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■ホノルルの青い海に還る私
(東京都世田谷区 添田 紀美子)
自分で後始末ができないことがたった1つある。それは自分の死後の始末である。若いころからセレモニーが嫌で、出席したことがない。通夜、告別式、戒名、遺影など何も要らない。この2,3年で身の回りを軽くした。死装束もつくり、骨壺も注文済み。手助けしてくれる人も決まり、何だかうれしくて仕方ない。私はホノルルの海の中に入れることになる。
昭和44年8月に3週間、他人様の家に押しかけた。ホノルルの隅から隅まで知っている。今では私の実家と思っているし、向こうも自分の子供のように接してくれる。あれから33年がたち、何回ホノルルに通ったことか。あの青い海、地平線との境目のないエメラルドブルーの色。私は70歳の誕生日に死ぬ予定になっている。そして、その何年か後にホノルルに還る。うれしい。こんなことを毎日考えていると、とても楽しくなる。変でしょうか? ホノルル行きの時が来るまで、私は壺の中でおとなしくしています。
(20010901_ss42p18_SHayashi)
■15年もの苦しみを一気に解消
(東京都板橋区 林 しづ子)
市ケ谷のお堀を見渡せる台地に3基ほど売り出された墓地。その前に立って、私は「見晴らしがよくていいねえ」と言った。「気に入ったんなら払ってあげる。ローンで」 長女はためらわずに言いはなった。「だって・・・。やがてお母さんは実家のお墓の片隅に入れてもらうって決めてるけど、私はそんな方までちょくちょく行くことできないよ。だから小見川の俊ちゃん(従兄弟)に迷惑や世話をかけることが目に見えてる。ここ、決めよう」
その瞬間、私はただ1人の墓をつくることへのためらいや、実家の墓地に入れてもらうという最終的な約束事も一気に解消させてしまった。死んで無になるのに、墓は必要ない。あとあとの供養を甥に願うこともなく、土地の坊さんにへつらうこともなく、自然に還りたい。『自然葬』こそ私の求めてやまないものでした。私なりに用意して、15年も前に割増料金を払って戒名をつくりましたが、その愚かな苦悶の末のご褒美と感謝したものです。
とりあえず早速入会させていただきました。これでよかったという思いで、充実している今日このごろです。娘夫婦には追々、話をして『葬送の自由と自然葬』を読ませて、賛同を得てまいります。生涯、檀家総代を務めた父でしたが、実家の寺では血縁がとだえ、京都から入った尼さんの土地柄と人情を無視する打算に、私のみならず檀家が傷ついていたこの時期に、会の存在を知ったことは心を豊かにしてくれました。
(20010901_ss42p18_KSawano)
■死は新しい世界への出発
(東京都北区 澤野 活夫)
『再生』という言葉のごとく、人の死は新しい世界への出発であると思
います。これまでのこの世での生は、その準備期間であったと思います。そして、本当の、現世からあの世へと続く永遠のいのちが存在すると考えています。現世の殻に固執する愚かさの1つが豪華な葬儀でしょう。社会的、人間的な財は無価値である。私は極端と思われるでしょうが、燃える火の力で骨まで全焼させて、天にのぼり、白雲の中に空のかなたに消えて行ってよいと思っています。死は人生の目標であり、この到達点から新しい生がうまれると信じています。
■楽しみは自然に還ること、私96才
(さいたま市 青木 寿)
入会した節はじきにお世話になると思っていましたが、丸4年がたち、いまだに生きているので自分ながら意外に思っています。しかし、96歳という年齢はあらそえず、心身ともに確実に衰えていくのを自分でもはっきりわかります。
痴呆の母を5年間看病して見送った経験を持っているので、あの筆舌に尽くせない苦労を家族にさせたくないと、「ぼけるのだけは神様お許しください」と毎日お願いして今日まで来ましたが、どうもそろそろあやしくなってきました。
若いころから続けてきた短歌や俳句も、耳が遠くなっては作って出すことはできても、批評を聞き取れませんし、もうやめる時が来たと思い、20年来続けた日本画も今年の秋で展覧会への出品も最後にしようと決めました。こうなると、もう楽しみは自然に還ることだけになりました。
(20020901_ss46p23_YHosokawa)
■1日1日を悔いなく生きる
(神奈川県座間市 細川八重子)
毎日を一生懸命生きている私です。健康がとりえです。主人は透析に入っ1年になりますが、今のところ安定期というか、毎月1回はリフレッシュ、ストレス解消のため1泊旅行で近くの箱根か熱海に行きます。 死をいつも見つめていますが、1日1日を悔いのない日と思い、思いやりと食べる楽しみに送っています。これも、備えあれば憂いなしのおかげだと思います。死後を息子に託し、安心して先のことを考えず、今日1日を大事に守っています。今のところ平常心でいられるのは、この会に入っているおかげかと思います。
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■9文字の戒名に150万円
(神奈川県逗子市 中村俊一)
私どもの寺の住職は東京の駒込と小石川で2ヶ寺を経営している生臭坊主です。昨年11月に死亡した妻の戒名を貰うのに、私が看病疲れで急性肺炎になったため、致し方なく長男と次男を寺を訪問させたところ、9文字の戒名に150万円、通夜と葬式の2日の手間で50万円、合計200万円を長男が前払いしてきました。
住職のあまりに傲慢な行為に怒り心頭に発して、私は病を押して坊主に言うだけのことは言い、私が死んでも「葬送の自由をすすめる会」で相模湾に散骨すると言って電話を切った次第です。通夜と葬式にはどこの坊主か、私の知らない人間がしかも別々に来て、参列した身内も驚きました。
また最近では3軒の石屋から鎌倉の寺に墓を造らないかと案内状が舞い込んで来ましたが、おそらく東京の生臭坊主が私どもの事を流して墓を造らせて手数料(?)でも、と一考しております。私は貴会にお世話になるので、彼ら坊主には何ら厄介にはなりません。
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■釈然としない思い
(札幌市 柳瀬義男)
先輩が亡くなられてから、もう4年になる。ゴルフ、スキーを愛した先輩は食道ガンで64歳の長くはない生涯を終えた。「もっともらしい話で金を巻き上げる坊主や葬儀屋に金をしぼり取られるなんてまっぴら」と前から話しておられ、ご家族も同意しておられた。
遺言通りにしようとすると、葬儀社の者が「そんな非常識なことはない。今後、親族も含めて一切面倒は見てやらないゾ」と言った。喪主を務めた長男は脅しに屈し、普通並の葬儀を行って済ませた。
日ごろ先輩の意見に同調していた小生は、何か釈然としない思いだった。後は遺言通りニセコ山の山頂近くに位牌を運び合掌した。先輩はどう思っておられるだろうか。
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■ロマンに満ちあふれた祭典
(東京都多摩市 大海 赫)
ぼくは昔「ウリリとフララ」という幼年童話を小学館の学習雑誌に載せたことがあります。ウニのウリリとクラゲのフララという、仲良しの女の子、男の子が海底探検をする楽しいお話です。が、フララというクラゲ、実はぼく自身でした。
ぼくは将来、自分の骨粉を海に撒かれたら、クラゲにでも変身するのかなナーなんて、愉快な夢を見ています。自然葬は決して悲しくて暗い、切ない葬儀ではありません。いやむしろロマンに満ちあふれたすばらしい祭典だと思います。こんな壮大な計画を実現してくださる会に心から感謝しています。
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■生きのびた者の苦悩
(函館市 小野彌生)
通る道、かよう道、一筋の道、運命の道、生まれて一人旅の道。茨の道には無数のトゲ。あらゆる苦悩の炎を私はなめました。人生の砂漠に焼かれながら、生きながらえている。今日という日は二度ない。生きて地獄の日々をたっぷりとなめた青春から今日まで、自由な天地に迎え入れてくれるまで。
嘘だらけの「ケンカ」に若者のいのちを野ざらしにして、生きのびた者の苦悩。生と死の境を幾度となく越えて、この世にいる苦しさは計り知れないない。7、8年前、ハバロフスク日本人墓地を訪ねた後、間もなく病に倒れた私は毎晩のように夢にうなされる日々。考えてみると、幾人かの友がシベリアの凍土に眠っているのです。
2年後、カムチャッカ半島に散った友の霊を弔う旅に出た。青い海原のベーリング海に花束と日本酒をそそぎ、生前音楽をこよなく愛した青年のために譜面を浮かべた。海鳥の舞う北の海、奇岩がそびえ立つ別天地に、船上で慟哭した。
散灰、散骨は願ってもない私の願望であり、路傍の石である私は路傍の人の手で生涯を終わりたいと願っています。
ひとときを誰と語らうセレナーデ メンデルスゾーンの雨の六月
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■相模灘にお嫁入り
(神奈川県茅ヶ崎市 山口恵美子)
この3月に古稀を迎えて時が慌ただしく過ぎて行きます。99年9月に特別合同自然葬で夫の遺灰を相模灘に鎮めて、やがて3年になります。
事前にテレビ東京からディレクターの来訪を受けた折りのこと、余談で「世界で一番愛してくれた夫が最後の眠り場所に選んだ相模灘に私はお嫁に参りたいと思います」と半ば冗談めいた話に「それいいですね。あさってカメラが来ますから、その言葉を言ってください」と、笑いながらおっしゃいました。「冗談です」と、手を左右に振り、打ち消す仕草をしたことを思い出します。
冗談ではなく、やっぱり私も夫のところにお嫁に行きます。嫁入り支度もほぼ出来ました。遺影は若いころのでいいのかしらと選んでいるところです。
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■死んだ人のおうち
(千葉県山武町 大羽邦英)
郊外の散策を楽しんでいた私たち一家。とある雑木林に、いくつも墓石が重なり合っていた。幾年かの風雨が石面の文字を消している。孫の質問に「昔、死んだ人のお墓だよ」と答えた。
「下のおほねはどうなるの」「そうだね、もう土になってしまっているだろうね」「ぼく、いやだよ」「どうしていやなの」「だって、お名前書いてる石が死んだ人のおうちでしょ。おうちがあんなになって、いやだろうな」
墓石や骨には霊はないという私の持論を孫を相手にしても仕方ないので、「そうだね」と答えておいた。今を去ること何十年か前、この場所に故人を埋め、墓石を建てた。いつのころか、訪れる人もなくなり、忘れられてしまってこのありさま。
結局、この美しい郊外の一隅を汚したことになってしまった。どんな美しい墓だって、長い年月の末には無縁仏になってしまった方が多いだろうと私は思う。大きく言えば、地球を汚しているのだ。
私はやがては海に還るべく、妙な話だが、その日が待ち遠しいぐらいだ。蒼く深い海の果て。死後の私はしばらく世界を旅していたい。そして、文字通り再生の日が来たら、中途半端に終わった人生のやり直しをしたいと思っている。
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■出生前の状態に戻ること
(長崎県佐世保市 小林和之)
貴会の自然葬の趣意に賛同し、93年末に会員になりました。74歳になって「この世よりあの世に知り合い多くなり」で、死生観についていろいろ考えさせられていますが、最近私は「死」は出生前の状態に戻ることだと理解すれば心は軽くなり、知り合いや友人にもこのことを話して共感を得ています。
私どもの世代は戦前戦中を肌身に感じ、いつも死を身近に体験してきました。空襲による学友の死、隣人の戦死・・等々を見聞きしながら、恥ずかしくも若さと無知のゆえか葬送の意義については深く考えることもありませんでした。
それがひろさちや氏の宗教についての著書を読んだり、『再生』の会報などにより自己啓蒙され、自然葬に理解を深めることができました。感謝しています。
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■きれいな体で献体を
(千葉県茂原市 萩原キヨ)
入会してから気持ちも落ち着いて毎日楽しく過ごしております。最後は大学に献体を納めることになっています。世の役に立つことができたら幸せになれるのではと若い時から自分で考えました。
今は神経障害がまだ完全には治らないようですが、血液検査の結果では異常ないとのこと。おかげさまで娘の所で精いっぱい家の中のお手伝いをして頑張っています。病気をしないように、体を傷つけないように、きれいな体で納めたいと願っています。
これからの人生も家族の皆に支えられながら、絵手紙の会、老人クラブの皆さんの仲間に入れていただきながら、元気で頑張ることができると思います。
(20020901_ss46p25_YKamada)
■子よ果たしませ海に還るを
(川崎市 釜田瑶子)
96年に入会を決める前、まだ元気だった今は亡き夫を説得して入会を誘いましたが、保守的な夫は沈黙したまま。結局は意思表示せず、ガンのため翌年亡くなりました。私としても強引に散骨はできませんでした。
今にして思えば、同じ場所で死後こそ仲むつまじい絆で結ばれるならば、夫も許すどころかむしろ喜んでくれただろうと思うと、悔やまれてなりません。そんな思いのせいもありますが、最近散骨の場面を一度経験してみたいと思うようになりました。
不謹慎で恐縮ですが、希望する会員2、3人ずつでも合同葬の現場を見学させていただくという企画を考えていただけないでしょうか。
わが願いわれに能わず亡き後は 子よ果たしませ海に還るを
親鸞の御法賜り読経する 亡夫(つま)の遺影に散骨を告ぐ
(20020901_ss46p25_KNakakama)
■不思議なえにし
(千葉県松戸市 中釜和子)
主人が亡くなる2年前にお世話になったヘルパーさんからこの度お電話をいただきました。ヘルパーさんのお父様も1昨年秋、この会を通じて散骨されたとのこと。今回の『再生』をお母様が見て気がつかれたそうです。
ヘルパーさんも主人が亡くなったことは耳にしていたのですが、まさか同じ会で散骨されたとは。「何か通じるものがあったのかしら」と、驚いて電話したとのことでした。主人もこの方にはとてもやさしくしていただいて、大変気に入っていた方でした。私も会にお世話になったことに何か喜びのような安心感が残りました。
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■年寄りの楽しくおかしい話
(名古屋市 茶原 淳)
私が死んで火葬炉から出てきた時、その焼けた「すがた」をカメラに収めておく。仏教の引導の代わりだ。火葬場へはほうきとちり取りを持って行き、できるだけきれいに二重のビニール袋に入れて持ち帰る。
用意した発泡スチロールの箱に骨を砕いて移し、土を入れて肥料をまぜて、その中に根付きのいい苗木を植える。約1年その中で育て、お天気の良い、皆の都合のいい日を選んで、中部山脈御嶽山の霊峰の眺めのいい山林の適当な場所に植える。
灰の混じった土は全部その辺に撒いて帰ること。近くには温泉も出て、民宿もあるから、湯につかって自然を味わい、楽しんで帰るように“年寄り”の話として時折している。でも人は忘れやすいから、時々楽しくおかしく語っている。
死んだらどうしようかと悩んでいるお年寄りの方も、頼める人に具体的に話をしておき、余生を楽しく少しでも人のためになって喜ばせてみる時を増やしたい。
■森なしで人は生きられない
(群馬県渋川市 大賀アサ)
お金ばかりかかってムリ、ムダの多い葬送の在り方に反発も疑問も感じていました。現在は元気で働く職場があるため経済的に自立した生活を送っていますが、この生活がはたして何年続くのか。生きている間はともかくとして、死後、子供2人の重荷になりたくないというのが私の願いです。
数多くの自由な葬送の具体例を知って、自分の葬送プランを練るのも楽しくなりました。葬送の自由を求める運動はまさに憲法13条の「個人の尊重、幸福追求の権利の尊重」という理念の具体化の運動です。
そして、この運動が東京都民の飲み水を守る運動から始まったことを知り、ますます感動しました。森がなくなれば水もなくなり、人は生きることはできません。「再生の森」基金で森を守る運動もすばらしいことだと思います。
■人それぞれに考えが
(東京都武蔵野市 黒石 恒)
私は20代から登山を始め、1974年にはネパールヒマラヤのマナスル(8,156m)に登頂した日本女性マナスル登山隊に参加しました。その時、1名の隊員が遭難し、いまだに行方不明です。登山終了後に山麓の僧院で仮葬儀を行い、マナスルの見える丘に遭難碑を建てました。
最近、地球の温暖化で氷河が溶け出し、遭難者の遺体が発見され出しました。その遺体をどう弔うか各登山隊にアンケート調査が行われましたが、人目につかないように氷雪に埋めておくというのが多く、遺体を山麓まで降ろして降ろして火葬にし、自国で埋葬する例は少なかったと聞きます。
もし私たちの隊の隊員の遺体が発見されたら、前者の方法が最良だと思います。マナスルに登ることに何年間か執念を燃やして行動した人ですから、終焉の場所が彼女の墓所にもっともふさわしいと考えるからです。
私自身がもう自分の葬送を考える年齢になり、自然葬を望んでいます。家族との話し合いも始めました。夫は自由にしたらいい、しかし自分は墓地に埋葬されることを望むから、自分が先に死んだらそうしてくれと言っております。人それぞれの考えですから、私もそうするつもりです。
■山林の肥料になりたい
(仙台市 八家 勇)
今までずっと気になっていた遺言書を書き上げてほっとした。私の死後、葬儀はせず、墓や仏壇はすべてつくらない。まず最初に大学の医学部に献体する。2、3年後に遺族に返される遺骨については、「葬送の自由をすすめる会」の会員番号、連絡先、処理方法を明記して自然葬にする。
自然に還るのはどこでもよいが、山村生まれのせいか山林の肥料になりたいと書いておいた。自然を守るためにも自然葬が最高で、これを望む人がどんどんふえていくのは間違いない。
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■ 「再生」を読むのが楽しみ
(静岡県沼津市 石川昭子)
平成6年春、私は胃の手術をうけて退院致しました。その後、家族のいない私は家事、庭仕事、猫の世話で毎日大変な思いをしておりました。NHKのテレビで毎日お昼に「百名山」が放映され、その美しい清らかなテーマ音楽に魅せられ涙をにじませておりました。素晴しい山なみや可憐な高山植物を目のあたり眺めているうちに山好きな私は今度又生まれ変わるのであれば高山植物になりたいとまで思うようになりました。
沢村貞子様の散骨のことが新聞にのり、またたびたび散骨の記事を読むようになりました。この虚弱な老体では夏のお盆や春秋のお彼岸等々、お寺の行事に参加することはとても無理と思いました。そして2年間、熟考の末お寺と別れる決心に至りました。父の7回忌に建立したお墓には、母も入っておりました。御住職様はよく決心がつきましたねと言われました。京都のお饅頭やお茶を頂いて快く送って下さいました。そして私はすぐこの会へ入れさせて頂いたのです。
早いものでもう6年になりますが、満足のまま「再生」のご本を開くことが楽しみの月日を送らせて頂いております。
(20030301_ss48p11_OKato)
■地球は生の根源
(東京都江戸川区 加藤治)
お釈迦様も、宇宙で最も不可思議な星であるこの地球に生まれました。私たちすべての生の根源が地球です。天命に従って現世を終えたものは、地球、その中心に還れてこそ再生することも可能になるのかも知れません。
葬送の自由をすすめる会は、将来多くの賛同者を広げてその組織化が計られる運命にあると思います。そう信じます。誰もが終末の現世を迎える宿命にあります。その時に生の原点に戻して貰らえるならば、万人不満を抱くものはないと思われます。
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■ 屋台骨の本会、しっかりしていこう
(沖縄県那覇市 仲宗根礼子)
(20030601_ss49p16_RTagami)会に入ったからといって変わったということはとくにありません。しかし、最後の場面、死に対しての心構えがほんの少し出来たのではないかと思っています。
葬儀に関してホームページで調べていたら自然葬を行っているという業者を見つけました。料金はかなりリーズナブルでした。本会が地道に行ってきたう運動の成果が、このようにして現れてきているのだと思います。屋台骨である本会が、ますますしっかりしていかねばならないと思います。
■葬送意識変わってきた
(栃木県宇都宮市 田上隆司)
入会して10年になります。最近、自然葬に対する意識はずい分変わってきたなと感じています。私の周囲の者を見ていますと、「自分は墓に葬られたいが、自然葬も一つのあり方」としている者が多いようです。私共夫婦に対して、少なくとも表面では受容的になってきています。こういう葬送意識の変化は、世間で広く起っている変化だろうと思います。葬送意識は、多分人間の意識の深層に結びついているものだけに、そこに変化を与えるということは、難事業だろうと思います。しかし、それをなさった会の御努力はたいへんなものだったと思っております。日ごろ敬意を抱いておりましたので、この機会に、感謝と敬意を表明させていただきます。
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■命の尊さしみじみ
(福岡県前原市 伊藤スエノ)
この度も又再生48号受取らせて戴きました。
命の尊さをしみじみと感じる今日此の頃です。昨日80回として誕生日を迎えさせて頂き不思議不思議の思いが重なって参ります。終戦日に北満の地で自害を免れて来、幾度死線を通過して来たことか。命のあることが不思議でなりません。その様な宿命にある私達早行動を共にして来た方々黄泉の世界に。残る者は数少なくなりました。
今日只今、頭のハッキリしている内にと向う10年の会費わずかばかりのカンパを送らせて頂きました。
命の終焉こればかりは日頃健康には気を付けてはおりましても何とも致し方のないこと若い者に迷惑をかけないようにと気を配ってはおりますけど、明日とも知れず10年以後とも知れず。折々にお便りさせて頂く気持ではおりますが何様季節を通過することも覚束なく年々枯れてゆく身、今日只今を無駄のない様生きて参りたいと存じております。
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■会に入り一層自信を持った
(北海道小樽市 田中幸子)
日々御世話になりまして誠に有難うございます。
第48号「再生」ありがとうございます。入会させて頂いて日は浅いのですが、この第48号が今迄にない貴重感がありました。私も及ばずながら仏教のサークルに入れて頂いていますが、今回の無着先生の御講話は、私が毎月読ませて頂ている月刊誌よりも充実感を感じ本当に有難く読ませて頂きました。
また、自然葬の体験を読ませて頂き人間としてこの地球丸の上で生かして頂いた以上自然葬は自然の法則にマッチしていて、この会に仲間入りさして頂いたことに尚一層の自信を持たせて頂きました。私自身肉親縁の薄い運命ですから、同じ志を持った人達が他界してもきっと行く先にも同じ志のお仲間がいらっしゃると楽しみも持てるようになりました。
自然葬を終えられた御家族を思い浮かべ?本当によかったねぇ?と独り言を云っていました。
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■会員と交流を深めたい
(京都市北区 北口二美子)
(20031201_ss51p34_SS)本会に入会して12年になろうとしています。つまりは、発足当初よりの会員ということのようです。まだ30代半ばで、葬送というものを制度的なもの、概念としかとらえられない頃でした。明確な意識をもって入会したものの、具体的、直接的な死とは距離があったせいか、まさしく幽霊会員そのものでした。送られて来る会報を何冊も留めることや、海外から戻って、ぶ厚い書簡の束の中に放置したままのこともありました。ただ、心の何処かに自身の最期に対し明白な答を持っているという安堵があったように思います。
今40代後半に差し掛かり、近しい人を見送る年令となって暫く、葬送は自身の最後と具体的に重なり合うようになって来ました。散骨、それは手段ではなく、死生観であること、今も共有出来る価値観なのだとあらためて認識すると共に、脱幽霊会員を目指し、他の会員の方々とも交流して行きたいと思っております。
■最高にうれしかったこと
(大阪府八尾市 S・S)
資料を読んだ後、迷うことなく決めました。自由で、おおらかで、それでいて節度ある会だと思います。少々事情ありの私にも違和感なくお願いできそうです。実は私にはここ10年来、付き合っている3歳年上の男性がいます。いろいろな事情で共に暮らすことは諦めています。でも、こういう自然葬なら楽しい夢が見ていられます。
そこで考えました。仮に彼のほうが私より先に逝った場合は、彼のお骨の1片を私の手元に届くよう、生前から配慮しておいてもらう。届いたお骨は私の死後、私の骨と一緒に納骨袋に納め、日本海に流してもらう。逆に私が先の場合は、彼と一緒の散骨は無理ですので、彼自身の手で私の骨を日本海に流してもらう。日本海には海の碧さと美しさにこだわっているのです。
このことと彼に資料を見せながら話しました。資料を一読した彼は、費用持ちで即座に承諾してくれました。最高にうれしかったです。この会にめぐり合ったおかげです。よろしくお願いします。
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■「寄稿特集」で不安も解消
(横浜市 古川寿子)
『再生』50号発行おめでとうございます。この13年間の安田会長はじめ皆様方のご活躍にはいつも感謝しつつ過ごしてまいりました。とともに私は、この「葬送の自由」が朝日新聞に掲載された時に、これこそ私の念じていた会と、すぐに会員にさせていただきましたが、やはりこの先どうなるのかという不安はありました。
しかし、『再生』の回を重ねるごとに不安は消えてまいりました。ただ、家族が果たして実行してくれるかどうか、そのこと1点の不安は残っていましたが、このたびの50号の「寄稿特集」を読ませていただき、その不安もなくなり、ただ今は世界の平和を祈りつつ、日を重ねています。会のますますのご発展をお祈りしております。
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■ 標準的な葬送費とは?
(群馬県前橋市 佐藤要三)
(20040901_ss54p46_KYoneyama)娘2人は嫁に出し、姓も変わって、佐藤家は私限りで途絶えることになりました。墓を設けても墓守りがいなくなり、いずれは無縁仏となってしまうことが予想されます。次女の勧めもあって会に入ることにしました。
入会する人は、貧乏人からお金持ちまでさまざまな経済的条件を持っていると思います。会費以外に、葬送を終えるまでどの程度の出費があるのか不安があります。葬送に要する標準的な必要経費を発表していただければありがたいと思います。
私は80歳間近の老夫婦で、年金生活をしています。財政的にはそう豊かではありません。従って、金銭的な協力はできません。いつ逝ってもよい年ですので、葬送費を予め用意しておかなければと考えています。
■将来必須のネットワーク
(愛知県刈谷市 米山 薫)
この度は会報53号でメーリングリスト(ML)の開始をお知らせいただき、ありがとうございました。小生、実はMLの何たるかをわきまえずに申し込みを行い、動き始めてやっとその実態が理解できるようになったうつけ者です。
7月2日現在で自分の発信したメールは14通になりますが、便りを出して応答をいただく、この充足感は格別です。ML自体も発足後の日が浅く、しかもMLの構成員になって日の浅い小生ですが、14通ほど発信した経験から、当MLのメリットを申し上げさせていただきます。
まずは?情報の即時性、次に?認識の共有性(皆で一緒に考えたり、意見を交わしあえます)。それと?連帯感を持てるということも見過ごすことができません。最後は?メディアとしての時代適合性でしょうか。以上の4つを具体的な事象で述べるならば、こうなると思います。
仮に「会」で皆の意見を急いで聞く必要のある事柄が発生したとします。これをMLに流して、意見を集約すれば、物理的にはほとんど時間を必要とはしません。全員が漏れることなく、全く同じ文面を瞬時に閲覧できて、その気になれば、即刻応答を返せます。
もしも疑問点があれば、公開の場で質すことができるわけですから、同じような疑問を持った複数の方はあらためて問い合わせる手間も省けますし、フリートークで気安く意見を出し合えます。フリーな立場を担保できていれば、そこから得る結論は貴重なものだと思います。郵便によるやりとりではこんなに素早く柔軟に対処できません。
メディアとしての将来性、有用性は言をまちません。これは今後の会の未来のために「資するところ大」と言うよりも、「将来必須のネットワーク」だと思います。短所はMLスタッフのAYA様に多大のお手数を煩わせているということです。
それとパソコン購入という設備費が発生すること、無理して買ったその機械を使いこなすまでに時間がかかること。そういった意味で、入り口が狭まっていることでしょうか。しかし、これもご時世ですから、ネット上で情報が行き交うという流れはますます加速することでしょう。
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■初めて総会に出席して
(千葉県浦安市 辻村聖子)
入会以来、初めて総会に出席させていただきました。参加の年齢層の幅が広いことにびっくりしました。お若い方も非常に関心が高いことを知りました。養老孟司先生のご講演は大学の解剖学という難しいご専門にもかかわらず、語り口はとても柔らかでユーモアに富み、わかりやすい具体的なお話でした。
とくに心に残ったお話は「以前、死は身近で起き、自分たちで野辺の送りをしていたが、今のように病院で亡くなり、業者によって葬られる現在では、死はとても遠くなってしまった。自分の死について悩んでも仕方がない。自分の死には実体がない。自分の死を自分で確認できるわけではない。今の自分が自分の死を考えても意味がない。自分にとって死はない。周囲の死をどう受け止めるかが問題だ」というくだりでした。
「葬送の自由」とは自分の死後、どう葬ってもらうかを考え、決めておくことと思っていました。しかし、講演を聴きながら、「葬送の自由」とはいま生きている自分が自分の生き方を考え、亡くなっていく方との付き合い方を考えることなのだ、と実感しました。今日という日を大切にしていきたいとあらためて考える一日でした。
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■人の心がわかる心
(埼玉県坂戸市 国吉美津子)
会員総会に先立って行われる養老先生の講演を楽しみに出席しました。人間の体は常に同じでなく、移り変わっている川の流れと同じである。変わらないのは一度言った言葉で、昔は約束事が守られていたから、世の中は混乱しなかった・・と。
今の世の中は、政治家を筆頭に約束は平気で反古にされて混乱しているので、年金や介護保険は一体どうなることか。また、意識について秩序と無秩序を対比して話されたのに、ひとつひとつ共感し、心の中でうなずきながら、時間の過ぎるのを忘れて聴いていました。
とくに、教養とは“人の心がわかる心”であると話されたことは、今も心に残っています。教養のある人がふえれば、争いもなくなり、平和な世界になると思います。誰もが行き着く死までの道程をどう生きたらよいか、考えさせられました。
(20040901_ss54p47_NN)
■死が怖くなくなった
(横浜市栄区 N・N)
横浜での『わらびのこう』上映会を夫と2人で見せていただき、自然葬相談会も話を聴いて帰ってきました。白血病の私は会員で、一応元気な夫は一般料金でした。映画は日本人としては腑に落ちる内容で、何より死が怖くなくなりました。
そんなことより、死にかけていてもやらねばならぬ事が沢山あるようですね。教えてもらいました。夫とよく話し合い、会員になってもらいます。ありがとうございました。