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会員の声_2007年分
■次の動物に森を返そう
國本守子(栃木県鹿沼市)
50、60歳は印刷された紙に追いつけ、追いかけられ、周りを見る余裕などなく、夢見る暇などなく、休む事は体の具合の悪いときだけ。親は丈夫に生んでくれたので、風邪ぐらいひいたらと思ったものです。人生、七転び八起きでも悔いはなく、良くも悪くもなく楽しき人生だと思って居ります。
地球は、人だけのものに非ず。すべての生命のものだと思って居ります。自然界を傍若無人に我がもの如くでは、次の幕の準備が出来て居るかも知れない、動物に森を返す事が一番の道と思って居ます。一本の木なり少しでも恩返しが出来れば幸いと思います。次に僧侶とは、この世に生きている亡者共に仏の道を説く事が使命で、死者と成りし者から院など名称などで金を得る事などもってのほか。人は神になれず自然界こそが神である。
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■生終えた後は他の生命のお役に
林 繁一(静岡市清水区)
入会させて頂きありがとうございました。活動につきましては、10数年前から敬意を払ってきましたが、忙しさにかまけて、家内に送って頂いている会報などを拝見する程度で過ぎてしまいました。生涯の大部分を、生物である、漁業資源の変動予測とそれに基づく管理の仕事に携わってまいりました。
戦後間もなく、あの食糧難時代の16年の間、1世紀に2回、200万トンを超える豊漁となるが、不漁期には1万トンにも低下する真鰮の不漁対策の仕事に従って、社会の食糧を安定して供給する仕事と意義を感じておりました。その後、鮪、鮭など、さらに海外の発展途上地域の漁業振興にも当たる機会を頂きました。その間、魚に限らず、生物は無機物から生まれて、再び無機物に還る流れがあり、ある高僧が申されたように、生を終わった後は、他の生命に役立つのが自然であると考えるようになりました。鮭のように海から川、特に上流に栄養を還元する働きを持つ生命の過ごし方もあるのです。
一方、各地の遺跡を観る機会も与えられたので、古くから人の手で、維持されている墓地とか、神殿などにも畏敬の念を抱いております。しかし人類が70億にも達しようという現代ともなれば、限られた土地を死後も利用することを遠慮したいという考えは人類の進歩と考えます。その考えを実現するために、前例に拘る行政を説得された先見とご努力に敬意を表する次第であります。
私達にとって最後の住いとなった静岡の前に広がる駿河湾は3776メートルの富士山と、2000メートルを超える深さと黒瀬川とも呼ばれる透明で暖かい流れを擁しています。私もこの海で調査研究をさせてもらいました。最近の会報にもこの海の良さが記されていました。喜寿を過ぎ、平均寿命まで健康に過ごしてきた現在、身辺整理を進める一環として入会させていただいたことを喜んでおります。今後ともご指導をお願いする次第です。
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■寿命がつきた後には何もいらない
竹中義剛(静岡県浜松市)
戦後、信教の自由が言われてから、もう60年になります。日本では、アメリカ、フランス、イギリス等で一般市民が生命をかけて権力者と闘って、権力、権限を自分たちのものにしたという歴史というものが殆んどありません。敗戦により、アメリカの民主主義への政治、政策の移行が表面的には憲法に沿うようにと進んできましたが、一般の庶民生活では、生活の土台の変革ということもなかなか進行せず、旧態依然とした因習めいたものも相当あちこちに残っているようです。仏教による葬儀一式もそのひとつであり、人の死にかかわる問題もそのひとつであると思われます。
人間誕生して物心がつき、その一生を終わるまで、本当に人間らしい1日1日を送って生きていくということを自覚するのは、どうしても人生の晩年になりがちです。精一杯生きて寿命が来たら、自然に消滅してゆく。後になにも残らなくて結構。如何に生きてゆくか自分に課せられた人生を全うしていくことが大切だと思います。接する人と誠心誠意対して、後は消えていく。後に残った人に迷惑をかけたくないと思います。生命が消滅した後は、それで完全に終わりです。生きている間は悔いない人生を全うし、自然の哲理に従いたい。
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■強くなった自然葬への思い
浅井繁男(横浜市)
死生観を考慮する年代に到達し、2年前義兄の突然の死を迎えて自然葬への思いが強くなり、今回入会の手続きを取らせていただきました。生前、故人と話し合った事はなかったのですが、この件は私と同様喜んでくれることと思います。今回は義兄の自然葬の申し込みですが、いずれ私もお世話になることと思います。
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■「墓にはいない」といっていた
篠崎久子(東京・町田市)
入会10年のお手紙をいただき、ご丁寧な心遣いを感謝しています。なくなった父が生前、「僕は死んでもお墓なんかには絶対居ないから、石を拝んだり骨を拝んだりというバカなことは絶対するな」と言っていたので、会に出会えたのはとてもうれしいことでした。今後、会が発展していくことを祈っております。
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■漸く心が落ち着いた
渡部軍司(仙台市青葉区)
私どもは、40年前男子をもうけましたが、ほとんど死産で生まれ、長らく鎌倉の寺で眠っておりました。現在は仙台市民として平穏に暮らしておりますが、どうして子供の骨つぼだけ冷たく暗い石の中に置いておかねばならないのか不憫でたまらず、長い間もやもやしたものが頭の中にありました。
そして10年前、思いきって墓を閉じ寝室に安置しております。5月に葬送の自由をすすめる会に入会し漸く心が落ち着き、最後に3人と愛犬と大自然の一部になって風に乗って散ってゆきたいと結論を出し安堵している次第です。
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■終の場決まりほっと
近藤昭治(名古屋市南区)
この度、終の場所も決まりほっとしています。小生は当地の飛行クラブの末席にいるのですが、度々フライトにお誘い頂き、伊良湖方面に行っております。去る1月30日には静岡の三保辺りまで行き、帰路小生の撒骨希望地点上空で三回程旋回して頂きました。広大なる海原を眺め益々これで良いのだと納得いたした次第です。
当今、巷に「千の風」の歌がもてはやされている様ですが、一時的なブームで忘れ去られるのではと危惧いたしております。マスコミは軽薄なものです。悪質な事業者に悪用される事も警戒しなければとも思います。
悠久の潮流と千万億の風に乗って自然界に回帰して行く吾が骨の行末を想像するだけでも喜びです。小生は真からの仏教徒とは云えませんが、自然への回帰は仏教の真髄と解釈いたしております。
命尽く時迄自分なりの有意義な生活をして行きたく思っております。
死ぬるとは元の元素に戻るだけ
ボロ傘で裂け目 破れめ先が見え
(80歳春)
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■戒名つけた後の喜捨も負担
大津享子(神奈川県)
小田原市で生まれ育ち、相模湾沿岸で生活をしてきましたので相模湾での散骨を希望しています。
私の祖母は生前戒名をつけ、父母も代々の院号居士・大姉の戒名です。その料金も大層なものですが、後々寺の改修やら何かと寄進があり(宗派によりかなりの違いもあるようですが)この戒名相応の喜捨がかなりの負担となります。
弟は実家の墓に入るように言ってくれますが、あとを考えますとおいそれと返事も出来ません。
何故戒名が必要なのか? 不勉強で解りません。今まで無頓着に生きてきましたが、最後は迷惑をかける事なく決めていきたいと思っております。
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■自然葬選んだ夫に感謝
溝口好江(東京都文京区)
夫が昨年9月、旅立ちました。肺気腫で酸素を使っていましたが突然のことで、私はその現実を受けとめるのに時間がかかりました。夫は鹿児島に生まれ、本籍も先祖からの墓地もありますが、私たちには子供がありません。ですから、いざという時のために葬儀とその後のことはよく話し合っており、夫は散骨にすると申していました。
最初にどうして散骨にしたいのか聞いてみました。「両親に親孝行をしていないから申し訳なくて一緒のお墓には入れない」といっていました。でも年に1回はお墓参りにいっていました。親類縁者もみな上京しています。遠い縁者がお墓守りをしてくれています。今になって考えると、鹿児島のお墓に入ると、私がお墓参りに行く負担が大変だと考えてくれてのことだと思い、大変感謝しています。