インタビュー

私は精神障害者授産施設の施設長

矢野清さんに聞く精神障害者福祉といま

 
 精神障害者小規模通所授産施設「りんごの木」は、横浜市の中心市街地から離れた南舞岡地区の里山の雑木林に囲まれた住宅街にある。施設長の矢野清さん(54)は、精神障害者の生活支援を中心として25年前に始まった地域作業所運動の草々期からこの仕事にたずさわってきた。この間、精神障害を医療だけでなく福祉施策としてとらえる方向に法も社会も大きく動き、一昨年できた障害者自立支援法にもこの考えが反映された。それでも、「いまでも社会福祉の中で最も遅れているのは精神障害者への福祉施策であるという認識は、関係者に共通していると思います」という。
(聞き手=事務局・小飯塚一也))

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■「ガイアツ」で動き始めた精神障害者福祉

―― 「りんごの木」は、精神障害者小規模通所授産施設だそうですが、どのような施設ですか。

矢野  精神的な病から回復、あるいはその途上にある人がエネルギーを蓄える場、社会復帰のトレーニングをする場です。20人が通ってきます。今年の4月で開設10年。同じような施設がいま、私たちの施設のある横浜市内だけでも60ヶ所あります。

 ご存知の通り、日本の公的な社会福祉は戦後スタートしました。戦災孤児に対する児童福祉法と戦争などで生活が破壊された人に対する生活保護法、戦傷者を含めた身体障害者福祉法ができました。貧しかった昭和20年代の福祉3法ですね。経済成長の30年代になると知的障害者福祉法や老人福祉法ができ、母子及び寡婦福祉法が加わって福祉6法になった。日本の福祉も世界に肩をならべたなどといわれました。ところが、精神障害は知的障害にも身体障害にも入らず、ずっと立ち遅れていました。

 精神障害は服薬することでかなり症状が落ち着く。それなのに精神衛生法の時代には、その後のリハビリテーション、つまり福祉の観点がまったくなかった。昭和62年(1987年)に改正されて精神保健法となり、さらに改正をへていまの精神保健福祉法になります。大きな転機になったのが、1984年に起きた栃木県の宇都宮病院事件です。日本の精神医療のありかたが国連の人権委員会で議論され、経済では世界をリードしている国でなぜ精神障害者に対する酷い扱いが放置されているのかと批判され、厚生省(当時)がやっと動き始めた。一方で、国際障害者年も1981年に始まっていた。「ガイアツ」で重い腰をあげたのです。

 横浜だけでも何万人かの患者がいる。施設がほしいという家族がいる。家族会は、知的障害者福祉法と同じように精神障害者にも福祉法をという声を出した。何か始めなくてはと作業所をつくる運動が82年に始まりました。それから20年以上たった2006年になってやっと、障害者自立支援法ができ、精神障害についても身体障害、知的障害と同じ施策を適用する、サービスの一元化という考え方が初めて示されました。

 日本の社会福祉は明治以来、私財を投げ打って活動を展開してきた人を国が追認する歴史です。残念ながら国が率先してやることはあまりなかったといえます。

―― このような仕事に入ったきかっけは。

矢野  兄が知的障害と精神障害をもっていたことが大きなきっかけです。それまで私は大阪にいました。大阪市西成区のあいりん地区、つまり釜が崎の西成労働福祉センターで働いていました。横浜に障害をもつ子どもともたない子どもをいっしょに生活させる保育園づくりが進んでいた。誘いがかかり、兄とともに横浜に移って2年ほど働きました。しばらく他の仕事をしたあと、作業所運動を進めていた横浜市精神障害者家族会連合会がつくった作業所に入りました。その延長で「りんごの木」を立ち上げました。施設はいまは、横浜に出てきたときに働いた保育園を経営する「土と愛」という社会福祉法人に属しています。

■決定的に遅れていた就労対策

―― この1月の新聞に、精神障害者の就労状況について厚労省が初めて行った調査結果がでていました。それによると、授産施設や企業などで働いている精神障害者は全体の17パーセントということです。

矢野  障害者の法定雇用率というのがあります。身体障害者や知的障害者の雇用が1.8パーセントに達しないとペナルティーがある。罰則金は高くないので、お金を払ってすます企業が大半というのが実情ですが、精神障害も昨年度からその障害の対象に入りました。1年目ということでまとめたのです。精神障害者を必ず雇わなければならないということではありません。

 私がこの仕事を始めたころに比べると、精神障害者が利用できる資源はけた違いにふえています。以前は病院しかなかった。いまはデイケアやグループホーム活動があり、作業所などの生活支援活動がある。役所や病院の対応も進んでいます。その中で、決定的に遅れていたのが就労です。精神障害は、知的障害や身体障害よリ10年は遅れているのが現状です。

 「りんごの木」では、さまざまな事業をしています。ひとつはパウンドケーキやクッキーなどのお菓子づくり。利用者の7割は月7万円弱の障害年金を受給していますが、残りの人は収入がなく、家でも肩身の狭い思いをしています。お菓子は戸塚駅などで販売します。年300万円ぐらいの収入になります。施設がある横浜市戸塚区南舞岡地域との交流のため、開設以来巡回映画会を行っています。利用者とスタッフが参加して、地域の自治会館に映写機材を持参して上映するのです。また、この地域には夏祭りがあります。明治学院大の実習生も参加して祭の後片付けをします。近くに昔ながらの田や雑木林、小川や池を残した30ヘクタールの広さの自然公園、舞岡公園があります。市民団体が管理しています。その公園の田で行われる米づくりにも参加します。そうした社会体験を積み重ねて、社会参加の支援をしています。

■障害への理解、社会が必要としている

―― 精神障害に対する社会のとらえ方はどう変わりましたか。

矢野  どんな病気でもこわいと思うのは仕方ない。メカニズムが分からないとこわい。統合失調症は2002年まで精神分裂病といわれていました。いつの時代、どの地域でも、現代であれ、中世であれ、古代であれ、先進国なのか途上国なのかを問わず、有病率は約1パーセントで変わらないという人類の病気といわれている。なぜ起きるのか、かなり分かってきています。体にストレスが加わったときに、脳内の情報伝達をするある種の神経伝達物質(ドーパミン)がふえることで幻聴や妄想が起きる、と説明されています。その働きを正常に戻すため安定剤が有効ということです。また、うつ病はまちがいなく現代にふえてきた病気です。安倍前首相が突然退陣したとき、アメリカ精神医学会による判断基準をあてはめると安倍氏はうつ病にあてはまる、と明言する精神科医の論文が新聞に出ていましたが、私たちも仕事柄そう感じていた。これに対する治療法はかなり進んでいると聞いています。皇太子妃の雅子さまは適応障害であることを宮内庁が公表した。また、三笠宮寛仁さまはアルコール依存であることを公表した。精神科領域のことはタブーだったのに皇室の方が進んでいる。以前より国民の理解の幅は広がっています。

 医療費の問題も大きい。リハビリテーションやデイケアなどうまく生活ができるようにする取り組みなどにも保険点数がつくようになりました。ものすごくふえたのが入院施設のない地域の精神神経科クリニックです。仕事帰りのサラリーマンでも気楽に通うことができるようになったことはとても意義のあることだと思います。別の言い方をすれば、それだけ社会が必要としていると思います。

―― 日本社会が住みにくい、弱者を追いつめるような厳しい社会になってきたということですね。

矢野  精神科の医師はよくそういいます。正社員でない人の数がすごいですね。昨年、娘が就職活動をしましたが、学生のいまの第一目標は「正社員」とききました。私はいろいろな職業を経験しましたが、それは好んでやったこと。正社員にもなれないのでは人生設計も立てられない。よく、子どもたちについての相談を受けます。中学でいじめにあい引きこもったり、それが小学校で始まっていたりします。

■自然公園で考えた「生と死」のこと

―― 会にはどういう理由で入られたのですか。

矢野  30歳のときに病気をしました。劇症肝炎の一歩手前という状態で、数年、仕事ができなかった。生と死ということを考えました。救われたのは、娘の誕生と家の近くに里山をそのまま残した自然公園があったことです。35ヘクタールもある公園で、毎日のように雑木林を歩いて木を眺めたり昆虫を見つめたり。すると、樹というものはなんて偉いものかと思うようになった。立っているだけでいろいろな役割を果たしていると思いました。そのころ、死んだ後のことを考え決めたのが、1、延命治療はしない、2、献体する、3、告別式をやらず、4、墓を持たない、です。病気がどうなるか分からないので、毎年の大晦日に遺言として書きました。生まれたのは自分の意思ではない。死んだ後は自分の考えを通したいと考えていました。散骨という考えが漠然とあった。昨年、偶然にも知人が会のボランティアをしていることを知り、さっそく会の活動を教えてもらい、そして大いに共感してすぐ会員になりました。

 「りんごの木」をつくることになったとき、自然公園の森でのこの経験が頭にありました。場所の確保のために歩いて、舞岡の風景が気に入りました。40年前に宅地ができ、多くの人が住むようになって、新住民がこの地域の里山の自然を大事にするようになった。市民活動が芽生えて、自然の豊かな舞岡公園の管理も市民がやっている。私たちはここにきて、精神障害をもった人への理解をもらい、協力をいただいているが、こちらも朝市で地元農家の方の野菜を買うなど消費者として還元できる関係を作ろうとしています。会は、国有林を自然葬に開放するべきだと主張していますね。このあたりの市有林は広範囲に竹林がはびこり暗い森になって立ち入り禁止の立て札が立っています。利用しないで荒廃させている。農家やボランティアが管理している竹林が明るくすっきりしているのと対照的です。市民に開放して有効利用するべきですね。

『再生』第68号(2008.3)
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