インタビュー

私は児童文学作家

佐々木赫子さん語る児童文学のいま

 
 児童文学作家の佐々木赫子(ささき・かくこ)さん(70)は、東京都日野市在住。故郷・岡山ですごした戦後の貧しい子ども時代を題材に30歳代から創作活動を始めた。台所で書いた初めての作品『あしたは雨』が日本童話会賞を受賞し、2作目『旅しばいの二日間』は日本児童文学者協会新人賞。それから10年ほど、1984年に同協会賞を受けた『同級生たち―1948年』までの3作が岡山ものだ。しばらく予備校の国語講師などの仕事で子どもの文学の世界からはなれたが、最近、戦争や平和を題材にした世界の児童文学を紹介する『児童文学に見る平和の風景』(てらいんく刊)で話題になった。「日本では戦争反対や平和ものは80年代初めに姿を消し、いまは不倫あり、セックスあり、ファンタジーあり、殺人あり。児童文学も世の姿を必ず反映するのです」という。
(聞き手=事務局・小飯塚一也)

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■子どもの本は読まずに大人になった

――『同級生たち―1948年』(偕成社)のあとがきに「むかし私は用水路に落ちる名人でした」とあります。わんぱくな子ども時代ですね。

佐々木  私は神戸で生まれ、戦争中に岡山に疎開しそのままそこで育ちました。いまは岡山市内になっていますが、当時は邑久郡太伯村という農村でした。貧乏で、子どもの本など買ってもらえなかった。戦後、小学校の教室のひとつに「公民館」という木札が下がって、小学校を退職した男の先生が館長さんになり、1人で詰め碁をしていました。そこに並んでいたのが大人の本。戦後の純文学のたぐいでした。掃除当番で行ったとき、初めて借りたのが大岡昇平の『野火』だったと思います。その晩読みふけり、興奮して眠れなかった。あとは文学一直線。子どもの本をすっ飛ばして大人になりました。中学では野間宏の『真空地帯』に感動しました。田舎にいながら都会の価値観を持ち続ける親と家庭の外の地域の価値観の板ばさみで、宙に浮いていたような生活でした。風土は好き、友人は懐かしい。一方で息苦しい。ふるさとへの愛憎があります。あの作品は、そういう小学生時代の同級生から題材をとった連作短編集で、隣町の子どもとのけんか、蛇にかまれる子、がけから落ちる子や先生をだまくらかす男の子などでてきます。

■アーサー・ランサムを読み児童文学へ

――児童文学の世界に入ったきっかけは。

佐々木  岡山大学を出て、地元の高校で国語の先生を4年やったあと、結婚して上京、以来日野市に住んで42年です。60年代半ば、日野で巡回バスによる移動図書館が始まりました。日本の公共図書館づくりのリーダーになった前川恒雄という館長が始めました。2週間に1度バスが回ってきます。1人4冊まで借りられる。子どもの本が充実していました。子どもがうまれて、家族は4人になっていたので毎回16冊借りました。そのなかに英国の児童文学作家でジャーナリストでもあったアーサー・ランサムの『海へ出るつもりじゃなかった』(アーサー・ランサム全集・7、岩波書店)がありました。4人の子どもがヨットで霧の外洋に流される。夜の海で悪戦苦闘。朝になったらオランダに着いていたというダイナミックな冒険物語です。とても面白かった。大岡や野間の文学にも匹敵すると思った。私は、高校の古文、漢文の先生だったし、純文学や古典を読んできて自分なりの文学についての尺度がある。それまで子どもの本を読んだことがなく、児童文学など甘いというような先入観がなかったのですぐれた子どもの本の価値を見つけることができた、と思うのです。

 アーサー・ランサムに出会ってから、子どものためというより自分で楽しむようになりました。当時、家で学習塾をやりながら、生協やバイパス反対運動、幼稚園の増設を求める活動にも加わっていて、走り回っている感じだった。しかし、心にむなしいものもあった。子どもの手が離れたら何をしたらいいか。夫にも「何をしたらいい」と聞きました。すると、「そんなに面白そうに子どもの本に熱中しているじゃないか」というのです。実際、借りた児童文学を靴をぬぐのももどかしく玄関にしゃがんで読んでいることもありました。そして、日本児童文学者協会をみつけ、鬼怒川温泉であった児童文学の講座に出たり、同人誌に入会したりしました。

 初めて書いたのが『あしたは雨』です。子ども時代の岡山の田舎の見聞を書こうと思った。4、5枚のつもりが夜が明けても終わらない。翌日は日曜日でした。午前中、塾の仕事をすませてからも書いている。食事もつくらず、子どもがお腹すいたというとチョコレートでごまかす。出来上がると夕方でした。54枚になっていました。すぐ同人誌の主宰者のところにもって行きました。八王子駅前で子どもと食事をして帰宅すると、夜9時ごろ同人誌から電話がありました。「これ早く載せましょう」と。すべての出発になりました。

――児童文学とはどういう文学ですか。

佐々木  日本にもすぐれた作家がたくさんいて名前をあげきれませんが、例えば直木賞を受賞した森絵都さんという人も児童文学の作家です。児童文学は、絶対的に生を肯定する文学であり、また子どもの立場に立って書く。この2点が特徴です。大人の小説の中の子どもは作家自身の子ども時代か、子どもはこうあってもらいたいという願望にもとづいていて、リアリティーに欠けることが多いが、児童文学作家は現代の子どもをよく見ている。そこが違います。テーマは大人のものと変わりません。80年代初めで戦争反対や平和ものが姿を消し、今はファンタジーブーム。老人、離婚、家庭内暴力や子捨て、不倫、セックス、殺人、ないものはない。だけど、命の尊厳と子どもの立場で書く。親の不倫を子どもの目でとらえるのです。

■ 戦争のテーマ避ける日本の出版事情

――2006年に出版された『戦後文学に見る平和の風景』は、児童文学とは畑違いの月刊誌「軍縮問題資料」(宇都宮軍縮研究室発行)での7年間の連載をまとめたものですね。

佐々木  戦争反対とか平和のテーマの作品が売れなくなり、児童文学も低迷して、みな何を書いたらいいか分からなくなった。私は、リアリズムの行き詰まりと思って怪談を思いつきました。『月夜に消える』という作品は、教育ママのいいなりになっていたいい子が塾通いの途中、家に電話をしていて交通事故に遭い死ぬ。その後、家にこの子の声で「ボク何をしたらいい」と電話がかかってくるようになった話です。小学館文学賞をもらいましたが、それ以後、創作からは遠ざかっていました。「軍縮問題資料」から平和をテーマに評論を書いてほしいと話があった時、日本では、戦争や平和は出なくなったけれど、例えば英国に行くといまでも新刊で次々に出ていることを話しました。どこに違いがあるのか。それを紹介しましょうということになったのです。

 日本でそういう本が出ないのは、社会がおいしいものとかブランド品とかの消費文化にどっぷりとつかっていて深刻なことは話したがらないとか、戦後長く表面上は直接戦争をしていないとか、被害者体験ばかりで加害者体験を書ける人がいなかったとかいうことがあるのでしょう。オーストラリアの作家の『ヒットラーのむすめ』(鈴木出版)という本が数年前、話題になりました。いま100年に1度の金融危機といわれていますが、ヒットラーは実は世界恐慌後に民衆からものすごい勢いの支持を受けて登場した。大衆にも責任があるという新しい視点が示されている。人類の歴史は戦争の歴史だから、戦争について語る本がゼロというのはおかしいのです。

 99年にアイルランドで出版された『Faraway Home(故郷はるかに)』は、親をナチスに逮捕されたユダヤ人の子供たちをドイツから出国させる活動の話です。この回の結びにこう書きました。「1936年から39年の大戦開戦までに、<こども輸送>で各国が受け入れた子どもの数は英国9354人、パレスチナに入植したユダヤ人組織4635人、米国600人といいます」と。もちろんナチスは悪いが、活動組織から受け入れを強く要請されてもこれしか受け入れなかったあんたらがナチスだけを非難できるのか、という意味をこめたつもりです。

 大学を出て会社に勤め定年退職したばかりの知り合いが、最近たまたまモンゴルツアーの一行に加わって、あちらで日の丸のついた慰霊碑を見た。そのとき何のことか分からなかった。帰国後、京都の舞鶴市に行って抑留、引揚の歴史を知ってああこのことかと分かった。そういう話をしてくれました。教育のある60代が知らない。子どもが戦争を知らないのは当然なんです。

■できれば老人や動物を書いてみたい

――自然葬は児童文学のテーマになりますか。

佐々木  私が会に入ったのは、きちんと意思表示をすることで遺族が本人の意思ですからといって周囲の圧力をはね返すことが出来る、そのためと考えただけです。死後の肉体は、文字通り死んだらゴミ、物質だと思っています。自分が死んだらどこかに捨ててなどと人はよくいうけれど、それを実行するために具体的には行動しない。会のようなところに入って意思を表明しておけばいいのではと考えたのです。本当は昔のチベットの鳥葬がいい。焼いて捨てるのはもったいない鳥が食べれば鳥の命になる。でも現実にはそれはできませんから。

 自然葬を選択するというのは1つの人生観ですね。地球とか人類をどうみるかとか、宇宙観にもつながる。そのことは児童文学でもテーマになりうる。書けたら書きたい。私は、いまの日本の児童文学は老人と動物を書くのが下手だと思っています。生き生きとした個性が描けていない。型どおりの老人です。今からでも書けるかなと。そういう願望をもっています。

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『再生』第72号(2009.3)

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