中 国 支 部

報 告   

山折哲雄さん特別講演

 「第15回自然葬を語る集い in 広島」
 山折哲雄さんの「三無主義」講演や
 西俣理事の講演、200人熱心に聴く

 7月3日、広島市西区民文化センターで「第15回自然葬を語る集い in 広島」をもった。200名弱の参加者だったが、会員は10名ほど、初めての人が大部分だった。


 ・西俣総平理事の「葬送基本法に向けて」講演の骨子は次の通り。

  ――1991年、葬送の自由をすすめる会が発足して20年目を迎えた。自然葬が世間に認知されて以来、海洋葬、公海葬、森林葬、山岳葬、植林葬、里山葬、樹木葬、環境葬などの葬儀ビジネスの広がりがみられる。一方、野放図な散骨ビジネスにより、一部の自治体が散骨を禁止する条例を制定しており、節度を持って広めてきた当会にとっては誠に不本意である。NHKテレビの「無縁社会」報道は大きな反響があった。墓に入る自由、入らない自由を越えて基本的人権の一つとして人間らしく生き、人間らしく死ぬ権利が尊重されなければならない。自然葬が制度化されるよう「葬送基本法」制定を提唱している。「葬送基本法」制定運動は緒についたばかりだが、広く国民の認識を深めてゆきたい。


  ・山折哲雄さん「三無主義」講演の骨子は次の通り。

  ――当会が発足して20年、その間に二つの星があった。一つは故ライシャワーが遺骨はサンフランシスコから太平洋に撒くように遺言しそれを実行した。これは日本国内に大きな衝撃を与えた。二つ目は、宮沢賢治研究家であった小倉豊文が、原爆で奥様が亡くなった時、宮沢賢治が死の恐怖に怯えた心境を書いた詩「雨ニモ負ケズ」を家族で合唱して見送った。小倉さんの「絶後の記録」をいただいたのは「すすめる会」創立の直前だった。

  広島に来たので、井伏鱒二の小説「黒い雨」にふれたい。世界的な原爆文学と評価されているが、重松静馬さんの被爆日記の盗作だと問題になったことがある。原爆被害者が次々に死んで焼かれて骨になる。俄か坊主にさせられた主人公の閑馬重松は、蓮如上人の「白骨の御文章」を読み、葬送する人たちの感動をさそった。日記作者の重松静馬は禅宗だからそこが違う。「白骨の御文章」に出てくる無常観に満ちた状況を描いているから、文学作品になったと確信した。安芸門徒の土地柄から、声を出してお経や御文章を読み死者を葬送する習慣がある。

  高度経済成長の頃から、葬送、葬儀が告別式に次第に変わってきた。死者を何処に送るか、浄土か天国かということより、別れるということが強調されるように変わってきた。現在は、病院から直接火葬場へ行き、それで一切終わりという直葬が東京で30~40%という。我々は今、葬、墓、遺体、骨に対する考え方がどう変化していくのか、分岐点にあるのではないか。目に見えないが、魂を前提にした方が幸せではないか。

  死者を送る方法は、自由に考えてよいだろう。近頃私は三無主義を言うようになった。墓は要らない、戒名はいらない、という問題は切り抜けることは出来ても遺骨は残さないというのには問題がある。妻との話し合いに5~6年かかった。遺骨は砕いて、縁のある場所へ一握りずつ撒いて、自然の循環の中へ還ればよいのではないか。

  ・講演の後、「葬式はいらないなどは、人の心をおもいやらないことにつながらないか」「散骨したら、子供は私のことを忘れてしまうのではないか」「寺も教会も無くなってしまうのではないか」などの質問があった。山折さんは「人生80年になって死があいまいになってきた。生きること死ぬこととは、何かを深めることが大切だ。生きる姿勢を背中で示すことが、墓というしるしより大切だ。安芸門徒になじみ深い「白骨の御文章」、その無常観を深める必要がある。団塊の世代の人たちが日頃のお寺や教会の行事に応じて欲しい」と答えられた。

  ・アンケートは84名から回収された。「山折先生のお話はさすがです。一握り散骨には大賛成です。安田会長のご回復を祈ります」「この会に入ってほんとうによかった。講演の深さに驚き、涙が出ました」「自然葬は思案中でした。この講演で背中を押されました」「魂にふれたお話に心が震えた。嬉しさを覚えた」「夫婦の実家の墓を子供と一緒に話し合おうと、今日思った」などがあった。        (山崎俊二・記)


下関で初の「自然葬を語る集い」

2009年11月1日、第1回「自然葬を語る集い in 下関」を下関市の国際会議場「海峡メッセ下関」で行った。前夜からの荒天のせいか少数の参加者であったが、却って座談会風で参加者との話合いは内容の濃いものであった。

山崎支部長自身が自然葬を選んだ理由を話した。入会して「お墓がないと死ねませんか」など会が推奨する書物や会員の自然葬感想文を読んだことを話し、自然界から生まれた生物が死ねば自然界に還る意義を語った。また、今年の広島の集いで、平野和弥先生(当会理事で千葉大学名誉教授・生物学)が講演した内容を紹介した。生物・植物・細菌類が自然界に共生し、自然循環(エコサイクル)をつくっている。しかも生物の一つである人間は、他の生物を犠牲にしており、これ以上自然界を破壊しないよう、死後は自然界に還ることで救われる。また、死者を残った者が思い出すとき、胸の内にあるものが魂であると述べた。

次いで下関市の多田享子さんから6年前に関門海峡で行われたご主人の自然葬の体験談があった。余命いくばくもない夫とのちよっとした会話、「そこいらの海にでも・・・」がある意味で実現した。少し抵抗はあったが、骨は夫に馴染みの文鎮などで、子供と一緒にこつこつと砕いた。50代前半の働き盛りで亡くなり、暗い墓に閉じ込めてしまうのは無念という思いであった。当初は、慣習通りの戒名・葬式・墓が頭にあったが、入会して、自由な思いで変えられたことに感謝している。毎年、浜に立ち、好物だったビールなどを手向けて、自由に気儘にしている夫を想像している。子供から「お母さんは泳げんから山だね」と言われているが、「自分で選びなさい。墓と思うなら、自分で建てなさい」と会話している昨今とのことだった。

次いで会長との座談である。「自然葬は昔からあった。墓埋法によって葬送の自由が失われている。葬送は自己決定権の問題であり、価値観の多様化によって葬送の自由には法制化が必要で、いま葬送基本法制定に向けて運動を続けている」と話された。

葬儀の司会をしているという婦人が、今の葬儀のやり方や高額な費用に疑問と不信を抱いて参加された。支部長から「関門海峡で、何年か前に4名の自然葬に立ち会ったことがある。遺族は心のもやもやが晴れてすっきりしたと感謝していた」ことなどを紹介した。

今回は、地方紙2紙に集いの紹介が掲載されたが、荒天のせいかと思うが少数の参加者で、今後の課題とする。(中国支部世話人=渡辺勝八・記)