随筆など

山の弔い屋

地上に痕跡残さぬ作法知る、ひしめく生ものたち

                     池内 紀(ドイツ文学者・会員)

 山好きなので月に一度は、どこかの山にいる。山道を歩きながら、いつも思うことがある。

 山の生きものたちは、どうやって弔いをしているのか。どうしてこんなにあざやかに地上から姿を消すのだろう?

 海ではおりおり、死んだ魚とぶつかる。横になって波間に浮いている。あるいは浜に打ち上げられていた。死に殻といったものも見かけた。

 山ではついぞ、その種のものに出くわさない。目にしたことがない。

 生きものはむろん、どっさりいる。ごくまじかに対面したこともある。加賀の白山で、もの好きにも廃道にちかいところから登りだしたら、やたらにサルがいた。人間を予想していなかったらしく、枝にとりついたり、すわったりしたのが、いっせいにこちらを見た。表情がわかるほどの近さで、しばらく互いにまじまじと見つめ合った。

 サルは人間にもっとも近い生きものだが、それは人間の立場からの言い方であって、サルからいえば、人間はいちばん自分たちに近い。そのせいか白山のサルたちも、警戒よりもむしろ心配げな目つきだった。

 「こんなところに入ってきて、オイ、大丈夫かネ、とんだヘソ曲がりめ」 甲州の里山づたいに上りかけたら、道端が点々と掘り返されていた。山仕事の人にたずねると、イノシシのしわざだという。根っこの旨いところだけを食べて、マズイところは残していく。土のぐあいからすると、「つい、ゆうべ」のこと。とすると、ほんの何時間か前、グルメのイノシシが食事をとっていたわけだ。

 大菩薩嶺の奥を下っていたらシカがいた。急な笹原を、こともなげに斜めに走っていく。その美しい走行をながめていて、二本足よりも四本脚が、はるかに優雅で、機能的であることを思い知った。

 春山はカッコウの順送り、とにかく沢山いる。鳴き声をカッコー、カッコーから急にカッ、カッ、カッと変調するものもいれば、気どって英語のクッコー風に鳴くのもいる。あるいはもっぱらピピピとさえずっているのやら。カッコーやホトトギスは古歌にのべつ出てくるが、それほど山野のいたるところにいたせいだろう。

 夏山におなじみのクロツグミ。森の木洩れ日をかすめるキビタキ。白神山地のアカゲラは一心不乱に枯れ木をつついていた。  野宿をすると、いかにまわりにいろんな生きものたちがひしめいているか、あらためて気がつく。たえずささやくような声がする。フクロウやアオバズクはわかりやすいが、そのほか形容のつかぬ鳴き声が代わる代わるつたわってくる。山の生きものたちにとって、夜こそ活動の時間なのだから賑やかになって当然だ。肝を冷やしながら寝袋にすくんでいる人間こそ、とんだお邪魔虫というものだ。

 生きものだから、おのずと寿命がある。病みもする。傷ついたりしただろう。そして死が見舞う。人間のくる山道は敬遠するにせよ、病んだり傷ついたりしていれば、そうもいっておられない。木の根かたに死骸がころがっている。雨水が骨を運んでくる。そのはずだ。

 私は山頂にこだわらない。どうかすると、ほどのいいところで半日すごして下りてくる。気に入れば渓流の水音を聞きながら一時間も二時間もすわっている。そんなとき、われ知らず山仲間の骸を目でもとめていたりする。にもかかわらず、ついぞ見つけなかった。雨水にさらされた残骸にも、また白骨とも出くわさなかった。

 たしかに山里に「オオカミの顎」と称されるのが伝わっていることがある。頭蓋骨が見つかり、山神社に祀られている。学者の検分ではオオカミではなく犬の骨だが、それはかまわない。そもそも、それほど骸の見つかるのが珍しく、それで死滅した幻の生きものにされるのではあるまいか。

 山には弔い屋がいるらしい。死を待ってそっとやってきて、手ぎわよく処理し、地上に痕跡を残さない。

 どうやら「天狗」などといわれるたぐいのようだ。私はそんなふうに考えている。風や雲や霧、靄や陽光のぐあいをよく知っているやつ。自然の生理で生きているから、弔い方も自然の作法にのっとっている。かつて修験者が水垢離をとったように、骸を水で洗って、つめたい黎明の空気でつつみこみ、風にのせ、あるいは伏流水に浮かばせて運び去る。

 夜のうちにひと仕事すませると、月のきれいな円光をながめながらブナの梢で霧のタバコをふかしている。天気がいいと屋根に寝ころんで雲に口笛を吹いている。下界が恋しくなると、山彦とおしゃべりしている。

--------------------------------------
いけうち・おさむ
1940年、兵庫県生まれ。元東京大学教授。『カフカ小説全集』やゲーテ『ファウスト』などの翻訳のほか、『ゲーテさんこんばんは』で人間味あふれるゲーテ像を著した。山と温泉を愛し、旅のエッセーなども多い。    


(2003.3)

logo
▲ top