(下) 呪術
民俗学者・酒井卯作
(題字も)
神の啓示や悪魔の囁きへの防衛
日本人にとって死は呪術の世界です。インドのように、火葬して骨を川に流してしまえば、それでおしまいというわけにはいきません。火葬は衛生的で簡便な方法かもしれませんが、死人にとっては、これほど不親切で残酷な方法はありません。仏教説話を多くとりあげた11世紀頃の今昔物語(20-18)さえも、火葬は魂まで焼き尽くしてしまうと嘆いています。それは昔の話だけではありません。例えば伊豆の例があります。
熱海から十国峠に登る途中に、日金山があって、そこは昔から死者の魂の行くところだと伝えられています。あるとき弥太郎という人がこの峠を越えて行くと、1人の男が松明をともして立っていた。そして、自分はこの山中に住む者だが、麓から人が来るのを待っている。16、7歳の娘だがお会いになったら早く登ってくるように伝えて下さいという。弥太郎は返事をして下りはじめると、果たしてそれらしい娘と出会ったので、男の言葉を伝えて通りすぎた。ところが間もなく後の方から、娘の大きな悲鳴が聞こえてきた。弥太郎は恐ろしくなって急ぎ足で麓の玉沢まで下ってみると、大勢の人たちが集まって荼毘をしていた。聞けば、この土地の17歳になる娘だという。さきほど峠で聞こえた悲鳴は、じつはここで荼毘にされた娘の悲鳴だったのだ。弥太郎はそう思って震えあがったそうです(山下静江氏)。
火葬は人間の肉体ばかりでなく、魂の最後の一片までも焼き尽くしてしまう。それを見直そうとしたのが明治における天皇の葬制でした。慶応3年の維新日誌に、「天皇ノ火葬ヲ廃シ、山陵ヲ造ルコトヲ古制ニ復ス」とあるように、平安朝に発した天皇の火葬をやめて、山陵に埋葬する方法をとり、天皇霊の復活をはかりました。仏教でしか死を知らなかった日本人にとって、これは画期的な改革でした。
人の心を捉えた死への恐怖
しかし、日本の庶民たちは、仏教に染まった方法だけに頼っていたわけではありません。死の恐怖という人間本来の素朴な感情は、いろいろの形で人びとの心を捉えていました。死神の話がそうです。先々号で死の知らせを2人で行くのは、死神につかれないためだと述べましたが、つかれるというのは、死ぬことに人間が抵抗感を失ってしまうことです。長野県辰野町ではこれを「誘いの神」といって、この神に出会うと死ぬのが楽しくなるといいます。例えば川に行くと身投げしたくなるし、枝ぶりの良い木を見ると首を吊りたくなる。生きているのがもったいないので、早く死にたくなってしまいます。これを思わせる話が和歌山県にあります。
ここの西牟婁郡田辺地方の出来事を集めた「牟婁口碑集」によると、泥棒が盗みにある家の倉に入った。すると、その家の妻女らしい人が首を吊ろうとしている。それがいかにも楽しそうで、うきうきして、縄を梁にかけようとすると、誰かが手伝っているように、すんなりとかかってしまう。いよいよ首を吊ろうとするとき、さすがの泥棒もみかねて、その妻女を助け下ろしました。そこで妻女はハッとして我にかえり、自分がいま何をしようとしているか分からなかったといいます。やがて家族も集まって大悦びをして、泥棒には十分なお礼を与えて別れました。めでたし、めでたし、です。
ところが翌朝、家の者が何気なく門の外を見たら、夕べの泥棒が首を吊って死んでいたそうです。
死神にも打算があり、ノルマがあるのかもしれません。さきにあげた長野県辰野町では、危篤の病人がいて、男が1人、医者を呼びに行きました。ところが病人は無事に助かったそうですが、使いの男は首を吊って死んだといいます(郷土1の2)。奄美大島大和村では、首を吊ろうとするときは、しきりに「前へ前へ」という声が聞こえてくるそうで、その声に乗ってしまえば、もうおしまいです。
神の啓示と悪魔の囁きは、病める人の心を魅了するものです。こうしたとき、わが常民たちはけっして無防備であったわけではありません。例えば死神を避けるときは呪術的な方法があります。沖縄の津堅島では、葬式から帰宅すると、赤ん坊をもつ母親はまず庭の木を一度抱いてから自分の子を抱きます。死神を木に移してしまうのです。岡山県哲西町では兄が死ぬと、弟妹は名前を変えたというし(佐藤米司氏)、新潟県佐渡では、井戸に落ちた子は、必ず名を変えたといいます(浜口一夫氏)。いずれも死神を避けるための呪いです。人を死に誘う神があれば、それから逃れる呪いもあります。こうして日本人の精神衛生は維持されてきたのです。
古い時代の豊かな精神生活
森が深く、海がもっと美しかった頃は、私たちの生活はもっと豊かでした。たしかに恐ろしい死神もいました。岩手県遠野のように、泥棒の神様も、そして近畿地方一帯の祟るミサキ神もいました。一方では沖縄県宮古島のように子を授ける風の神もいます。宮古島では子供のほしい女は、北風の吹く日、屋根の上で着物をからげてお尻を天に向けておくと、子供が生まれるというのです。ひとつの神しか持たない欧米諸国と比べると、私たちははるかに豊かな精神生活を営んでいる勘定です。
さて、死神は、それを望まないのに人を死に誘いこむものですが、その反対もあります。死のうと思っても、それがかなわない話を紹介して結びにします。
京都府京丹後市の竹野神社の鬼祭りは11月の丑の日です。この祭りに先立って、村の四方には「鬼祭りの行列に出合えば3年以内に死ぬから立ち合ってはならぬ」という意味の立て札が設けられます。当日の夜は氏子中の36人集が、鳴りものを鳴らして練り歩くので、子供のいる家は親戚に子供を預けたりして静粛を保ちます。ところがこの禁を犯して顔を出す人がいます。これは長患いや不幸に悩み、早く死にたいと願う悲しい人たちです。36人集は闇の中でそれを見て、「ああ、あの人も出ている」と心の中でつぶやくそうですが、毎年1人か2人はこんな人がいたといいます。これは死神からさえも見捨てられたあわれな人たちです。
死ぬべきでない者が死神の誘惑にかかって果てる人、逆に死神を求めてもなお、それがかなわぬ者の不憫さ。まさしく生死の流転に悩む凡夫の世界がここにあります。
(了)
再生 第62号(2006.9)
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