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■会員相互の地域サポートネットはできないか
(京都市北区 北口二美子)
インタビュー「私は遺言執行人」を拝読して死の周辺について具体的に考えさせられました。そして、せっかくの会員の意思を確実にするために高齢であったり、独り暮らしの方などを近しい地域に住む他の会員がサポートするような試みはできないものと考えました。
自然葬は会の責任を持って行われることを前提として、そこに至るまでの具体的サポートを会員相互で生前より行えたら、さらに安心して死をむかえられるのではないかと考えるのですがいかがでしょうか。それぞれの地域の会員が結集する必要はありますが。
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■会で散骨してもらえれば、と心が軽くなる
(滋賀県志賀町 中村鈴子)
私どもは子供がありませんので、早くから散骨をしたいと思っておりました。尤も夫は同年ですがまだフンギリはつかないようです。ここはケアハウスです。これからサービスセンターができ、特老の許可も取られるようですので、最後まで面倒みて頂けるだろうと思っていますが、最後の遺骨の処理もどこかにおねがいしたいと思っています。骨にして頂いて、会で散骨して頂ければ、これで人生も一丁の上がリィ!で心が軽くなります。
昔から「狭い日本、死んでからまで土地を占有することばあるまい」と、お墓を立てる気は毛頭ありませんでした。海や山に骨もまいて頂けたらいいのにと思っていましたので、それが間に合いました。
ここは琵琶湖に近く比良の山々も間近にみえてとても景色のいいところです。ゆくゆくは琵琶湖に散骨ということが出来るようになりはしないかと期待してしますが、如何でしょうか。湖は波も荒くなく、いつも静かです。よく見事な虹も立ちます。
名古屋に生まれ、奈良、東京に学び、夫の現役時代は関東地区に居住していました。退職とともに京都に移り、「みちのく」の名にひかれて宮城県に住み、大津に引っ越してこの志賀のケアハウスに入りました。信州に山荘を建てて夏の間はすごしましたから、アチコチ移ったことになりますが、この琵琶湖が一番美しいところでした。ここをつ終のスミ家に出来たことはよかったと思っています。
■完了した死の準備
(神奈川県 佐藤和綱)
尊厳死、献体、密葬、自然葬……と、己の死の準備が完了したことを友人たちに話したことが災いして、昨年来、あちこちから「遺言ノート勉強会」の講師依頼が来るようになりました。私としては、講師というより問題提起者として困惑しながら話をさせてもらってきたのですが、最近になって、これも1つのボランティアだと気づきました。しかも、葬送の自由と自然葬の社会的合意づくりの場としても大いに活用させてもらうことができますので、このごろはその勉強会に積極的に出向くようになり、私の新たな生きがいにもなってきました。「災いを転じて福となす」とはこのことです。本当にありがたいことだと思います。
己の遺灰をどこの再生の森に還すかをまだ決めていなかった私は、この5月の信濃路「再生の森」ツアーに参加し、北アルプスの素晴らしい景観が眺望できる「聖山高原再生の森」に決めました。そして、8年前から霊園の小さな墓に眠っている妻の遺骨を地球という墓に分骨するということで、私の死後に2人の遺灰を一緒にそこへ撒いてもらうことを思いつきました。「がんを患ってから登山というスポーツにチャレンジし、白馬岳にも登ることができた母はきっと喜んでくれるに違いない」と、子どもたちも同意してくれました。今、事務局に「本人及び複数同時実施自然葬申込書」を郵送するところです。
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■死を迎える日まで安心
(岡崎市 岡田千歳)
(20051201_ss59p30_MHirokawa)生前契約をし、とても嬉しくホッと安心しました。これにより、死を迎えるまでの日々を安心して有意に送れることを思います。海に散骨していただきましたら、海路で自由に、国内はもとより世界各国を遊泳して巡りたいと思っています。魂だけですので、言葉や思想の壁もなく、健康面の不安や事故その他の危険もありませんので、今から海底の未知の探検への夢を描きながら……。そう思いますと、希望が生まれ、明るい未来が生まれます。それまでの日々を大切に生きて行きたいと思います。
■遺骨は完全に灰に
(新潟市 広川ミエ)
去る9月末、当地の会の総会があり、遺骨は完全に灰状にしてくれるよう、また、たくさんは必要ないと焼骨施設に頼んでもよいと聞き、参考になりました。私は「白菊会」に入っているので、大学の係りの方にその旨よく頼んでおくつもりです。
散骨葬 船の左右に浮鴎
海に還るいのちの輪廻 秋日和
葬送の汽笛よ届け秋の佐渡
9月27日の会員の海上葬に同道させていただいた折の拙句です。
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■葬送の自由を進める会に感謝
(長野県小諸市 萩原計雄)
私は昭和20年まで軍籍に身を置きました。昭和10年海軍に入籍、半年の教育訓練を受け、毎日が艦隊勤務。突然、昭和16年12月戦争に入り、南方での戦艦大和などとの出撃のなか、6人ほどの親友がおり、常に同行で勤務せしが苛烈な攻撃を受け、全員が海中の人となる。幸い私1人右手負傷で救助され、横須賀海軍病院で治療今日を得たが、現在、海に沈む友のところへと、葬送の自由をすすめる会に入会した。亡き友らと海中で何もないが代の平和を永久に願っていきたいと、心より想っております。どうか、この会がますます発展し、会の事業に賛同される人々が増大することを期待します。