私はチェーホフの演出家
劇団「俳優座」袋 正さんに聞く芝居と自然葬
1956年に劇団「俳優座」に入り、50年間チェーホフの名作「ワーニャ伯父さん」などに出演し、演出家としても活躍する袋 正(ふくろ・ただし)さん(74)は、本会に入会して10年になる。「僕は死んだら勝手にさっさと消え去ったら格好いいなと思っています。山が好きで、特に冬枯れの山肌を風が吹いた時の感じがたまらない。そこで消えてなくなればいいなと。真っ暗な骨壷の中、さらに真っ暗な石の下に入るのはいやなのです。『葬送の自由をすすめる会』に入れてもらってありがたいなという気持ちですね」
(聞き手=田沢健次郎))
『再生』第63号(2006.12)掲載
-----------------------------------------------------------------■ ニカワのにおいで芝居やめられず
―― 今年10月に、東京・新宿の紀伊国屋ホールでドストエフスキーの「罪と罰」の演出をされました。インターネットにその時の上演のチラシが記載されています。
袋 芝居というのは消え去るものと思っていますから、こんな風にインターネットに残っているなんて心外ですね。
―― 「芝居は消え去るもの」というのは自然葬の考えに通じますね。
袋 通じますか。じゃ、そう書いてください。
―― 俳優座に入られたのはちょうど50年前ですね。
袋 僕が入った頃の俳優座は千田是也先生など錚々たる人がいて、チェーホフといえば俳優座だった。一番有名なのは東山千栄子さんがやった「桜の園」で、僕なんか俳優座養成所から劇団に入れてもらった頃からチェーホフの洗礼を受けちゃった。当時のチェーホフの芝居は、今と違って4幕構成で、みな場面が違うから20分くらい休憩をとって舞台を変える。僕は舞台転換を手伝ったり、ちょい役で出たりした。今は換気装置もあるが、当時は道具を塗る絵の具にニカワを混ぜているから、稽古場でもニカワのにおいがする。そういうにおいをかいでしまうと芝居はもうやめられなくなる。
―― 演出の一端を教えてください。
袋 本で戯曲を読むのと舞台でしゃべるのとは言葉が違うはずですから、いくら正確な翻訳であろうと、美しい文章であろうと、百年前の言葉を大事にしたってお客さんは退屈する。そこで人間同士の会話では、百年前のロシアの言葉遣いでなく、現代の言葉遣いをひょいと入れたりすると意外にいいのです。2003年9月に俳優座創立60周年記念公演で僕が演出したチェーホフの「ワーニャ伯父さん」では、原作にないビリヤード台を使ったのです。以前に見たロシアの映画なんかでは、地主の家にはビリヤードがあった。その記憶がよみがえって使ってみたのです。嵐の場面では、俳優が洗面器を持ってきて台に置く。そこに雨がぽつんと漏る。100人くらいしか入れない上演場だったが、すごく効果的になった。それと、最後の場面で、姪のソーニャが絶望している伯父のワーニャに「生きていきましょうよ、生きていくしかないのよ」と励ますのですが、僕は原文にあるせりふを言わせないで歌にした。不安な未来に向かって自分自身もつらいソーニャがワーニャをかかえるようにして子守唄のように歌うのです。芝居の演出の面白さはこういうところなんですよ。また演出するとしたら、最後のせりふは何も言わないで、こおろぎの声が聞こえ、ワーニャ伯父さんが涙を流しているようにしたらどうか、と思っています。
―― 千田是也さんは晩年、「チェーホフの演出は袋さんにやってもらいたい」と言われたそうですが、どういう思い出がありますか。
袋 千田先生は大将でしたからね。僕が俳優座に入った頃は、先輩たちも芝居の練習で「そこを歩け」といわれても先生の前をこわくて歩けないし、せりふもなかなかうまく言えない。今の俳優はすらっと言ってしまうが、僕らの時代のように、できないのを乗り越えて、その喜びを味わう方が舞台に厚みがあるのではないかと思いますよ。「芝居は時代を映す鏡」とシェークスピアも言っているが、本当にそうだと思います。
僕は先生のお宅の近くに住んでいて、しょっちゅう遊びに行ってよく酒を飲ませてもらったり、夜中におしゃべりをさせてもらったりした。僕にとっては先生はとてもやさしい人でした。今、僕が演出する時に先生だったらこうはしないだろう、とかいろいろ思いますよ。先生が亡くなる前までは先生にいろいろ配役してもらっていたのですが、それからは演出が中心になりました。前から稽古場では研究会みたいな形で演出をやってはいました。先生に役をもらっても、いい役は10年に1回くらいしかない。でも、これは俺にやらしてくれないだろうと思っている時にひょいとその役がきたりする。これは俺の役柄じゃないと思った時にひょいときて、そういうのが面白いですね。だから今、自分で演出するようになり、配役を決める時に先生が何を考えていたか少しはわかるのです。
―― 昔、「ワーニャ伯父さん」ではどんな役をやっておられたのですか。
袋 没落した地主のテレーギンです。ギターを弾くのですが、2003年に僕が演出した時にはギターでなくハーモニカを吹いてもらいました。
■自分の灰の入った葉っぱを想像
―― 白樺の木がお好きだそうですね。
袋 今と違って、僕の家のある恵比寿は戦前は木が多かったのです。親父は山歩きが好きでソ連映画の輸入をしていて、戦後はロシア語を活かして翻訳をして僕らを育ててくれた。そういうのがあって、家の庭にも白樺が植えられていたと思います。チェーホフの劇には白樺が出てきますが、僕はロシアの白樺はどんなのかは見たことがないけど、日本でも信州あたりでは太い白樺がある。別に白樺でなくても、普通の落葉樹でもいいのです。
―― 本会に入られたいきさつをお聞かせください。
袋 会員証は1996年になっているから10年前ですね。墓に入るのがいやだったのですよ。でも、墓はあるのです。代々の墓でなくて、親父が抽選で当たった都営の芝生墓地ってやつです。親父はそこに入るつもりだったかどうかわかりませんが、本当は入りたくはなかったのでは、という気がしている。子供の頃、焼いて灰になったら山から飛ばしてくれって言っていた気がするのです。でも死ぬ時ってそううまくはいかないですよね。意思が伝えられなくなってしまう。肺がんで亡くなったが、墓に入ってしまった。小さな墓で骨壷が3つくらいでもういっぱいになってしまう。母はそこに入るつもりみたいだけど。僕は結構律儀で、春秋の彼岸には必ず掃除に行きます。石を雑巾で拭き、花をそなえます。でも、僕は墓に入るのはいやですね。息子には言ってあるんです、「葬送の自由をすすめる会」に入っていて、西多摩の再生の森に散骨をお願いしてあると。
東京周辺の低い山に朝、始発電車に一人で行った時もあります。夏はいやだけど、冬枯れの時の低山はいいですからね。山肌に風が吹いた時はものすごく淋しいというか、ちょっとこわいような素敵な感じをいつも味わっていました。死んだら、山のどこかで消えて無くなればいい。消えなくて葉っぱの1枚になるかもしれないし、あるいは1本の木になるかもしれないし。自分の灰の入った葉っぱが色づいて風が吹いたらひらっと落ちてくる。その瞬間を想像するとドキドキしませんか。その葉が虫に食われ、来年になると新しい植物になって出てくるかもしれないし。
骨壷の中は真っ暗だし、墓石の下も真っ暗でしょう。僕は芝居をやってきた人間だから、どこか明るくないといやです。光がほしい。僕は自然な気持ちでこの会に入れてもらった。ありがたいという気持ちです。僕は勝手にさっと消え去ったら格好いいなと思っているが、それは皆さんの手を借りないとできない。一人でできないから、その時は助けてもらおうと会員にさせていただいているのです。
■俳句を芝居に活かしてみたい
―― 今後の芝居にどんな構想をお持ちですか。
袋 劇団は流れていますから、受け継いでいってほしいもののひとつに「桜の園」、そして「ワーニャ伯父さん」などがある。これらをまた新しい演出でやってみたい。
何年か前の芝居で夏目漱石の役をしたことがありました。その時、漱石の俳句に初めて触れた。僕は俳句は詠まないけど、印象的な句に「木瓜(ぼけ)咲くや漱石拙を守るべく」がありました。世渡り上手じゃなくて生きてゆく人間は、来世は木瓜の木になると解説がありましたが、この「拙守る」ということはとても素晴らしいことだと思います。僕の家の小さな庭にも木瓜の木があって、自然の素晴らしい命を感じるのです。そんな日本の風土に合った俳句が身近になってきて、今後の芝居に取り入れてみたい気もしています。ロシア語で語ると音楽的にきれいなのに対して、日本語にするとどうしても平板になるでしょう。だから最後を五七五でやるといいのかもしれない。高橋治さんの小説「風の盆恋歌」にも俳句がいくつも出てきます。芝居でやってみたい気もしています。
---------------------------------------------

