第5回 骨と法律
遺骨処理、適正に解決できない行政
さまざまな選択許す社会めざしたい
薦田 哲(弁護士・本会副会長)
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遺骨について語る場合、まず話題になるのが海外戦没者の遺骨収集事業ですね。これらは、遺骨収集についての厚生労働省組織令・同規則や未帰還者留守家族等援護法、施行令、規則などの法制度があるから、国の事業として行うことができる。誰もが関係する骨の問題、焼骨や遺骨の取扱いについて規制しているのは、「墓地、埋葬等に関する法律」と「刑法」です。このほか献体に関わるものなどもありますが、骨に関する法律(政令や省令等を含む意味)といっても、われわれの日常生活に直接かかわってくるものはそれほど多くないのです。
骨がどういうことで問題になるのでしょうか。
規定のない「焼骨」の概念
さて、焼骨、遺骨について規制す「墓埋法」です。法が用いる用語を定義した第2条に「焼骨」そのものについての規定はありません。「墳墓」について述べた4項に、「死体を埋葬し、又は焼骨を埋蔵する施設をいう」と出てくる。「死体を埋葬し」の「埋葬」は「死体を土中に葬ることをいう」となっていますが、「焼骨を埋蔵する」の「埋蔵」については述べていない。それなのに「焼骨の埋蔵」は墓地だけに限られています。こうした法のもとで散骨なり自然葬が可能なのかが、17年前に問題になったのです。
「埋蔵」という概念は通常、土の中や一定の容器の中に納めるということですから、散骨はこの概念に入りません。撒く行為は法律上どこにも入らないことになる。刑法は第190条で、「死体、遺骨、遺髪、棺の納めてある物を損壊し、遺棄し、または領得した者」を3年以上の刑罰に処するとしています。これは、遺骨、遺髪、棺に納めてあるもの特別扱いして、国民の宗教感情を保護しようとしているのです。葬送のために行われる散骨・散灰は刑法の対象とならないと解されます。
焼骨、遺骨について今、どういう問題が起きているか。私たちは、散骨・自然葬について、法律で禁止されているわけでもなければ墓地に埋蔵する義務もないと主張して、多くの賛同を得て、全国各地で実施してきました。散骨が自由だとなると、まずそれを扱う業者がさまざまな態様で出てきます。その1つが北海道の長沼町の事例です。墓埋法で散骨は禁止されていませんが、散骨を禁止する条例が現れた。それまでも散骨を自由に放置してはいけないという宗教学者はいたし、法律で禁止せよという議論もあった。しかし、国民感情としてそれを支持する状況にはなかった。墓埋法の改正というところまでいかなかったわけです。
しかし、長沼町で問題が起きた。「長沼町さわやか環境づくり条例」は、名称は何かよさそうですが、中身は散骨禁止条例です。第1条はゴミを捨ててはいけないなど一般的な環境規定ですが、用語を定義した第2条で「焼骨」について、「人の遺体を火葬した遺骨をいう」と述べて、どこも定義をしていないことをやってしまった。「その形状が顆粒状のものを含む」とまで付け加えている。第8条には「散布の禁止」という規定を設け、「何人も、墓地以外の場所で焼骨を散布してはならない」としています。
遺骨への思い無視し規制を強制
条例は通常、適用範囲に住む人を対象にしますが、「何人も」とした点がすごい。遺骨はすべて墓地に集中させるという制度作りです。墓地が骨の安住地として望ましいのかどうか、という議論はまったくなされていません。墓埋法にも書いてないことをやった。罰則を設けたことが重要な問題です。遺骨に対する思いは人それぞれなのに、ある1つの規制を強制する。また、町長の違反者への勧告権や罰金などもある。墓埋法と同じものを別個に定めたという意味で、極めて問題があります。長沼町は限られた小さな地域であるといえども、そこに暮らす人々はそれぞれに自由をもっていなければならないし、散骨の自由があるはずです。こうした規制の合理性はあるのか。合理的な根拠(立法事由)がなければ、憲法違反になる可能性は十分にあります。
散骨による汚染や風評被害が問題にされたりしますが、油や有害化学物質と違い、遺骨、遺灰には有害性はありません。火葬場における残骨灰の汚染、例えばダイオキシン類や重金属などは厚生省の調査が行われており、ダイオキシン類や六価クロムが濃度基準を超える火葬場も確認されていますが、火葬場で使用されているステンレス等の焼却灰であって、焼骨自体は無害とされています。
長沼町では業者による散骨事業が強行された結果事件となり、散骨禁止という強引な制度が反作用的に生まれてしまいました。散骨がようやく普及しつつある現段階で望ましい対応ではなかったと思います。
遺骨の引き取り義務ない英国
外国における散灰・散骨の事例を見てみましょう。アメリカはじめ各国で多様な散骨が行われていますが、ここでは私が見聞したイギリスのケースを紹介したいと思います。10数年前ロンドン市営墓地を訪問しました。墓地内にあるチャペルで葬儀がすむと会葬の人たちはそのまま帰り、棺はエレベーターで地階に下りていく。そこには火葬施設があります。燃焼温度は1300度ぐらいです。日本の場合、骨揚げのために芸術的ともいわれる燃焼操作で、800度ぐらいで焼きますから、それに比べると非常に高温ですね。火葬後の焼骨は粉々にされた後遺灰となって袋に入れて安置室の棚に一定期間保管しています。
焼骨の引取・処分について法律・規則は割合あっさりしています。イギリスの火葬規則では、遺灰の処理は火葬申請者の責任とされますが、とくに遺灰の引取等を希望しなければ火葬責任者によって遺灰は埋葬または散灰されます。遺族などに遺骨・遺灰の引取義務はありません。引き取られない遺灰が多数で、メモリアルガーデンの特定の区画に撒布されるものもありますが、相当数はまとめて散灰用の芝生に撒布されたり埋葬されたりするとのことです。遺族が持ち帰ることも少数ですがあるそうです。その場合、撒く場所の制限はとくにはないとのことでした。
たとえば川の場合、流れがあればどこでもよくテムズ川でもいいとのことでした。この話を聞いた当時、ロンドン市内のテムズ川は川幅があり水質も清浄とはいい難いので、散灰に違和感を持つ人はいないかもしれないと思いましたが、上流は川幅も狭く清流なので、そんな所ではやらないだろうと思っていました。ところが最近、BBCなどで話題になったのは、イギリス中部の美しい田園地帯に流れるソーア川という幅10メートルに満たない川での散骨です。観光用のボート会社がサービスをしていますが、ヒンズーやシーク教徒の人たちが大勢参加し、さまざまな供物を投げ込んだことが地元で問題になりました。個人が行う散骨は静かにおごそかに撒くのが一般ですので、とくに散骨を規制する動きはありません。
最近話題になったもう一つ。国葬に使われたことのある船を使い、テムズ川やメドウェイ川で散骨するサービス事業を始めるという発表がありました。この船は1965年、チャーチル首相の棺を搬送したことでも著名なクルーザーです。由緒ある船が利用されるのは、それだけ散骨への支持が強いのでしょう。
「遺骨」の意味示した大審院判決
明治43年10月4日の大審院判決は、岐阜県高山の火葬場で骨灰を取り扱っている人たちが、遺骨を自分のものにしたとして遺骨領得罪が問われた事件に対しての判断で、判決は罪に当たらないと否定し、遺骨のすべてが刑法上の遺骨になるわけでなく、「遺骨とは、宗教上崇敬の心念をもって祭祀せらるべき人骨すなわち墳墓に安置せらるべき人の骸骨もしくは骨片を言うものとす」と判示しています。具体的には、「死者の祭祀又は紀念のためこれを保存し又は保存すべきものであることを要し、死者の遺族その他遺骨を処分する権限を有する者が風俗慣習に従い正当にこれを処分したるものはこの性質を有しない」と述べています。
ポイントが2つあります。1つは、一般慣習に従った拾骨と処分であることです。家族が慣習に従って骨壷に入れたものだけを遺骨とし、残りは灰燼となる。それを明確にした。もう1つは、慣習とは何かということです。葬送自体が個人的な決定に委ねられ、多様な葬送が成立する時代において個人がどの地域に属すか、どの習慣に属すかはあいまいになってきている。骨揚げ、納骨、祭祀礼拝といった風俗慣習が、どの程度個人に適用されうるのか、地域の慣行として成立するのか。それがどのような個人にまで適用可能なのかということです。
個人の自由、信教の自由を憲法が定めるなかで、国あるいは公共団体は宗教行為、儀式行為に介入してはならず、祭祀礼拝は基本的に個人に属する事柄です。その意味で、イギリス的なやり方が筋かな、と思います。
火葬場では焼骨をどのように扱っているのでしょうか。先ほどの大審院の判決があって、札幌市や堺市の条例など各自治体で細かくルールを作っています。これらは火葬場使用者の遺骨引取義務を課したうえ、残骨灰の処分を当局に委ねています。今日、焼骨を引き取らない人も増えつつあるそうです。その処理が適切かどうか。残骨処理の状況について、平成7年頃の統計ですが、公営墓地に埋蔵するのが1.3パーセントで、処分業者に渡すのが98パーセントでした。基本的には処分業者に処理を委ねているのが現実です。これは残骨だけの問題ではないでしょう。
遺骨の処分権限は誰にあるのかですが、判例上、相続財産ではないとされ、民法第897条の定める「祭祀財産」に準じてその承継者(主宰者)が取得・管理するべきであるといった東京高裁判決が有力です。この祭祀承継者については遺言で指定できるので、遺言で祭祀承継者を指定しておけば、遺骨を誰が取り扱うかをめぐる争いは回避できます。遺言では遺骨の処理まで指定することはできませんが、自分の遺骨をどうしたいといった希望を記載することは祭祀承継者が遺骨の取扱いを決めるとき重要な判断材料になるでしょう。
近隣の同意を不要とする墓地条例
墓地経営の許可は機関委任事務として国の事務でしたが、地方分権改革で、平成12年に機関委任事務が廃止となり地方自治体の事務となりました。それ以降、各地で墓地経営許可に係る条例が作られるようになりました。従前は一定の距離内にある近隣の同意が要件でしたが、最近の条例では同意を不要としています。近隣に説明すればいいという取扱です。同意の重荷がとれたことから紛争が起きています。新しい条例にも住居から100メートルとかいった距離の制限がありますが、横浜の場合、焼骨の埋蔵は制限対象から除いています。1メートルでも離れていればいい、大げさに言えば住宅街の中にも作ることができるようになりました。
焼骨の散布は衛生上問題がないという1つの証しです。しかし、それで墓地開設をめぐり紛争が起きます。いまの墓地行政は遺骨を含む墓地問題の解決を適正に行えているとは言えないのです。
では骨の扱いはどうあればいいのか。1つの可能性として、地球環境の持続可能性という考え方を挙げたいと思います。世界というのは自分たちだけのものでない。墓の問題、骨の問題は、過去(先祖)だけでなく、未来をも考慮して対処しなければならない。骨が骨粉になり、粒子になって、宇宙の1粒と同じになる。この宇宙が続く、今の地域社会が続く上で、それを少しでも支える生き方、骨に対するあり方が大事なのではないでしょうか。先祖崇拝とか風俗慣習も大事なことです。しかし時代とともにそれに合った考え方をしていくべきでないか。個人個人が選択をしていく社会においては、自分たちが選択の道を選んでもいいのではないか。スウェーデンでは持続可能な社会づくりを社会のあらゆる面で先進的に行っています。建物を建てるとき、将来それが粉々になったときの環境対策を考え、解体しても自然に還る材料を選択しています。墓地や骨のあり方にもその考えが現れています。散骨は、世界遺産となっているスコーグスシルコゴーデンという森の墓地でも樹林の間に撒かれていて、自然循環的です。通りで遺骨をどうするかを聞くと、多くの人が「散骨を選ぶ」と答えています。
骨と葬送については、地域によっては従来の感覚、地域慣行が根強く残っています。当該地域でその慣行を大事にするコンセンサスがあれば尊重されるべきでしょう。しかし、個人が選んでいく問題ですし、こうでなければならないという社会的コンセンサスはないと思います。今後、節度をもってやれば散骨もいいのではないかということがコンセンサスになっていくことが大事でしょう。言い換えれば、他人の選択を許すというコンセンサスのある社会がいいのではないかと思います。そういった観点で法的に整備する必要があると思っています。
再生 第64号 (2007.3)


