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出発点にもどり考えよう

出発点にもどって考えよう
―15周年記念事業の年を前に―みなさんからお知恵を

             本会会長  安田睦彦

 早いものです。1991年2月に発足した本会も、もう14年目に入りました。来年は15周年記念の年。1万人会員の知恵を結集して、多彩な記念事業を全国各地で開きたいと思っています。今年秋から、来年を中心に再来年春まで気長にやりましょう。

 記念事業については、期間中に新しく踏み出す長期的事業、また講演会、シンポジウムといった期間内の単発行事など、みなさんの活発なご提案をお待ちしています。この提案はハガキで。締め切りは3月末までに事務局あてにお願いします。

 ご提案を触発する意味で、最近感じていることを書いてみました。一言でいえば「出発点にもどって考えよう」ということです。

<結成大会の熱気>

 13年前、東京・飯田橋で開かれた会の結成大会には、500人を越える参加者が集まりました。会場に入り切れない人たちは、通路にまですわり込むほど。会場は活発な討論にわき、異様な熱気に包まれていました。

 そこには、旧い葬送習俗や、「死」の商業化に対する積年の反発と憤り、お墓に人々を押し込めてきた国家の介入を排して「葬送の自由」の扉をあけ、「自然葬」へ道を拓こうとする者たちの心の高ぶりが感じられました。

<自然葬の広がり>

 その後、会の運動が社会に受け入れられ、葬送の自由も自然葬も市民権を得たことはご承知の通りです。一般の方や業者、宗教関係者らの旧い葬送意識も、以前にくらべて驚くほど変わりました。

 一時、自然葬を規制しようという墓園協会や宗教関係者らの動きもありましたが、会は素早い抗議集会などで、その流れにストップをかけました。

 そうした運動の積み重ねのうえに、いま自然葬が自由に行われています。それを忘れて自然葬が終わったら退会という人もいます。会員のすそ野が広がってくれば、やむを得ないことかもしれないが・・・。

 散骨ビジネスも各地に生まれています。社会的合意や節度が必要などとむずかしいことをいう会に入らなくても、費用はよけいにかかろうと、散骨ビジネスを利用すればよいという人もいるでしょう。

 どのように葬ってほしいか。亡くなった人の願いを、残された者たちが大切にし、故人を悼む気持ちを自由に表現できる「葬送の自由」は、不断の努力がなければ成り立ちません。幸いにも、そうした高い意識をもった多くの会員によって会が支えられてきたことを、私は深く感謝するとともに誇りに思っています。

 葬送関係のNPO法人のなかにも、実体は営利目的といったのもあります。葬送の自由と自然葬をボランティアによる市民運動としてスタートした本会は、NPO法人化後も初心を守って愚直にすすめています。

 本会の存在意義は、今後さらに強まるでしょう。散骨ビジネスがふえているだけでなく「自然葬をすすめる会」などと会の名を騙るに等しいものまで出てきています。そうしたまぎらわしい団体との違いをもっと世にアピールせよ、といった会員の声も多い。そのためには、これまでの講演会、シンポジウム、意見交流会といった方法だけでなく、新聞に意見広告をのせるなどの新機軸を考えては、という提案も寄せられています。

<山と海>

 2004年1月1日現在の会で行った自然葬は、836回、1,449人。うち海が622回、1,125人で、山が191回、297人、その他が川や空、庭などとなっています。山での自然葬は海のざっと3割で、そのほとんどが会の持つ「再生の森」で行われています。

 もともと本会が自然葬を考えるきっかけになったのは、「再生の森」という構想でした。都市の墓不足を解消し、墓地開発による自然破壊を防ぐため墓をつくらず、遺灰を森に還す。その際に基金を積んで、荒廃した森の再生をはかるのがねらいです。

 本会がいま会員から借りるなどしている「再生の森」は、全国に11カ所、そこで自然葬をするごとに持ち主に森を守る維持管理費として1回につき5万円を出しています。

 全国の森林の3割を占める国有林も、いま荒れ放題です。「再生の森」として開放することができれば、国有林再生のきっかけになるでしょう。国に対してさらに強く訴え続けていきたい。

 昔から海に魚が集まるように、川の上流に森をつくる“魚つき林”の試みがありました。いまは“森は海の恋人”などとしゃれたいい回しをしています。その森に人も還れば、真に自然の輪廻につながる「再生の森」になるでしょう。

<対話と連帯>

 国内――尊厳死協会の専務理事を迎えて高齢化社会に共通の問題点について、昨年シンポジウムを開きました。今後も環境、森林、教育、宗教など会とつながる周縁団体と対話を広げ、連帯を強めていく必要があります。

 また、会員同士のきずなをつないできた“こころの旅”も、高齢者の多い会にふさわしい企画を出したい。きずなということでは、相談相手のいないお年寄りのために話をきく日を設けたら、というご意見もあります。

 国際――1991年10月に初の自然葬を相模灘で行った直後、中国・上海市の合同海上葬に会として30人ほどが参加しました。続いて翌年はブラジルの地球サミットで、1993年は北京国際葬送会議でそれぞれ自然葬を訴えました。最近は韓国の仏教連盟幹部から連帯の申し出があり、近く日韓の話し合いができそうです。

 また、本会の運動を研究しようというアメリカの若い学究がふえてきたのも、会にとっては励ましになっています。

 海外での会員の自然葬も、インドのガンジス川、中国の鴨緑江、揚子江、フランスのセーヌ川、ドイツのドナウ川、ギリシャのエーゲ海、アメリカのハワイ沖、東部山岳地、モンゴルのゴビ砂漠などに及んでいます。ほとんどのケースが、現地の方たちのご協力があってできたものです。

<見えない死>

 「山村の共同体で不文律の慣習として“うば捨て”が行われ、それに従って蕨野におもむいた老人たちの死にざまに心を打たれた」―映画『蕨野行』(村田喜代子原作、恩地日出夫監督)を見た高校生が感想をのべていました。

 現代の子どもたちにとって、肉親の死を間近に見ることはほとんどなくなった。核家族化がすすみ、祖父母と同居することも珍しくなったほか、病院での死が一般化したからです。

 小、中学生のいじめによる死、ホームレスなど弱者への集団暴行による殺人が多発しているのは、死が見えなくなっていることに一半の原因があるのではないでしょうか。子どもたちは、死を見つめることによって、生きることの大切さを知ることができるように思います。

 「死」を考えることが、いまの教育に欠けているようにみえます。小、中、高校で、あるいは地域で映画『蕨野行』を子どもたちに見せたい。親子で見る機会があってもよい。村田さんの同名の小説を読んでもらえたらなおいいでしょう。

<世の中を包む不安>

 21世紀は、平和の世紀と期待されました。しかし、2004年の初頭、世の中を取り巻く空気は13年前に比べて大きく変わりました。

 イラクへの自衛隊派遣をめぐって国論は分裂、新聞にも報道管制、戦時補償、名誉の戦死などといった前大戦で少年のころ目にした文字が躍るようになりました。

 海外でのテロ、宗教対立、民族紛争による殺し合い、国内では失業者増、凶悪犯罪、児童虐待、異常気象、地震災害、食物異変・・・世の中を包む不安の影は濃くなるばかりです。

 最近、仏教の本がよく売れているという。日々の暮らしに追われる庶民が、逃げ場のない不安におびえて、心の指針を仏教に求めているのではないか。仏教に限らず、あらゆる宗教の真価がいま問われています。

                 (’04.1.20記)


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