私は夜間急病センター医師
札幌市の柳瀬義男さんに聞く医療の現状
札幌市医師会夜間急病センターに勤める医師、柳瀬義男さん(61)は、会に入会してもうすぐ10年になる。町の寝静まる真夜中に、苦痛に悩む人の健康と命を救うため献身されている。もともとは小児科医。医師不足が指摘され、大病院の患者たらい回し事件など医療が社会問題になっているなかで、今の救急医療の課題や仕事の様子、心を病む人がふえた現代の医療と健康をめぐる問題、「命と死」などについて幅広く話してもらった。
(聞き手=北海道支部・塩崎義郎)
『再生』第71号(2008.12)掲載
-----------------------------------------------------------------■世の中の縮図を見ている感じ
――大変な仕事ですね。
柳瀬 午前零時からなんていう勤務が多いんですが、月に10回、つまり3日に1回ですからそれほどのことではありません。そのことよりいろんな患者さんが飛び込んでくるので目が回ります。多いのはススキノ(札幌市の歓楽街)から来る人ひとたちですね。酔っ払って路上に転がった人が搬送されてくるし、飲食店の従業員もタキシードやドレス姿で駆け込んできます。睡眠薬を何十錠も飲んで自殺をはかった人など珍しくありません。ウツの患者もふえています。昼間病院に行かずに夜ここに来るという人もいます。わがままというかクレームが多く、医師がもてあましているんですね。で、私のところに来てぐち話をしていくんです。そういう人たちが集まりやすいところなんでしょう。なにか、今の世の中の縮図を見ている感じがします。
――最近、札幌市の産婦人科医が、入院や手術を要する症例に対応する2次救急医療から撤退するという問題がありました。東京でもたらい回しをされた妊婦が亡くなりました。
柳瀬 札幌の問題は、人口180万人の大都市で起きた問題として恥ずかしい話ですが、これは根本的には医療政策の失敗です。医療費を抑えすぎるから医師不足で、仕事もきつすぎる。40代バリバリの働き盛りで若手を育てるべき基幹病院の医師がどんどん」開業医に出て行ってしまう。深刻な状況です。診療報酬の見直しが必要です。国民総生産に占める医療費の比率は米国は15パーセントなのに日本は7パーセントです。欧州はその中間ぐらいです。
――救急車が安易に使われすぎ、肝心の重症患者が手遅れになるということも聞きます。
柳瀬 これも難しいですね。ただ熱がでただけとか、水虫がかゆくて、なんて患者も救急車で来る。3人に2人はタクシーなどで十分間に合うんです。横浜市など、すでに有料化に踏み出そうと検討をはじめたところもあります。今のままではそういう方向にもなりかねません。
■子供の死、身の置き所ない思いに
――人が亡くなる場面に立ち会われることも多いのでは。
柳瀬 センターでは、本当に重い患者はまた別の専門病院に送りますから、実はそうした場面にはあまり遭わないんです。以前、小児科専門医だったころは子供さんの死に向き合うことが多く、つらい思いをしました。
――以前というと。
柳瀬 私は富山県出身ですが、千葉大を出て東京の日赤医療センターに10数年いました。そして今から20年ほど前、北海道伊達市の日赤病院にいた先輩が開業するというので、後任として送り込まれたのです。そこに3年いました。ずっと小児科専門でした。その後、札幌に出てきましたが、なにせ北海道の大学を出ていないものですから拾ってくれるところがない。そこでここへ来たわけで、志望したというほどのことではないのです。
――子供さんの命を預かるのも大変だったでしょう。
柳瀬 昔は肺炎や髄膜炎、感染症で亡くなる子が多かったけど、近年ふえたのは悪性腫瘍、小児がんですね。治療が難しく亡くなることが多い。東京の日赤にいたときの恩師が、あの川崎病(幼児の急性発疹性疾患)の発見者の川崎富作先生でした。当時は死亡率が高く、急に子供を亡くして嘆かれるご両親の姿を見ると身の置き所のないようなつらい思いを何度もしました。霊安室から送り出される車を前に、「お役にたちませんで……」と頭を垂れるばかりです。そのかわり、これはダメかなとおもっていたのに、闘病生活の後、すっかりよくなって退院される子供さんを見送るときの喜びは言葉にはなりません。
■同僚の葬儀体験談聞き、あきれて入会
――「葬送の自由をすすめる会」との出会いは。
柳瀬 東京の日赤にいた時の同僚の体験談に驚いたことがあります。彼の郷里、長崎県で医師会長をしていた父親が亡くなって、彼が葬儀を取り仕切ることになった。そのとき、お寺との間にたった人が坊さんに戒名代について「おいくらぐらい包めば……」と尋ねたところ、「ここのお父さんなら」といって指を4本出したというのです。40万円かと思ったら400万円ですと。その話を聞いてお寺の拝金主義にあきれました。そんなころ、伊達市の日赤の先輩医師から「こういう会があるよ」と「葬送の自由をすすめる会」を紹介されました。すぐ入りました。死をいたむ厳粛な気持ちはわかりますが、それはカネをかけて派手にやればいいということではない。子供たちの死の場面には何度も立会いましたが、豪華な葬儀をあげたからといってその子供がよろこぶものではないでしょう。
――お墓とか、お骨についてはどう考えられますか。
柳瀬 お墓も必要ないと思います。地球上に人類が60億人もいて、人の死は無限に続きます。地球は有限です。生前の故人を偲ぶのなら心の中で偲べばいい。方法はいくらでもあります。お骨だって私たち医師が科学的にいえば、ほとんどカルシウムという物体です。一片のお骨に生前の紆余曲折が凝縮されていると考えるなら、それを保持するのもそれなりの意味はあるかもしれませんが……。
――ただ、日本人の中には、まだお骨に対する独特の意識をもつ人が少なくないように思います。「霊が宿っている」とか「気味が悪い」とか「身内の骨はいいが他人のはいやだ」とか。
柳瀬 私は気味が悪いとは思わないのですが。たとえば、アウシュビツの遺骨は確かに気味が悪い。異常な背景がそう感じさせるのでしょう。きちっと礼を尽くして法的な手続きで火葬した骨を変に怖がる必要はない。私は例えば、外国人が私の家の隣に散骨しても全然かまいません。よその人の骨はいやだとか、お墓に納めなければだめだなどというこだわりは、古い家制度や檀家制度によって、国家やお寺が個人を縛り付けてきたからといえるわけで、今のような世の中が続いて、10代、20代の人が社会の中心になっていけば、世間の意識も随分変わると思います。
■大事な患者とのコミュニケーション
――最後に人の「命」、そして「死」ということについて
柳瀬 がんで死にゆく子供に病状を告知するのか――以前は死を意識させての治療は一般に否定されていました。だけど、これだけ情報が発達してくると子供もいろいろ分かる。私は最近、死を前にした患者とのコミュニケーションがやはり必要と思っています。一方で、子供たちがいじめられてすぐ自殺したりする傾向は気になります。そこで「命の大切さを教えよう」などといわれるが、そのような観念的ないいかたでは教えることができるのでしょうか。
秋葉原の事件の犯人も悩みを相談できる相手がいなかったのでしょう。大事なのは子供といいコミュニケーションを保つことだと思います。親がきちっとしている一方で、子供は偏差値競争のような変な枠組みから解放してやるべきです。変な平等主義もおかしい。運動会のかけっこに賞を出さなかったり、学芸会でみんなに桃太郎をやらせたりということで、桃太郎が5人いたりする。個人の違い、個性の違いをはっきりみて、それを受け入れるところから本当に「ひと」と「いのち」を大切にする意識が育つのではないでしょうか。
■多様性許容しあう社会になってほしい
――なんでもみんなと同じでなくてはいけないという強迫意識がある。
柳瀬 人間社会にはもっと多様性があって当然なんです。なのに、みんなが均一レベルにないと落ち着かないということで、世の中妙に神経質になりすぎている。日本全体がうつ状態ではないですか。そしてクスリ依存です。日本ぐらいコレステロールを下げるクスリが使われている国はほかにありません。インフルエンザもそうです。世界の抗インフルエンザウイルス剤の7、8割を日本だけで消費している。「子供に学校を休ませられないから」と、すぐにクスリです。バナナでやせると聞くとたちまちバナナが品切れになる。どうも日本人は極端に走りすぎますね。
人間はいずれ死ぬ。終末は結局、自分で決められるものではありません。死を考えてあわてたってしょうがありません。それより今の人生を充実させ、精一杯生き抜くことだと思うんです。
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