インタビュー

私は湧水・清流の保全運動団体代表

東久留米市の渡部卓さんとホトケドジョウ

 

  東京・東久留米市の住宅地を貫く落合川は、都市の河川とは思えない水量豊かな清流だ。一昨年は、水源の「南沢湧水群」と合わせて環境省の「平成の名水百選」にも選ばれた。川を守ろうとする住民のさまざまな活動がある。渡部卓さん(76)=04年入会=は、全国でも珍しい市の湧水条例制定運動をすすめ、湧水に生息する絶滅危惧種のホトケドジョウを埋め立て工事から救えという訴訟の原告を務めるなど、その中心的な役割を果たしてきた。「条例はできるまでに足かけ9年、訴訟は一審敗訴。環境の訴えは実り少ないが、不満足条例でもないよりまし、敗訴でもやらないよりましというのが私の立場です」という。  
                     (聞き手「再生」編集担当・小飯塚一也)


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■日量3万トンの湧水がつくる落合川

――  落合川を初めて見て、東京の住宅地にこんなに水量豊かな清流があったとはと驚きました。高齢者や子どもたちが釣りをしたり川に入ったりして楽しそうですね。

渡部 落合川は市の八幡町を源流として市内を東に流れ、埼玉県の新座市に入る手前で北側を流れてきた黒目川と合流する全長3.4キロの川です。「南沢湧水群」などの湧水が市内を流れる間に加わり、合流点では日量3万トンにもなります。

ホトケドジョウ
ホトケドジョウ

  地形学者によると、7、8万年前からの氷河期の最終期に多摩川上流の河床は山から出てくる砂礫で上昇し、川は武蔵野の扇状地をあちこち転流した。4、5万年ほど前は、東久留米の土地を北東に流れていたのが、3、4万年ほど前に立川の方へ移りました。移ったあとに、幅1.4キロ、深さ10メートルの砂礫の段丘ができた。東久留米に湧水が多いのはそのためです。

  青梅市をコンパスの支点にして20キロほどの線上に、東から東久留米の「南沢湧水群」、「大泉井頭公園」、三鷹の「井の頭公園」、国分寺に発する野川やハケといわれる湧水が扇状に続いている。周辺の都市化などで水量が減り水質も悪くなっているところが多い。その中で、落合川は質、量とも変わっていません。

著者
落合川畔で

――  「湧水条例」制定とのかかわりはどのようなことからですか。

  渡部 私は結婚して東久留米の住宅公団の団地に引っ越してきました。NHKの職員でしたが労働組合の役員をしていたことなどもあって、まだ町制だった時代を含めて町議、市議を3期ほどやりました。その後、次第に自然保護運動に関わるようになりました。1990年の市長選挙に東京大学の新聞研究所長なども務めた社会学者の稲葉三千男さんが革新系候補として出ることになり、選挙対策委員会の事務局長をしました。市議に出たとき応援してくれた関係もあったが、公約のトップに「湧水条例制定」を掲げたことも責任者になった理由です。

  引っ越した1960年代は、高度成長の時代、公害の時代で各地の川は産業排水などの垂れ流しで汚れていましたが、落合川も畜産の排水で汚染がひどかった。湧水や清流を守ろうなんて観念はなかった。市議をしていて分かったのですが、地主や古くからの土地の人は、水よりも土地です。川を埋めると岸の法面が自分の土地になる。埋めた上に道が来ると地価も上がる。そのころ、東久留米には8本の川があったのに4本が埋められたり、蓋かけされたりしました。水を生かした街づくりをすれば最終的には自分のプラスになるのに、とくやしかった。

  稲葉さんは市長になった。私は市民運動の「東久留米ホトケドジョウを守る会」などをつくり湧水、清流を守る政策の支援をしようとしました。しかし、少数与党だったせいもあって市政の方はすすまない。2期目は選対委員長をしました。このときも湧水条例制定を公約にしました。それなのに市長は何もしようとしない。ついに97年、市民運動の「清流復元シンポジウム」に出てもらい、条例をどうするつもりか100人を超す参加者の前でただしました。すると、「地下水のメカニズムは解明されていない」とか「何をどう守るのか」などと述べたのです。条例をつくる気持ちがないことを明らかにしたのです。

  自分たちがやらないと条例なんてできないと身にしみて思い、その場で私は「湧水条例研究会」をつくることを提案し了承されました。議員立法による条例制定へのスタートになりました。

■議員立法の湧水条例に9年の歳月

――  「東久留米市の湧水等の保護と回復に関する条例」が制定されたのが2005年6月。研究会スタート以来、足かけ9年ということですね。

渡部 「東久留米市湧水・清流保全条例研究会」というのが正式名称です。毎年1回、環境省や都などの環境行政担当者や学者、条例の専門家などを招いたシンポジウムをし、月に1回の研究会、会報の発行、各地の調査などの活動を始めました。敗れましたが、98年の市長選では稲葉さんに対抗して研究会メンバーだった自治省出身の小坂紀一郎さん(自治大学校校長などを歴任)を推したりもしました。 この間、会員がつくった条例案は10本ほど。最初は、20人ほどがこうあったらいいなということを全部出し合ってまとめた素朴なもの。だんだん、小坂さんら条例の専門家も加わった案に集約されてきました。01年には、「市長は湧水の保全に必要であると認められる地域を湧水保全地域として指定することができる」という地域指定の項や、指定地域での行為の規制、違反した場合の罰則まで含む本格的な案ができました。

  これらをもとに、01年にまず市議会に条例制定の請願を出しました。この請願は満場一致で採択されたのに、市側は「私権、財産権の制限のための財源議論になると時間がかかる」などといって何もしない。3年して、仕方なく議員立法を考えることにし、議員有志や市の担当者らと勉強会を何度もやりました。そして、04年に研究会メンバーでもある市議らによる議員立法で条例案を上程することができた。しかし、議会に出ると、今度は何度も継続審議扱いになり議論はすすまない。6月議会、9月議会、12月議会、翌05年の3月議会も進展なく、6月議会で修正案が出てきて、1年がかりの可決、成立となりました。

  できた条例は市の環境担当者が適当にまとめたというのが実態。当初の案にあった湧水保全地域の指定や罰則規定は姿を消しました。いろいろ議論がありました。私は、湧水の保護を主眼とする条例は全国的にもなく、不十分ではあっても成立のほうがいいと判断しましたが、本音は、9年もやってきてこうした結果になり、もう疲れたというところでした。

  条例は、市長がやる気になれば実現できる。市長がやる気なくても議員立法で可能だ。両者がだめでも住民の直接請求ですすめられる。しかし、直接請求は大変なエネルギーが要る。名古屋市の市議会解散や鹿児島県阿久根市の市長の解職を求める直接請求は、本当にすごいと思います。

■価値知らずに駆逐される貴重な生物

――  ホトケドジョウの訴訟はどのような経過ですか。

渡部 治水を目的にした都による落合川の改修事業は、60年代に下流からすすめられてきました。さまざまな場面で都と協調したり、反対の市民運動が起きたりしてきました。そして、湧水条例が成立したばかりの06年1月、都は落合川上流の水源域の蛇行部分の北側に直線の新河川を掘り、その残土で蛇行部分を埋め立てるという計画を示しました。

  付近は日量3000トンから6000トンの湧水があることが分かっていた。また、湧水にしか生息しない淡水魚のホトケドジョウがたくさんいた。03年に環境省のレッドデータブックで絶滅危惧IB類(近い将来における野生での絶滅の危険性が高いもの)に指定された貴重な魚です。乱暴な埋め立てには絶対反対で、市議会や都議会に「落合川を埋め立てるな」という陳情を出したり、都の建設事務所や市に反対の申し入れをしたり。土木専門家や大学教授、弁護士から代替案を出したり、建設省(当時)の河川局長として環境重視の河川法改正にかかわった尾田栄章さんを招いた集会を開くなど運動は盛り上がりました。反対運動にかかわらず工事が着手され、私たちは07年8月に、埋め立て工事の差し止めと原状回復を求める行政訴訟を起こしました。

  原告は私を含む落合川周辺住民4人にホトケドジョウと落合川で、「良好な河川環境から豊かな生活環境を享受する利益が違法に侵害された」という主張です。判決言い渡しは今年4月にありました。「環境権、環境利益を保護すべき実態法上の根拠がなく、法律上保護される利益に該当しない」「ドジョウに当事者能力はない」と、訴えは棄却されました。マンション訴訟などで「景観権」は認められつつあるのに「環境権」はまだ認められない。判決は不服ですので控訴しています。

  裁判の過程で、都側の弁護士は「都の環境確保条例の地下水の保全に関する規定には罰則がない。理念規定だから原状復元は必要ない」などと法を無視するような主張を堂々とやる。市の湧水条例から、地域指定や罰則規定がはずれたのはまずかったとつくづく思い知らされました。

  裁判を応援してくれた研究者が、各地のホトケドジョウのDNAを調べていくと日本列島の造山運動の歴史が分かると教えてくれました。湧水にしか棲まないので交雑しない。湧水ごとに古い時代の固有の姿を保っているからです。それを知らずに駆逐している。今年は名古屋で、国連の生物多様性条約締結国会議があり、絶滅危惧種の保全も議題になったというのに。

  市は今年市制40周年で、湧水保全都市宣言の準備をしています。やっとそういう雰囲気になってきた。条例も5年たったのでまき返しをはかりたいところです。

  葬送の自由をすすめる会は、東京湾のゴミの島ですすめる「海の森」に自然葬ができる「再生の森」を結びつけるよう石原新太郎都知事に求めていますが、賛成です。広い公園をつくってその一部に散骨する、ということを私も考えていました。東京都がこれを認めるには時間がかかると思いますが、ねばり強くやるしかないと思います。



『再生』第79号(2010.12)
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