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■死はまた恵かもしれない
山口基子(群馬県伊勢崎市)
今度は入会できて嬉しい気持ちです。以前より漠然と墓はいらないと思ってきましたので、自然葬というものが実際に違法でないということに明るい気持ちになりました。私は海のない県で生まれましたが、海が好きで、趣味もダイビングです。伊豆の海は幾度か潜っていますし、沖縄の海はきれいでした。
死ぬことを考えることができると、生きることを大切に考えられます。自分のことも、また自分ができる他の人の幸せのことも考え、この先長いか短いか分からないけれど、人生を生ききるその時までできるだけしなやかに、人々とのかかわりを大切にして、ひっそりとおだやかに死を迎えられるよう精進していきたいと思っています。
だれにも平等に訪れる死は、また恵なのかもしれません。そんな死が迎えられるような気がしてきました。
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■型だけの墓はいらない
丸山澄子(東京都多摩市)
子どものころから人が死んだらお墓に入るのがあたり前で、お墓がないという事など考えられない事でした。小さいころ、夏休みに両親と田舎の祖父母や親類の墓参りをしたのをなつかしくおもい出します。でもここ何年も、遠い事(福井県)もあって両親の墓にもお参りに行っていません。主人の故郷は長野ですが、同様ご無沙汰です。
それやこれや考えてみて、お墓があるからお参りしなければとおもうので、なければ、いつも気にかけていることはないですし、何年も代がかわってもお墓をまもっていかなければという事がないわけです。何時、何処でも故人をしのぶのは出来るとおもいます。高いお金をかけて型だけの墓は必要ではないという結論に達したとき、友人がご主人を亡くされ海へ散骨された事伺い、この会のことを知りました。
もし墓をつくったとしてせいぜい子どもの代までは墓参りしてくれるでしょうが、その後、負担になってもいやですし、私の死後は簡単に、気持ちだけはもって山にでも海にでも散骨してくれたらうれしいとおもっています。
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■みかん畑の光と風の中に還りたい
上野山陽子(和歌山県有田市)
6年前がんを患い、病床でいろいろ考えました。病気になったことがない体だったので、ショックも大きかったのですが、退院して治療と続けながら生と死はとなり合わせなんだと思いました。みかん農家であり、自然の中に生活させてもらっているのだから、いつかは私も自然の中に還って、その一部になればと思ってきました。
今年1月、義父をみとり、浄土宗の葬儀をしましたが、死を悲しむ余裕すらないあわただしさと形ばかりの式に失望しました。そう遠くないであろう自分のその日は、せめてありのままにシンプルに送ってほしいと強く思いました。夫も同じ思いでいます。
子どもたちからもその考えを書面(遺言)で残してほしいといわれています。墓は先祖代々のものがありますが、暗い穴の中に入れられるようでいやです。みかんとともに歩んできた半生、みかん畑の中で光と風を感じられる自然葬をと願っています。
■新聞に投稿しました。
大西武将(愛媛県西予市)