インタビュー

超高齢社会での老人の生き方を作家の大沢周子さんに聞く

 日本人の平均寿命は今や男性が78.6歳、女性が85.6歳。世界に類を見ない超高齢社会となった。「親孝行、したいときには親はなし」という格言もなかば死語となりつつある。その半面で老人が、さらに年老いた親を介護する老老介護が社会問題化してきた。老人はこれからの社会の荒波をどう生きていけばよいのか。教育や家族、介護の分野で取材経験の豊かなノンフィクション作家の大沢周子(ちかこ)さんにインタビューした。 (本会理事・西俣総平)

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■人生50年は大正時代の話

―― 大沢さんが今のお仕事をはじめてから何年ぐらいになりますか? その当時とくらべて、今は何が一番大きな違いだとお考えですか。

大沢  取材を始めてからもう40年になりますが、やはり日本が超高齢社会になったということですね。昭和10年(1935年)の平均寿命は男性が47歳、女性が 50歳です。ほとんどの人は65歳までに死んでいました。太平洋戦争が起こる前の数字ですから、戦争の影響もまだありません。それが今では、60代や70代の人が介護の最前線に立って、80代や90代の老親の面倒を看ています。これが最も大きな違いと言えるでしょう。

―― 私も昭和10年代初めの生まれですけれど、昔はよく「墓に布団は着せられず」と聞かされました。今はあまり耳にすることがありません。

大沢  もう少し説明しますと、現在は1年間に亡くなる人は98万人ですが、50代前半で死ぬ人はわずかと言うか、約3万6000人に過ぎない。その一方で、80代前半が14万7000人、80代後半が14万9000人、90代が12万5000人といった具合です。「人生50年」とか「親孝行、したいときには親はなし」は大正から昭和10年代の話ですね。

■老人ホームでの人間ドラマ

―― お年寄りの生活の場として老人ホームがますます重要になると思います。大沢さんは老人ホームの“実況ドキュメント”を目下執筆中とうかがいました。

大沢  老人ホームの代表的な施設として「特別養護老人ホーム」(特養)がありますが、ここに入るのがまずとても難しい。2002年に全国老人福祉施設協議会が 563ヶ所の特養を対象に調査したところ、1ヶ所あたりの入所希望者は113人でした。全国に特養は約4500ヶ所ありますから、単純に掛け算すると約 50万人の待機者がいることになります。

―― 極端な話、50万人のお年寄りが亡くならないと入れない?

大沢  2000年4月に介護保険制度が始まる前は介護の必要のない老人で生活保護を受けている人も受け入れていたのですが、5年間の猶予期間を経て、2005年4月からは要介護度1から5までの認定された人だけが入るようになりました。生活保護を受けていても自立できる、つまり食事やトイレが自分でできる人は、市町村役場が賃貸アパートを借りて、そこに移ってもらうようにしています。一種の“温情措置”ですね。

■老人ホームでの人間ドラマ

―― その特養を取材されて印象的なエピソードもあったと思いますが。

大沢  千葉県のある施設でのことですけれども、生活保護を受けている老人がアパートに引っ越しするところに出くわしたのですが、そこへ高級外車で乗りつけた息子さんが施設の方に「父がながながお世話になりました」と挨拶していました。

―― 経済的に余裕がある息子がいても親は生活保護ですか。

大沢  民法上は扶養の義務はあっても、役場はそれを強制したり命令できないというんですね。それと親子間でも「あいつの世話にだけはなりたくない」「あんな親父は知らないよ」という場合によくあることです。2005年のドキュメンタリードラマとして、あってもまったく不思議ではありません。

 それと2000年以降、顕著になったことですが、親子や夫婦で入所するケースがふえました。73歳の娘が98歳の母親を介護していて過労で倒れてしまった。それで2人とも特養に入ったのですが、その後、娘さんは間もなく亡くなりました。お母さんの方は今102歳でまだ元気でピンシャンしてます。

 また夫も妻も要介護で2人とも入りました。施設の人が「2人部屋があるから、そちらがいいでしょう」と勧めたら、妻が「おじいさんの介護はもう勘弁してほしい」と言うので、2人ともバラバラに多床室に入りました。こういったケースを見ると、めでたい高齢社会ではあるけれども、10年前、20年前には見られなかった風景がありますね。

■老後の沙汰もカネ次第

―― 特養にはなかなか入りにくい。そこで最近はこの分野のビジネスが盛んになって、有料老人ホームも富裕層だけのホームではなくなりましたね。

大沢  バブルが崩壊して企業の保養施設や社員寮などが売りに出され、これを利用した老人用の施設がふえました。介護保険があるために入居一時金を取らない、あるいは取っても100万円とか200万円の有料老人ホームで、部屋を賃貸するという形ですね。しかし、これも管理費や食費がそれなりにかかりますから、老人にとってお金は絶対必要です。

 高齢者の80%は持ち家で、預金は2000万程度という人も「家計調査報告」にあり、かわいい息子たちに「借金させてくれ」と言われてお金を与える。けれど、そのお金はまず返ってはきません。仕方なく、持ち家があるから、年金だけで生活保護よりはちょっとましな程度の暮らしをしている。40年前と決定的に違うのは、そのころは子供たちが親に仕送りをしていました。

―― そうおっしゃられると、面目ありませんが、私も仕送りはしてません。

大沢  仕送りという生活形態が今ではまったく消えてなくなりました。私たちの子供の世代は孫の世代に食べさせて、着せて、教育をするだけで精いっぱいなんです。年寄りには自分で自分の生活をしていくお金が必要です。「地獄の沙汰もカネ次第」といいますが、「老後の沙汰もカネ次第」ということでしょう。

■「日本のリア王」の事例

大沢  私が取材した例でお話しすると、仮に梶谷省吾さんという名前にしましょう。83歳の梶谷さんの奥さんがくも膜下出血で急死しました。娘夫婦がやってきて「ひとり暮らしは寂しいでしょう。この家を売って一緒に暮らしませんか」と言いました。それで自宅を2700万円で売って、そっくりマンション購入資金の頭金に差し出しました。

 楽しかった団欒の時はつかの間のことで、やがて娘夫婦に気をつかうようになり、息をひそめて暮らすようになりました。同居の誘いにうかうかとのった自分を後悔した梶谷さんは思い切って家賃6万円の賃貸アパートに移りました。

 彼は「自由に呼吸ができる。これは人間が生きてゆくうえで根源的な希求です。この部屋で倒れたって私は119番しません。孤独死もまた可なり」と言っています。シェークスピアの描くリア王は娘たちに捨てられ、荒野を叫びながらさまよいますが、梶谷さんは人生の終着駅近くで日本のリア王になりました。ただ、彼はいま天命を知って、あきらめの境地に達しています。怒りや憤りからはずっと遠いところにいると思いますね。

■ 終のすみかの探し方

―― どうも切ないお話で、どうしたらよいのか。長く取材された経験から、ひとりになった老人がこうすれば生きていけるという道はありませんか?

大沢  たとえひとりでも、痴呆でなければ、認知症にならなければ、最後まで自宅で生活できます。介護保険のおかげでそれが可能になりました。週7日、毎日2回、12時前と午後5時に介護ヘルパーに来てもらえば、寝たきりでも生活できます。

 ひとり暮らしでなくても、ヘルパーが家庭を訪れて、“第三者の目”が入ることで、密室の家族介護による高齢者の虐待が減ります。本人だけでなく介護する家族ともども救われるケースが多いのです。認知症にならないかぎり、介護ヘルパーを利用して自宅でがんばる。これが1つの重要な選択肢でしょう。

―― 介護保険制度を積極的に利用するということですね。

大沢  介護保険であれ、高齢者福祉であれ、日本もようやくここまで漕ぎつけたんですね。家族介護で共倒れになるのを防ぐセーフティネットができたことでかなり救われるようになりました。これは1つの福音であると思います。このネットがすぐ破れないようにもっともっと充実していくのがこれからの課題です。

―― たとえばどんなことが考えられますか。

大沢  特養はじめ老人のための施設をふやすのも大切ですが、日本社会の精神構造を変えていかなければなりません。私は1986年に帰国子女へのいじめを取り上げた本を書いてから、ずっとそのことを考えてきました。

■ 共生を妨げる差別意識 

―― 精神構造というと具体的にどんな問題が?

大沢  昨年、東京都新宿区に特養をつくる計画があったのですが、近所の住民の猛烈な反対署名運動が起きて、とりやめになりました。高級住宅地の地価が下がるとか、痴呆老人が徘徊したら困るという理由からですが、なんと反対運動の中心になったのが、60代や70代の女性です。「明日は我が身」という自明の理がわからないのでしょうか。

 1996年には東京で生活保護と障害者手当で生活する夫婦が近所の嫌がらせを苦にして心中して亡くなる事件がありました。特養などの老人ホームに対しても「こんなところ」とか「姥捨て山」といった差別や蔑みの感情が根強く残っています。これは異質なものを排除する日本社会の歪んだ精神構造がもたらしたと思いますが、私にもその解決策はまだわかりません。そうした現実をこれからも問い続けていきたいと考えています。

―― ところで、大沢さんは最近「葬送の自由をすすめる会」にお入りになりましたが、そのきっかけはなんでしたか。

大沢  私がホスピスを取材した時に、尊厳死を選び、遺体を献体して、遺灰を自然葬にするという方と出会って、この会を知りました。両親の墓は家の近くにあるのですが、それから自然に気持ちが自然葬にひかれるようになったわけです。
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大沢さんの著書には
  『たったひとつの青い空――海外帰国子女は現代の棄て児か』(文藝春秋)、
  『バイリンガル・ファミリー』(筑摩書房)、
  『ホスピスでむかえる死』(文春文庫)、
  『自分でえらぶ往生際』(文春新書)
などがあります。


『再生』第59号(2005.12.1)

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