(update_20071007_KKoiduka)
ページ担当:小飯塚一也

支部情報

北海道支部

木下順二と鶴見和子の葬送観――葬送の自由と自然葬のいま」講演に63人

 2007年10月20日、札幌・かでる2.7で「木下順二と鶴見和子の葬送観――葬送の自由と自然葬のいま」と題する安田会長の講演会を開いた。
小雨ぱらつく秋冷の中、会員と一般の人たち63人が来聴した。講演に先立ち、7月の小樽沖での特別合同葬のビデオも上映した。また、午前中は支部役員が個別相談に応じた。
会長の講演の大要は以下の通り。
今から35年前、社会学者鶴見和子さんは木下順二さんから送られた1通の手紙をきっかけに、自分の死後を考えるようになった。それは、木下さんのお母さんの死を伝えたもので、「亡母と私は何度も話し合い、死後の儀式はすべてやめようと約束した」という。
 鶴見さんはこの文に大変共鳴し、「私も葬式はやりたくない」とされ、昨夏、亡くなられると遺灰はその願い通り弟の哲学者俊輔氏の手で本会も手助けして紀伊水道に流された。鶴見さんが傾倒した民俗学者・南方熊楠ゆかりの海にこだわったのだ。
 一方、木下さんは戯曲「子午線の祀り」で、平家物語をベースに仏教的無常観を述べている。そして、自然体を大事にされ、自分の遺灰はどこの海にまいてもよいとされた。
 このように考え方は多様であっていいのであり、私たちは墓を作る自由も否定はしない。しかし、鎌倉のように山を3つも崩して大墓地団地を造るようなことはしてほしくない。
 鶴見俊輔さんの葬送の記に記された「人間の葬儀はやがてこの方向に向かうものと信じます」との言葉に励まされ、今後も皆さんの期待に応えるべく頑張っていきたい。
 以上のように、安田会長はとくに葬送の思想の「自由」と、自然葬こそ、地球環境の破壊への抵抗なのだ、と強調され、共感を誘った。
(塩崎義郎・記)

「旭川でも集まりを」と土肥さん呼びかけ

 旭川市の会員、土肥国明さんが「旭川でも集まりを」と次のような呼びかけをしています。関心のある方はご連絡下さい。 
 北海道の道北地方・旭川周辺の会員の皆さん、一度、旭川でも会員懇談会を開きませんか。北海道支部の塩崎支部長が来て、全国理事会に参加した経験も踏まえ、自然葬の現状や考え方を話してくれるそうです。
 参加したい方は電話かはがきで下記の拙宅へご連絡下さい。皆さんの希望を聞き、日取り、場所などを決めたいと思います。

 〒079−8411旭川市永山1条16丁目5−15
  会員・土肥国明
(電話0166−48−7122)

講演と疑問に答える会「あなたはお墓に入りますか」に90人

 2007年6月30日、札幌・かでる2.7で、講演と疑問に答える会「あなたはお墓に入りますか」を開いた。大半が非会員の方で、会員とあわせ90余人の参加だった。
 講師は、初めて支部長の筆者・塩崎が務めた。まず、塩崎がなぜ自然葬を選んだか、から話し始めた。定年の数年前から、お墓のことを意識し始めたが、自然の緑を破壊する墓地に他国の山を削って輸入する墓石。そんな石の下に安閑と眠りたくない。国境のない海は世界に通ずる平和の象徴。海に撒いてもらえたら、同じ散骨をした先輩にも会える。室蘭地球岬沖を希望している、ことなど。
 家族との話し合いでは、妻は大賛成。2人の子供と兄妹たちも了解してくれている。ただ、妻は山を望んでいたが、いま、ニセコは地元の倶知安町と話合いの中でできないので、一度地球岬を見せたところ、こちらに傾いているようだ。
 説得に難渋している方も多いようだが、決め手はないものの、節度を持って行う自然葬は法に触れない、?日本の歴史をみてもいまのような墓の形はせいぜい100―200年前からで、絶対のものではない、厳粛に行われている自然葬の姿と実績、骨を固めて記念品にするなど、故人をしのぶ形は「手元葬」と呼ばれ、いろいろあることなど、誠意をもって説くしかない。
 以上のような話の後、「簡素な葬式と骨の粉末化を頼める業者の紹介を」といった質疑もあり、「会として責任は持てないが、情報は提供できる」と答えた。
(塩崎義郎・記)


東北支部

初顔あわせ、和やかに
青森の会員交流会

 2007年9月15日、本州北端の青森は快晴で汗ばむような1日でした。
 葬送の自由をすすめる会、青森県初の交流会が紺碧の青森港に係留されている「八甲田丸」の会議室で開かれました。ご存知、青函連絡船として本州と北海道を結んで活躍した、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の舞台となった船が、現在メモリアルシップとして公開されています。桟橋からタラップを登る時、きょうの会合に集まる人たちにはふさわしい会場と思いつつ……。
 県内会員29名中17名の本人出席とその家族、友人、主催進行の阿部東北支部長と世話人の大久保さん、盛岡から応援参加の堀籠さんとで23人の出席でした。
 まったく初めて顔を合わせた会員ですので、自己紹介も固い雰囲気で始まりましたが、ボツボツ質問、意見が出て和やかになり、絶えることなく質疑が続きました。
 ○「自分の葬式は自然葬に決めてあるので孫に行ってもらうために同道した」と、お孫さんと一緒に参加したOさんの話にびっくり。感心する人たち。
 ○「津軽海峡で散骨を計画したが準備不足のため、仙台湾で自然葬をした」と、県内での実例を語って下さったNさん。
 ○お骨は散骨のためどの程度砕くの?
 ○焼場でのお骨・灰の持ち帰りはどのくらい?
 ○通夜・葬式をしない時の近所への扱いは……?
など、たくさんの疑問、話し合いのなかで会員の理解は深まっていきました。
 自然葬をたくさんの人に知ってもらうため、青森での講演会開催についても話題になりました。なるべく早い時期に開催できれば……、ということで、今回の交流会はその大きな足がかりになったと思われます。
(八戸市の会員=清野利克・記)

仙台で26回目の交流会

 2007年10月21日、仙台市のシルバーセンターで会員交流会がありました。東北支部通算33回目、仙台では26回目の交流会です。29畳の和室に細長い座卓をロの字形に並べ、周りに座布団をおきます。座るのが大変な方のためにいす席も用意します。参加者は30名。福島県郡山市から息子さんと参加された方、ホームページを見て参加した非会員の方もいました。
 いつものように簡単な自己紹介から始まり、活動報告の後、自由な意見交換になります。この6月、私の母が急死しました。母はこの会の会員で、簡素な身内だけの葬儀、自然葬を望んでおりました。そのことを7年前の父のたいそうな戒名と葬儀とを比較しながら問題提議として話しました。
 母は香典や供花は辞退するようにといっていましたが、これがなかなか難しかったと話すと、貼り出したり回覧したりする辞退のための文章のひな形を検討、提示することになりました。他にもいろいろありましたが、宮城県でも仙台を離れると自然葬への理解は「骨捨てるのすか!」という具合でまだまだ。近くの会員ともっと連携していきたいという意見も出て、仙台だけではなく、県南、県北での交流会が懸案事項になりました。

「ふでまめくらぶ」提案した美馬さん逝く

 東北支部に「ふでまめくらぶ」というのがあります。言い出しっぺは美馬栄子さんです。美馬さんは2004年10月盛岡の交流会に参加、11月の久慈再生の森を見に行くツアーには自宅でご主人を介護しているので参加できず、でも盛岡駅まで見送りに来てくれました。2005年の盛岡講演会ではボランティアとして活躍してくれました。美馬さんはそうそう出掛けるわけにはいかないが、せめて同じ志を持つ者で文通して心の交流をしたい、そう思う方が他にもいるはずと提案しました。
 2005年5月発行の東北支部だより6号に「ふでまめくらぶへのお誘い」を書いてもらったところ13名から参加申し込みがありました。美馬さんが名簿を作り、文通と同時に「ふでまめノート」の回覧も始めました。十人十色の読みごたえのある文章で埋まりながら2冊目、6順目がまわっています。
 9月7日、みんなで集まろうという企画が実現しました。昨年12月、美馬さんに病気が見つかり、みんなに会いたいと言っていました。盛岡の温泉に「ふでまめくらぶ」の10人が集まりました。美馬さんは体調がすぐれないので1時間ほどの参加でしたが、話をしたり写真を撮ったり楽しくすごしました。
 ……10月下旬、岩手日報のお悔やみ欄に美馬栄子さんの名があると盛岡の方が知らせてくれました。大森山産の梅干のお礼のはがきを最後に連絡がとれなくなっていました。67歳、キラキラした瞳のかわいい方でした。美馬さんのこと、忘れません。
(阿部みちよ・記)

秋田の集いに参加して

 2007年6月10日、秋田の会が東北支部に統合されてから初めての対外活動として「自然葬を語る市民の集い」を開催することができました。

 当日は朝からはっきりしない空模様で、遠路秋田へ来て下さる会長さんや、東北支部の方々のためにせめて雨だけは降らないでほしいと祈りながら会場へむかいました。

 会場の準備を始めると、今度は参加の人数が気がかりです。それでもなんとか非会員で関心の高い方の参加が目立ち、総数42人で始めることができました。

 始めに安田会長の「鶴見和子と木下順二の葬送観」と題する講演があり、「東北の自然葬」をビデオで見てから質疑応答に移りました。

 こうした会合でいつも感じることは、遺骨に対する異常なまでの執着や、世間的な形式へのこだわりについての質問が多いことです。それは私からすれば、人間の本質的な生き方や考え方とはずれた迷いの心に思えてしかたないのです。

 3千年もの昔、お釈迦様は「諸々の事象は過ぎ去るものである」と“生々流転”を教えておられます。科学技術を発展させ、文明社会を築いてきた私たち現代人の意識としてどうでしょうか。「再生」65号では、山折哲雄氏の「一握り散骨」論を核にいろいろの意見が書かれています。神奈川県の井上良氏が言われているように、骨は自然に還る物質であり、魂は「千の風」となって天空を吹き渡るのだと思えばいいのではないでしょうか。

 人間、生きている時こそが大事、亡くなってからどんな盛大な葬式が行われても、心がしらけてしまうだけです。

 本当の「生命」は残された人たちの心の中でこそ行き続けるのでしょう。これからもこの思いを大切に、残り少ない余生を丁寧に生きて行きたいと考えた一日でした。

(川辺典子=秋田市の会員=・記)

会長講演パソコン要約筆記が活躍
127人参加した仙台の市民の集い

 台風4号が九州を襲った2007年7月14日、仙台市自然葬を考える市民の集いがありました。仙台も朝から雨マークでしたが、世話人の中に強力な晴れ女がいて、終日雨はふりませんでした。

 社会貢献活動を担うリーダー養成などをする仙台市健康福祉事業団の「豊齢学園」の総会でチラシを配布してもらったり、地元の新聞に2度催事案内が出たりして参加者は127名。会長の講演「鶴見和子と木下順二――葬送の自由と自然葬のいま」にも熱が入りました。

 今回の講演会は初めて「パソコン要約筆記」つきで行いました。6月半ば、会員の方からファクスがあり、難聴だが鶴見和子ファンなのでぜひ講演会に参加したい、パソコン要約筆記を頼みたいので協力してほしいとのことでした。市身体障害者福祉協議会に連絡を取り、ボランティアのグループ「パソコン要約筆記・文字の都仙台」を紹介してもらいました。あらかじめ当日配布する資料や司会原稿などを送っておきました。

 当日は開演1時間半前にボランティアの女性4人がプロジェクターなどの機材をもって集合、準備に入りました。講演者の話を4人がリレーのように次々とパソコンに打ち込み、それが縦横2メートルの移動式スクリーンに映し出されていくしくみです。

 本番では、会長の話しに出てくる人名や固有名詞が平仮名になることもありましたが内容は十分伝わったようで、難聴の方々に喜んでもらえました。

 講演会のあとすぐに総会が開かれました。60名ほどが参加されました。議長に成見利夫さんを選出し、支部規約案、2007年度事業計画案、2007年度収支予算案、役員案をそれぞれ説明し、承認していただきました。東北支部の方には、来年の支部だよりといっしょに「東北支部規約」をお送りします。ずいぶん遅くなりますが、お許しください。

 東北支部は行事があるたびにその時々お手伝いいただける方を募ってボランティアとして活躍いただいています。それはこれからも変わりありません。どうぞよろしくお願いします。

(阿部みちよ・記)


関東支部

千葉市の百瀬宅で10人が話し合い

 千葉市内で会員が交流する場を持ちたい、と同市在住の会員・百瀬勝幸さんが呼びかけたのに対し県内の10人が参加した「第1回千葉集会」準備会が2007年9月22日、百瀬宅で開かれた、と連絡がありました。
 百瀬さんからの報告は、以下の通り。
 去る9月22日、照りつける太陽の暑い夏の日に拙宅にて10名の参加をいただき「第1回千葉集会」準備会を持つことができた。
 初顔合わせとは思えない密度の濃い、建設的な意見を豊富にいただき、3時間余りの会合は再会を誓い合い終了した。
 以後の運営については、小集会「茶話会」的なものを持ち、会員の貴重な体験等をうかがいながら、相互の高い理解を得て集会を持つべきだ、と集約された。「散骨の体験や会への希望などを聞く」ことで、桜の花咲くころに次回の集会の準備をすることにして散会した。埼玉県の会員からはげましの便りをいただき感動しました。


静岡県支部
市民集会に63人

 2007年9月29日、静岡市の静岡労政会館で開催し、参加者は一般35人、会員28人の計63人だった。
 安田会長の講演は、鶴見和子さんと木下順二さんの死生観の参考資料のコピーを参加者に手渡して行われ、よく理解されたことでしょう。
 2人の葬送観から自由に生きた者として死のかたちも自由でありたいという安田会長の締めくくりの言葉に凝縮されています。
 体験発表は、一昨年お墓を整理し散骨された袋井市の高林紀子さん。関心が強い問題であり、聴衆も興味深げだった。
 お父さまが亡くなったときは大変派手な葬儀となり、疑問をいだいて会に入会した。お母さまがこのたび亡くなって、お母さまの骨とお墓に眠っているお父さまの骨とをいっしょに散骨されたいきさつを話された。
 日々の電話での問い合わせから静岡県においても自然葬への関心、理解が深まっていることを実感している。ただの一例の苦情もなく、17年間神経を使って実施してきた結果、自然葬が周知されてきたという会長の言葉そのものです。
 葬送事情の記事は新聞紙上で見かけることが多くなり、ますます問い合わせもふえることでしょう。                         (杉村まさみ・記)

     

支部長、林繁一さんに交代

 5年近く支部長を務めてこられた杉村進さんが、運営する税理士事務所が多忙であることを理由に退任を申し出られ、静岡市清水区在住の林繁一さん(78)と交代することになった。2007年12月1日から新体制になる。
 林さんは、水産庁水産研究所の研究者から東海大海洋学部教授を務めた経歴を持つ漁業資源の研究者。妻・冨美子さんが2001年から本会会員で、「再生」を通じ、本会の活動に長く関心を持たれていた。
 支部長の後任にという話が出る前にたまたま、「再生」に入会の記を投稿されていた。そこでは「生が終わった後は、他の生命に役立つのが自然」などと述べられている(「再生」67号の声欄「生終えた後は他の生命のお役に」参照)。
 11月10日、日ごろの支部活動を支えている13人のボランティア全員との会合を持ち、引継ぎをした。
 杉村さんは「5年弱の活動でしたが、支えてくださった皆さんへ感謝します」と話している


東海支部

会員交流会、悪天候の中25人

 2007年10月27日(土)、名古屋市中区の「あいちNPO交流プラザ」で会員交流会を開催し、悪天候の中25名(会員21名、非会員4名)が参加しました。
 田中幹事の司会のもと、まず末兼支部長の挨拶がありました。続いて、野外民族博物館リトルワールド学芸員で文化人類学者の宮里孝生氏による「マオリ族における葬送の民俗誌」の講演を聴きました。
 歴史、血族を大切にし、誇りある生き方をしていること、その葬送の様子は映像を交え分かりやすい内容でした。特に葬送の様子は、儀礼化、商業化された日本のそれとは異なり、強い絆を感じました。
 次いで、会員の山下さんから、お父さまの自然葬体験報告がありました。故人をしのぶ心のこもった散骨と実施までの様子が具体的で、参加者が真剣にメモを取る姿が印象的でした。
 その後の質疑応答の場で、?自然葬の場所の希望、?粉骨の方法、?自分らしい葬送など、たくさんの意見交換があり、閉会時間をオーバーするほどでした。
(鳥山満江・記)


関西支部

相次ぐ関西での自然葬

 2007年6月23日に開いた世話人会で自然葬の拡充について話し合った。

 関西支部世話人が立会いする自然葬が、5月20日(日)大阪湾、6月17日(日)須磨沖、6月24日(日)紀伊水道、7月1日(日)大阪湾、と相次いだ。世話人による自然葬経験が積めるのは、これからの普及にあたって心強い。世話人会での論議も盛り上がった。

 6月17日の自然葬は、大阪府四条畷市在住の野元静枝さんの家族が対象。テレビ局のMBS毎日放送からの取材依頼を野元さんが引き受けた。7月25日(水)午後6時15分からのニュース番組「VOICE」の中でその模様が取り上げられた。

 ニュースの狙いは「改葬」というものだった。

 少子高齢化の影響や孤独死の増加など、これまでの葬儀慣行に、社会は根本的な変化が迫られている。その例のひとつとして、ご主人の死後、郷里にお墓の引越しをされた方と野元さんのケースが取り上げられたものである。

 10分前後の内容だったが、「海への自然葬は初めて知った」「葬儀には、お墓が絶対必要だと思っていた」「ニュースのおしまいが白い航跡でしめくくられていたのが、今後の広まりを象徴するようで、印象的だった」などの反応があった。

 自然葬への理解の端緒となれば嬉しい。

 8月には、世話人会による琵琶湖周辺での焼肉会が計画されている。11月18日(日)の特別合同葬実施の成功に向かって決意を固める。

(柳博雄・記) 


中国支部

予想を上回る参加
岡山初の語る集い

 2007年10月13日午後1時半から、岡山では初の「語る集い」が岡山駅前の岡山コンベンションセンターで開かれた。広島では遠いので岡山でも、という要望はかねてから寄せられていた。参加者が何人になるか見当がつかず、45名定員の部屋を用意したが人数がふくらみ、急遽15の椅子を運び込むことになった。
 最初に支部長から、中国支部で行った12回の会合と勉強会での参加者の質問内容と瀬戸内海で行った自然葬実績(船舶料を含める)を表に掲げて紹介した。ついで安田会長の特別講演「鶴見和子と木下順二の葬送観」をお願いした。講演に先立ち、山陰で集会をする場合の相談のため米子から参加した会員に、配布してあった木下順二の「入会にあたって」と鶴見和子の「葬」の文章を朗読してもらった。
 休憩の後、会の「10年の歩み」のビデオの初めの部分と瀬戸内海の自然葬のDVDを上映した。
 質問は活発で以下のような内容で熱気あふれた。
 生まれ育った北アルプスに撒きたいが可能か。娘2人で家の墓を守ってくれるものがいないので参加した。家の墓を守ってきたが、墓の中にある骨も自然葬できるのか。自然葬する前に改葬する必要はないのか。遺言に書き込んでおくと確実なのか。
 60人の参加者中、会員はスタッフを含めて11人。瀬戸内での自然葬体験者が2家族見えていた。「息子に分かってもらうために送る」といって、『自然葬ハンドブック』を3冊購入した方もいた。アンケートは参加者の半数が回答してくれた。自由記述の中には、「もっと自然葬のことを知りい」「来てよかった」「岡山で開かれたことがうれしい」「岡山に支部をつくってほしい」などがあった。「部屋が詰まっていてトイレにも立てない」という苦情もあった。
(山崎俊二・記)

第12回「葬送の自由を語る集いin広島」、70人の参加

 2007年6月13日(土)、広島市西区民文化センターで第12回目に集いがもたれた。特別講演の演題は、安田会長の「鶴見和子と木下順二の葬送観――葬送の自由と自然葬のいま」である。資料として配布した鶴見和子の「葬」の文章と木下順二の文章の一部を、会長が会場の女性に朗読してもらった。

 鶴見和子は「自由に生きてきたので、死の作法も自由でありたい」と言い、木下順二も「自由に生きてきたので、死も自由でありたい」と述べている。いまよく歌われている「千の風になって」も鶴見和子の信じたアニミズムの「万物に魂が宿る」に通じるもので、死後自然に還るということを人々が広く考えるようになってきたという会長の話は、聴衆にもよく理解されたところであろう。

 山に散骨したいと望んでいる人がいた。中国地域にはその場所がないと答えると、高山植物を好んでおり、北海道の大雪山を希望することを「自然葬契約書」に書き込みたいという。会合を開く度に出る「遺骨を砕くこと」についての質問もあった。

 6月初めに、当地の中国新聞に「鶴見和子と木下順二の死生観」を安田会長に聞くという取材記事が報道され、70人の参加があった。一般参加者が80パーセントで、会員の参加が少ない。アンケートの回収率は73パーセントで、そのうちの78パーセントが会合が「参考になった」であった。参考までに、「墓不要」が67パーセント、「自然葬思案中」が62パーセントであった。次の勉強会を楽しみにしているという方もいた。

 

ボランティアの志ある方は連絡を

 支部では、会場で椅子、机を出したり片付けたり、受付で出席された方の名簿を書いていただいたり、資料をお渡しするボランティアが不足して困っています。お志ある方は支部長までお知らせ下さい。

(山崎俊二・記)


九州支部

バリ島の葬送DVDを23人で鑑賞
バリ島見学旅行に発展

 2007年7月27日、熊本支部の会員を含め23名が参加、バリ―福岡国際協会の城戸秀夫氏(インドネシアのバリ島在住)の話を聞きながら、「バリの葬送」のDVDを見る集まりが開かれた。
 バリ島の火葬式はガベンと呼ばれ、バリ・ヒンドゥ教の通過儀礼に基づいて人の魂が天界へと上る人生最後、かつ最大の歓喜に満ちた儀式とされている。
 DVDでは、亡くなられた豪族の遺体は数々の教えにのっとり、祈祷、丁寧な清拭、儀式ののち飾り付けられた布で覆われいったん安置された。明くる日、壮大、壮麗な櫓に載せられた遺体は若者に担がれ、聖なる動物、牛をかたどった巨大なお棺と数百人の会葬者を従え、ガムランの音楽とともに市中を進み海岸に着いた。そこで遺体は牛のお棺に移され、様々な儀式の後、火葬に付された。そして遺灰は多くの人の手で椰子の実の殻に入れられ、大勢が見守るなか、船で沖に運ばれ海に流された。そして5日間にわたる葬送が終わった。
 だれひとり悲しい顔を見なかったこの歓喜に満ちたお葬式は、我々の死生観と全く異なる感動的なもので、大きな感銘を受けた。バリ島では有力者の葬送は準備のため何ヶ月も前から判っており、外部の人の参加も歓迎される。
 九州支部では、バリ島の葬送を実際に見学しようと計画、幸い葬送があればそれに参加、もしなくても親睦を兼ね「バリの風を楽しむ会」とし、11月13日から5日間熊本支部からの参加も得て、7名でバリ島に行くことを決めた。
(蓑原善和・記)


自然葬を語る市民の会に129人

 2007年5月12日、福岡市の福岡市夫人会館「あいれふ」で開催した。参加者129人(会員36人、一般93人)、アンケート回収率65.9パーセントだった。講演のテーマが新聞に紹介されたのがよかった。

プログラム1、講演、安田会長「鶴見和子と木下順二――自然葬の今を考える」

 社会学者の鶴見和子さんは、民俗学の研究者として尊敬していた南方熊楠のゆかりの紀伊水道に還られた。鶴見さんの著書にある「葬」というタイトルの文章の中に「葬式をしない葬式」という項がある。そこでも強く散骨をねがっていられた。最後まで自分らしく生きていかれた志に胸をうたれた。

遺作に、

命(いのち)細くほそくなりゆく境涯にいよよ燃えたつ炎(ほむら)ひとすじ

 木下順二さんの死については平家物語を題材にした戯曲「子午線の祀り」より入った。
「自由に生きた者として死後も自由でありたい」との思いが木下さんの入会の弁にある。葬式をしないという母上の遺灰と一緒に海に還すようにと遺言された。故人の希望により死を1か月公表しなかった。新聞などで「ひっそり死」の記事をよく目にするようになったのは、自然葬の啓発運動の表れではないか。

プログラム2、講演、山田孟氏「尊厳死と自然葬」

 山田氏は、日本尊厳死協会中国支部理事で岩国中央病院理事長。尊厳死と自然葬のかかわりを医学的分野により語られた。

 人生最後の選択肢は命の尊厳すなわち人間らしく生きられること。それが尊厳死につながる。末期患者の精神的肉体的苦痛をいかにして取り除くか。ホスピスは死に場所ではなく最後まで充実した生活を送るための支援である。生の終わりの生き方によって「良い死」となり、因習や確執にとらわれない葬送を行いたい。尊厳死と自然葬は終着点への自己決定だと思う。

 講演後の質疑応答も熱心に交わされ関心の高さがうかがわれた。アンケートを整理、検討して今後の集まりに役立てたい。

(萩尾満里子・記)


熊本県支部

熊本交流会に27人

 2007年9月29日に交流会を熊本市内で開きました。参加27人中10人が一般の人で、熊本日日新聞が案内記事を載せてくれた効果が大きかったようです。
支部総会、バリ島の葬儀の映像鑑賞、自然葬体験発表などをし、初めての方からは、入会手続きや粉骨にするときの抵抗感、葬儀費用などが話題になりました。また、散骨をする場所はどこでもいいのかと県に問い合わせたところ、周囲に迷惑や不愉快な思いを与えなければとの回答だった、などの報告もあった。
(和泉典子・記)


沖縄県支部
地元紙、自然葬を大きく報道

 沖縄・慶良間諸島で、東京都在住の石田美弥子さんが2007年10月21日に行った自然葬が、「沖縄タイムス」「琉球新報」の地元2大紙で大きく報道された。立会いをした屋比久ユキ子県支部長のもとには、記事掲載直後から数10本の電話があり、県内での関心の強さを感じさせた。
 活動が停滞気味だった沖縄県支部は、本会理事で弁護士であるとともに真言宗豊山派僧侶でもある岡田弘隆さんが、糸満市に開かれた同派の長谷寺住職として東京から赴任したのをきっかけに態勢の強化が図られたばかり。記事には、17日に沖縄県宜野湾市のカルチャーリゾートフェストーネで開かれる沖縄では10年ぶりの講演会の案内も添えられていて、電話口で自然葬への賛意を伝える声が多かった。講演会にも出席したいという希望を述べる人が多かった。
 石田さんは、2年前になくなった夫の美喜男さんの遺灰を海に還した。美喜男さんは生前、家族とともに沖縄を訪れ、「最期はこういうところで」と話していた、という。
 慶良間諸島は、那覇市の西沖40キロに点在する20余の島からなる。世界有数の透明度を誇り、観光客の人気が高い。
沖縄での会による自然葬は最近は毎年4、5件のペースで行われている。今年は10月現在で6件になった。