インタビュー

私は40歳からの「百姓」

埼玉で「皆農塾」運営の鈴木恵子さんに聞く

  東京の下町生まれ。サラリーマンの妻だった鈴木恵子さん(60)は20年前、まったくの素人から農業で生きようと、埼玉県北西部の寄居町に住み着いた。そこに脱サラした人たちが農業で自活していくための研修農場(皆農塾)を設けた。山羊、羊、鶏を飼い、多種類の有機野菜や米をつくり、自家製小麦をもとに天然酵母のパンもつくる。ここで研修を受けたニートの若者や脱サラ夫婦など50数名が「百姓」として巣立っている。「農業、こんなに面白い仕事はない」と語る鈴木さんは本会に入って10年。「今生を悔いなく生きたいと思っているから、消えてなくなるだけで十分。死後は何もしてくれるな、墓だのなんなのはいらない。その考えを本会にきっちりと支えてもらえたらな、と思っています」   
(聞き手=田沢健次郎・会員)

『再生』第64号(2007.3)掲載

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■全く農業を知らなかった

「めー」「めー」。茶色や白の羊たちが柵の中から鈴木さん目掛けて駆け寄ってくる。「この子たち、外の草を食べさせろと催促しているの」。映画の「トトロ」に登場した子供の「メイ」「サツキ」といった名前が羊につけられている。「研修生が名づけたの」といいながら、「これもこの羊たちの毛で編んだのよ」と着ている温かそうなセーターをつまみあげる。

はち切れんばかりに肥えた大根や白菜、キャベツなどが育つ畑のそばを関越自動車道が走っている。「ここらはもとは養蚕地帯だったの。今は専業農家が本当に少なくなっています」と話し始めた。

―― 研修農場を開いたいきさつを教えてください。

鈴木  私は表具職人の家の生まれで農業とは全く縁なし。夫も銀行員でした。転々と転勤して、社宅暮らしはやめようとこの近くに住みつきました。男はいいかもしれないけど女は地域で生きている。その生活が辞令一枚でつぶされてしまう。そのうち、脱サラして鶏を飼っている人と出会い、彼とそこに集まった人たちで「皆農塾」という場を立ち上げたというわけです。

 私が40歳の時でした。みんなで楽しく農業をしよう、脱サラした非農家の人を支援しようということで。私は1年目から半分は研修生で半分は代表という立場で加わったのです。それ以前の私は、家庭菜園をしたり、別の農家に消費者として援農に行ったりしたくらいの経験しかなかったのです。全く農業のことを知らなかった。もし知っていたら農業をしなかったと思う。怖いもの知らずで、頑張れば乗り越えられると思っていた。1年やって力が付き、2年目からハードルが高くなって、続々と厳しい現実が出てきたけど、今日までやれてしまった。振り返ってみると、「やれちゃったじゃない」です。

■もの言わぬ相手に求められて動くのが農業

―― 団塊の世代が大量に定年で、農村暮らしが夢という人も多いようです。

鈴木  私は、団塊の世代が勘違いしてでも農村に出かけたらいいと思う。やってみないとわからないからです。昔は子供たちにはホワイトカラーが格好良かったのでしょう。でも今の子供たちはホワイトカラーのサラリーマンをそんなに良いこととは思っていないでしょう。退屈そうに見えるのです。管理者になれるくらいの可能性のある人たちにとっては魅力あるのでしょうが、駒にされるのがはっきりわかっている人たちにはサラリーマンは面白くはない。

 現業の方が最近は人気がある。自分で管理でき、自分で考えて最後まで自分でできる。駒じゃない。これはすごく大きなことです。農業をやっていると腰や膝が疲れる、などいろいろ言うが、やってみたらいい。山登りで途中は苦労するのに登頂したらすごく気持ちが良いのと同じように、暑い時にぬぐう汗とか腰が痛くなって伸ばした時の気持ち良さ。収穫物の重さをいやだと思うのか、楽しいと思うのかです。

―― 鈴木さんにとって農業はどんな世界でしょう。

鈴木  農家の嫁にはなりたくないと、若い女の人は農村から去ってしまった。農業は女にとってつらいと思われ勝ちですが、すごく面白い。女性が活躍できる場でもあると思うのです。私は本当に楽しいし喜びがある。こんな面白い仕事はほかにないと思います。「百姓」は差別語だというけれど、私たちは敢えて「百姓」だと言っているのです。誇り高い名前なのだと。

 百の仕事を束ねるという意味があると言ってね。私たちは百姓になりたいと。それと農業って経験に裏付けられてすごく科学的です。農家のおばあちゃんのところに手伝いに行った時のことですが、記録をとるなんてことするとは思えないようなおばあちゃんが、カレンダーの隅に去年はいつ蚕が糸を吐き出したとか、いつ休んだとかきっちりと書き込んでいる。

 苗が育つと植えてくれ、と苗が要求してくる。しおれたら水をくれと要求してくる。羊だって、4月になるともう暑くてかわいそうだから毛を刈るわけでしょう。農業はもの言わぬ相手に求められて動くという関係で、この関係ってすごくいいですよ。「秋の夜長」と言いますね。夏はなかなか暗くならないのに秋になると夜が長くなるということを百姓になって本当に実感しましたね。

 前は「いい野菜をつくる」ことに私は執着していたが、今はいい野菜が取れなくても、形が悪くても、一部に傷みがあっても生かす道を目指します。私のところの作物は消費者との契約の形をとっていて市場には出さないが、こういう食べ方をすればおいしいですと伝えながら渡しています。ある意味での商売です。選べば仕事の仕方ってどんどん変わる。60歳で団塊の世代が農村に出てきた時に、体力のある人、知恵のある人などいろんな人がいると思うが、きっとその人その人に合ったなにかが見つかると思う。

■年をとることは楽しい

―― 研修生のことを教えてください。

鈴木  私の農場での研修費は1年間15万円ですが、10代の若者から中年夫婦までいろんな人が研修に来ています。その後は長野、静岡、千葉などで独立してやっていますよ。生産物を売って自活しています。学校の先生を辞めて研修を受けてちゃんと自活している人もいます。私の農場では小麦もつくって製粉した粉も直販しています。奄美大島から注文があってお送りしたこともあります。

 私は40歳に始めて20年間やってきたけれど、まだこれからだと思っていますよ。団塊の人たちの人生も、定年で終わりの人生ではなく、これからの人生だと思ったら今から20年はあるでしょうから大変です。私も60歳になったら毛織りざんまいになれるかなと思っていたが、農場にさらに手を入れて、もう10年か20年は働くのかなと思うようになっています。いつか叶うという確信があるからできるのです。年をとることはいやなこと、と否定的に思っている人はいるでしょう。でも、私は年をとることを「いろんなことができて、こんなに楽しいことはない」と発信したいくらいですよ。

■今生は消えてなくなるだけで十分

―― 本会に入会された動機は何でしょうか。

鈴木  私はクリスチャンで、以前は死んだら教会の共同墓地に埋葬されるのだと思っていました。今は3人の子供にはよく言うのです。私の生き方はわがままだったので、もし、一人ぼっちで死を迎えるようになったとして、周りが「かわいそうに」と言ったら、いいえ、母は最期まで自分を通して生きたので幸せでした、と言ってちょうだいと。私が好きに生きることが幸せだとよく言っています。だから、悔いなく生きたいと思っている。としたら、今生に墓だのなんなのはいらない。今生は消えてなくなるだけでも十分です。そうして生きたいから、死んだ後は本当に何もしてくれるな、というのが望みです。

 私がどんなにそう言い切っても、社会との礼儀ということで、子供たちはどうしたらいいか戸惑うこともあると思う。そういう時にこの会に入ってきっちりと支えられて自分の生と死を見つめることができたら子供たちにとっても安心というか、心穏やかに送れるのではないか。母は確かにそう言ったけど、それでいいのかと迷うのではなくて、会の支えをもらいながらこれでいいのだという。今、自然葬契約書も取り寄せて書いているところなんです。 ---------------------------------------------


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