予 定
報 告
東北支部 震災と自然葬、酒井卯作さんと語り合い
震災から復旧した仙台市シルバーセンターで10月15日、講演会を行いました。仙台で今年初めてのイベントです。
午後1時半開演、支部長が「東北での自然葬について」短く話しました。被害のなかった大森山再生の森では2件の自然葬が行われ、被災した仙台湾でも8月には小型船が出港出来るようになった。しかし、たくさんの方がなくなった海へ出ていくのをためらってか自然葬の申し込みはなく、10月になって4件6人の方の自然葬を実施、予定と報告しました。 そして、民俗学者の酒井卯作さんが「生と死の民俗学――悲しみを克服するために」と題して講演されました。昔の人は、亡くなった人にこだわり続けると前にすすめないから、意志の力で死んだ人と絶縁した。そういう心の強さで悲しみを乗り越えてきた、と日本各
地に伝わる風習を上げながら話されました。別掲の要約は、ご自身にお願いしてまとめていただいたものです。
質疑応答になって次々と手があがりました。 自然葬の背景にある死生観とは何か?――「学生なんかそんな難しい質問はしませんよ」といいつつ、人間が墓をつくること自体がおかしいという話を展開。
遺骨の一部をペンダントやイヤリングにして持つのはいかがか?――「個人的にはとんでもない。いまの人は死の醜さを知らない」
仏壇は買った方がいいか?――「仏壇は釈迦三尊をまつる神聖な場所。関西では仏壇に位牌は置かない。死んだ人の魂は形にしてうけつぐのではなく、気持ちが大事です」 津波でたくさんの人が亡くなったり行方不明になったりした。
亡くなって悲しいのに遺体が見つかってよかったよかったとばかりいっている。それでいいのだろうか?――「ご遺体が見つからないのは大変なことですから」と話しかけ、言葉を尽くしてなぐさめられた。
どんな質問にも丁寧に答えられました。「先祖なんていいかげんなものですよ」「坊さんは1回も死んだことがないのに知ったかぶりして、偉そうなことはいわない方がいいですよ」などと、諧謔、皮肉、ユーモアたっぷりで笑いの絶えない質疑応答になりました。
閉会後、会員に残ってもらい総会を行い、すべての議案を承認していただきました。 いつもの年と同じように準備をしました。チラシを15か所の公共施設におき、各新聞の催し欄にも載せてもらいました。参加者は64名。いつもの年の半分でした。震災から7カ月、みなさんまだ余裕がないのかなと感じました。
(阿部みちよ・記)
(酒井さん仙台講演の要約)
生と死の民俗学――悲しみを克服するために
死との別離の悲しみを日本人はどう克服したか。宗教の力を借りないで、自分たちの力で死と訣別を試みた日本人の話をしてみます。
通常、私たちは仏教者という第三者の手によって、死者の年忌供養を完了します。まるで死の行事は宗教者の専用とされてきたうらみがあります。悲しみの当事者でもない者が悲しみを分擔するのは、人道的な理由からではなく経済的な分業行為であって、宗教者は悲しみに参加することによって懐を豊かにする必要があっただけのことです。
宗教者、とくに僧侶などによる葬儀の参加は、庶民の場合は江戸時代からは顕著になりますが、しかしそれでも、民間社会では自分たちの力で死者との別離を行っていました。第一、死者と何年もの長い期間つきあうことはしなかった。広島市では死人に涙をかけるのを嫌がったといい、島根県邑智郡下の村々でも、もし死人に涙をかけると成仏しないといわれていいました。
死人に泣いて別れを惜しめば、死人だって落ちつくところに落ちつけなくなる。お互いに生者と死者との決着をつけるしぐさの一つとして、死者に涙をかけぬ風習が日本ではありました。
そんな消極的な方法ではなく、死者を罵倒する風習です。新潟県佐渡の相川などでは、水死人があると、死人に供物をしながら、さかんに死人の悪口をいったそうです。これは高知県土佐山地方でも同じく、自殺者などがあると、遺骸の前で死人の不心得をせめたてました。そうしなければ、死人の魂は行くべきところに行けないで迷ってしまうと信じられていたからです。
本来の日本人は、生者と死者とのかかわりを、何年ものの間、保ち続けようとはしませんでした。なるべく早く断ち切って、新しい生活に入ろうとした名残りを、死者に涙をかけぬ風習や死人を罵倒する風習の中に見ることができます。つまり別離の悲劇を、宗教などの他人の力を借りないで、自分たちの意志の力で果たそうとした姿を個々にみることができます。
今回の大震災には、まだ行方のわからない多くの方がいます。遺族の人たちにはやるせない思いでしょうが、しかし漁村にも昔から漁に出て遭難した人が多かったのです。その場合、何時を年忌にして切りあげるかわかりません。
そんなときは出漁した日を忌日と決めて供養したものです。そしてその墓も、地上の2メートル四方の小さな地上の墓でなく、広い海を墓としました。海辺に行けば死者に会える。海で行方の絶えた人たちの魂を迎えるのにも、本会の行ってきた海への自然葬などは、いろいろな意味で合理的なのかもしれません。
(以上、酒井さんご自身にお願いした要約です)
秋田交流会
秋田交流会に16人が参加
10月2日、秋田交流会が開かれました。2005年の秋田支部解散のとき、年1回の交流会を行うことが決まりました。翌年は講演会だったので、交流会は今年で5回目になります。交流会は会員が集って志を確かめあう場、具体的に自然葬のあり方を確認する場、さらには会の活動について、葬送基本法の制定について地方からの提言を発信していく場と考えています。
昨年の交流会の秋田の参加者は4名でした。秋田の会員26名に手紙を出しました。 ――いろいろとご事情はおありでしょうが、みなさん生前契約をすませたりと、交流会に出掛けて意志の確認などもう必要ないのかしらと考えています。それで、交流会も隔年くらいでいいのかなと思いました。
手紙や電話で都合がつかず欠席すると、5名の方から連絡がありました。当日の参加者は16名、うち秋田の方は13名で実に5割の参加率です。 会合は初めから和気あいあい、自己紹介、活動報告のあと活発な意見交流となりました。大きな会員証を事務局から購入して額に入れ飾っているという人が実物を持ってきて見せてくれました。
昨年、夫の自然葬をした方には、いかにして親族を説得したのかと質問がありました。夫を亡くされたばかりの方は、これからよく勉強してよく考えますと話されました。 秋田では骨上げのとき、大きな骨つぼと小さな骨つぼが用意され、大きい方は墓に納め、小さい方は宗派の本山に持っていって納骨する、それが一般的だという話がでました。岩手や宮城ではあまり聞いたことはなく、秋田だけの習俗なの? いや滋賀でもそうだったなどとひとしきり盛り上がりました。
また、自宅の敷地内での自然葬を希望しているが、後日、もしなにか問題が生じたとき、会はきちんと対応してくれるのかと質問が出ました。これまでにそういう自然葬をかなり実施していますが問題が起きたことはなく、仮に起こったとすれば会は全面的に応援します、と答えました。
あっという間の2時間20分が過ぎ、最後に交流会は今後、年1回にしますか隔年にしますかの件には、全員一致で毎年開催が決まりました。楽しい交流会でした。
(阿部みちよ・記)

