時間が迫るにつれ、雲に切れ間が出て太陽の陽射しがまぶしさを増し、出航となりました。時化ぎみで茫洋たる海原、船は揺れましたがカモメが見送ってくれました。
会の指示により私達家族は遺灰と花びら、愛飲した飲料水を海に。波に上下に揺れるなか、赤、白、黄、ピンクの花びらの美しい状景を茫然と直視。周りを船が3巡し、弔笛が鳴り響くなか同船した6家族、総勢三十数名と共に黙祷。一瞬厳かな静粛に包まれました。幾多の苦労を重ねながら家族を支えてきた妻への感謝にひたる葬送でした。

●第1647回・観音崎沖特別合同葬●
波間の花とともに夫をおくる
7月16日、観音崎沖特別合同葬に家族5人で参加しました。横須賀を11時に出航。お天気にめぐまれ、真夏の陽射しがまぶしく潮風を切って進む船が速くて気持ちよく、やがて観音崎灯台が右手に見えるところ停泊しました。 合図と共に掌でにぎっていた粉骨とお花を投げ入れました。汽笛が鳴って黙祷、波間に並んで漂うお花がとても印象的でした。船がその周りを何回も旋回しました。寄り添って55年、子供に恵まれず、夫の望んだ海へ散骨が滞りなく無事に済んで安堵しています。

●第1650回・大森山再生の森合同葬●
桜の下、安らかにと念じながら
前日の雨も上がり、曇空風もなく穏やかな7月31日、宮城県の大森山再生の森で合同葬を無事すますことができ、ホッと致しました。主人は仙台湾での散骨を希望しておりましたが、3月11日の震災で船が流され予定がたたないとの事でしたので、家族で相談し大森山に決めた次第です。優しい主人でしたからきっと納得して許してくれると信じております。
桜の木の下に私、息子夫婦、娘夫婦、孫の6人で散骨し、花びらを散らし故人を偲びながら全員で黙祷を捧げました。春は桜が咲き水仙も花開くと管理人さんにきき、この場所で本当に良かったと心より思いました。お墓はいらないと云っておりました主人でしたから、この靜な自然の中で安らかに眠ってくれる事を念じながら帰路に着きました。

●第1651回・個人葬●
自分たちの手で倅を自然に還した充足感
8月7日、太平洋を望む東京湾の沖合に無事倅の散骨をすることができました。心配していた台風は沖縄から西へと逸れてくれ、奇跡的に穏やかな東京湾でした。沖合に船を停めて、幾つかに分けて包んだ粉骨の紙袋を船尾から投げ入れ、花を撒いてやると波間に漂う花びらの下を倅は海底へと消えていきました。
倅は、アニメ演出の仕事をしており、前日までは元気だったのにある朝、最近口がしびれる手足が自由にならないと申し、近くの病院へ行かせたところその日のうちに悪性の脳腫瘍と判明、翌日には紹介をいただいて専門の大学病院を訪ね、即手術をしましたがすでに手遅れでした。その後、11か月に及ぶ闘病の末、力尽きました。葬儀は行わず二人の手で密葬しました。
遺骨をどうするか、私ども二人は、かねがね葬儀のあり方や墓の意味に疑問を感じ、骨は捨てる、墓は作らないと話し合っていましたが、それは自分たちのことで倅が先に死んで親が後始末をすることになるとは夢にも思っていませんでした。立派な墓を建ててやったところで、一人息子で独身でしたので私どもが死んだあとそれがどうなるか考えるまでもありません。 そんなとき会に出合えたのは本当に僥倖でした。
葬儀はめいめいの心の問題だから仏式、神式、個人葬、社葬どのように行おうと自由、しかしその後残る遺骨は「物」(焼却場にとっては残れば産業廃棄物扱い)という明快率直な意見にすっかり共鳴しました。それから貴会の助言と協力を得て散骨することができたのです。
会と契約を交わしたとき、請負ではありません、助言と手伝いだけです、といういささか厳しい文言がありました。二人で粉骨を小さじで掬い分けて紙包にする作業をしました。当日の早朝は用意しておいた海に撒く花びらを切りとりました。年ですのでしんどい思いをしたのは事実です。しかし、そのおかげで自分たちの手で自然に送り還したという充足感を得ることができました。これで自然がある限りそのどこにでも倅が居ると私どもは信ずることができます。ありがとうございました。

●第1655回・小樽沖特別合同葬●
なつかしい風景、たくさんの思い出
会の仕組を十分に把握せず、息子の帰省に合わせ緊急のお願いだったのに、北海道支部の担当者の方の奔走で、8月31日小樽沖での自然葬を無事終えることができました。
台風接近であやぶまれましたが、当日はすっかり晴れ、予定通り観光船でカモメに見送られながら、祝津、オタモイとなつかしい光景を過ぎて行きました。息子が6歳までこの船着場の近くに住んでいて、海の大好きな主人は休みの日にはいつも息子の手を引いて散歩にきていました。 ユーモアのある人でよく笑わされていた事、用事を頼んでもすぐに車を出してくれた事など昔の事がたくさん、たくさん思い出されてきました。その主人も病気には勝てず、一瞬にしてお花に囲まれて海に沈んでいきました。
自然葬はかねてからの主人の希望だったので、家族は本当に安らかな思いに包まれました

●第1657回・観音崎沖特別合同葬●
一人でした悲しい粉骨作業
平成22年11月5日、秋晴れの空の美しい朝でした。夫、績夫は静かに昊天しました。88歳でした。永い人生をくぐりぬけてようやく彼岸にたどりつきました。 12月、三男の聖児が来ていましたので、父親の骨を砕くのを手つだってもらいました。大きな板を敷いて二人で金鎚でトントンたたきました。とてもかたい骨でした。 聖児によく戦争中フィリピンでたたかった時のことを話して聞かせていました。あの時代の事が一番おもいで深かったのかなと、おもいだして云っていました。2時間もかかってやっと粉にすることが出来ました。二人でゆっくり話し合った時間でした。
よく晴れた空の下、故人に相応しい静かな散骨が出来ました。私と息子の二人で遺骨を自然に還し、「この花を見たら私を思い出して」と言ったユリの花を他の花と一緒に投下し、大好きなコーヒーを可愛がってもらった息子の手で海に注ぎました。自然に還って行く遺骨、側に好きなユリの花、その光景は海への散骨でよかったと心から思えた瞬間であり、私達親子の心の奥に記憶する事が出来た瞬間でもありました。
翌日、勝田に帰る時 青空の 冬空下に 母につきあい 親父とむらう 聖1月13日、彼は一人で帰らぬ人になりました。二人の写真の前で私は毎日祈り、後悔の念でいっぱいでした。でもやがてそれは楽しい思い出にかわっていきました。 東北で大津波があっと云うまにおそいかかり、なんと大勢の方が亡くなったのでしょう。同じつらい思いをして居られる方達にどうお慰めしてよいのやら、だんだん自分の影がうすれていきました。
8月の急に涼しくなった日、私は一人で聖児の骨を砕きました。サラサラにしました。二人でした時のことを思い出しながら悲しい作業でした。
9月10日は、横須賀港から船にのって沖に出ました。広い海、青い空、ほんとにきもちのよい日でした。安らかにねむって下さい。そんなおもいで静かに包を流していきました。20年前に、私はお墓はいらないときめてやっと実行出来ました。私は今肩の荷がおりました。

●第1657回・観音崎沖特別合同葬●
会の話をすると、大賛成だった母
当日は朝からめったにない快晴でした。私達はまるで遠足に行く気分で家を出ました。と言うのも母は102歳の長寿を全うし、その間山あり谷ありの人生を充分に満喫し、最後は、ほんとうにやすらかに旅立つ事が出来たから……。
そう、私達夫婦には子供がいないため、当会の主旨にはすぐ賛同し、その後、母に話をしたところ思いがけなく大賛成、早速入会しました。母が逝って、すぐ会に連絡、幸い特別合同葬が間もなくあり申し込みました。電話や、書面でわかりやすく教えていただき、書類上の手続き、そして粉骨(これもとても丁寧な扱いでした)、前夜にみんなで心こめて粉骨を包み、バラの花を飾りお別れパーティ。
当日、船の上からキラキラ光る波間にお骨とバラの花を撒いて、全員で黙祷、来世の幸せを心から祈りました

●第1658回・江の島沖合同葬●
日々の通勤で海の母と語り合い
平成23年9月11日、江の島沖にて、母の自然葬をしました。お天気で穏やかな明るい日でした。キラキラしながら骨が海に溶け込んで沈んでいき、沢山のお花がその上を飾り、幻想的で涙がこぼれました。汽笛を聞きながら母との様々な思い出が浮かび、ゆっくりお別れができました。母も希望通り家族に見守られながら穏やかな海に散骨されて喜んでいることでしょう。
海が大好きでしたので今頃は世界中の海を泳いでいるかな? 私も毎日の通勤で海岸線を通っているので、海に向かって母に語ることができ幸せです。孫達にも、人間死んだら骨になり自然に還ってゆくことがわかり、良かったと思います。 母の自然葬は心より良かったと思ったので私も主人も自分達も是非自然葬でと願っています。

●1659回・あづみの再生の森個人葬●
いつの日か私も信濃の土にと思いつつ
その日は好いお天気でした。ちょっと不安に思いながら信濃常盤駅のホームに降りたら、会の方が優しい笑顔で出迎えて下さり、ホッとし、心強く思いました。 お二人に前後を守られながら、用意して下さった杖をつき、もう片方の手はしっかり引いて戴き歩きました。私の様子を見て判断して下さった場所で、主人の大好きな信濃の土に還しました。何時の日か私もここにと思いながら。
6月4日の合同葬に、離れて暮らしている中学生の二人の孫に、聖書・創世記2章7節、3章19節を語りながら、神は「地のちり」(注・元素のこと)で人(肉体)を形造られたこと、鼻から「息」を吹き込まれた それで人は"生きるもの"となった、と。息(注・呼吸のこと)をとうして「いのち・霊」を吹き込まれたので人間になったと聖書は教えているのです。
上を見上げれば美しい青空、清々しい空気、美味しい谷川の水。私共夫婦の心安らぐ場所であって、心から嬉しく思いました。これからは終わりのくる日迄、主人の分まで大切に過ごして行かなくてはと思っています。

●第1662回・真鶴沖特別合同葬●
抜け殻になった遺骨はチリにと思いつつ
10月1日、相模灘の真鶴沖で夫を散骨させていただきました。
1年前、余命1カ月の宣告、病室でのバプテスマを受け大急ぎの旅立ちでした。 聖書は"あなたは土に帰る、あなたはそこから取られたのだから、あなたはチリだから、チリに帰らなければならない"(創世記3、19節)とあります。夫の霊は天にあります。抜け殻となった遺骨はチリに帰るべき……。その様な想いで海への散骨といたしました。
いつの日か私も同じ真鶴の海でチリとなりましょう。シーユーアゲイン(また会う日まで)。

●第1662回・真鶴沖特別合同葬●
あなたは心の中に住んでいる
子供のいない私達二人は「戒名も墓もいらないお骨は海にまこうね」と話し合い、20年前に目にした会の新聞記事を大事に持っておりました。夫は、15年前に脳溢血で倒れ、それ以来車椅子の生活でしたが、死が間近になった昨年入会いたしました。まもなく彼は息を引き取りました。 二人の想い出の地、真鶴へ散骨を予定したものの、私より先にいわゆる未亡人になった友人から「お骨が無くなると寂しくなるわよ」との言葉に延び延びになっておりました。しかし、3月11日の震災をきっかけに「色即是空」の感を強くし、今回の合同葬への参加を決めました。
お骨を粉にするために骨壷を恐る恐る開けました。「なんだ。蝉の抜け殻みたい」。私は、お骨に未練は感じませんでした。
前日までの天気予報では、散骨日は雨マーク。心配しておりましたが、当日は薄日も射しほっと致しました。波は高く船はかなりゆれましたが、夫との別れから1年半の時間が経過していた事もあってか、私達遺族は皆元気でした。波しぶきを浴びながらキャーキャー女学生のような悲鳴を上げ、不謹慎と思いつつ荒波さえ楽しみました。夫もそんな私達の様子を海の上から眺め、目を細め微笑んでいた事でしょう。
色とりどりの花びらが風に舞い、お骨は海に沈んでいきました。「さようならは言いません。貴方は私の心の中に住んでいます。いつも一緒ですもの」 今の私は、彼との会話、優しい笑顔を思い出すたびに心が温かくなります。「貴方!素敵な思い出を!たくさん、たくさんありがとう!」

●第1666回・個人葬●
今どき墓なんか……、キッパリいった母
母が末期ガンと自身で気付いた時、私に言った最初の言葉が「葬送の会にすぐ連絡して!」でしたネ。「お墓をつくらせて」と言う私に、「今どき墓なんか、流行らないわ。私は海に流して」。キッパリと言い切りました。
母の残したステキな言葉。お父さんは置いていくの。一人で世界中を旅するのよ。サナチャン(母の友人)の住むブラジルに流れつきたいの。 10月9日、母の望んだ海に、母の望んだ歌を流しお別れしました。もう自由だよお母さん。今は魂になり、願い通り旅を続けている事を信じます。お墓が無くたって、位牌が無くたってキラキラ光る海の色と共に、お母さんは私達の心の中で生き続けます。お母さん、今までありがとう。

●第1670回・個人葬●
いわし雲に見守られて海に還った父
その日の船上は晴れわたった。10月半ばというのに、父が生を受けた8月のような日差しであった。そして今まで見たこともないようないわし雲が天を仰ぐように大きなV字形を描き、そのうろこがくっきり幾重にも点在していた。
私は、自然葬という死後のかたちをとった父を称賛したい。それは人間にとって一番自然な葬り方であり、魂と肉体が自然に還ることで輪廻転生していくのだと思う。 小袋に入った父の遺骨は、父の人生を物語るかのようにずっしり重かった。『千の風になって』のBGMが流れる中、私は父への謝罪と感謝の気持ちを抱きながら、白いばらの花びらとともにその小袋を海に投げ入れた。
父は今、父を生み、その3か月後にこの世を去った母のもとで甘えていることだろう。どうか私たちを見守っていてくださいね。

●第1678回・個人葬●
荼毘、遺骨の粉末化、自然葬を引き受け
10月31日、北海道・室蘭沖で鎌田ひろゆき様の自然葬を行いました。千歳空港から車で室蘭に向かう途中、高速道路に動物が侵入して通行止めになったり、雪虫でフロントガラスが汚れたり、北海道を感じながらついた港は、午前中は鈍色の雲がどんよりしていたものの出港時間には日も差し小春日和でした。
鎌田さまは手紙に次のように記され、木霊と凪に荼毘の手配、遺骨の粉末化、自然葬の立会を依頼されました。
「自然葬については20年くらい前から漠然とではあるが意識するようになり、具体的に形にしておきたいと調べていたときある本に出合い、遺体の引き取りから散骨までをお手伝いしていただけるところがあることを知り納得の上、お願いすることにした」 今年2月に契約し、9月に泉下の人になられていました。

