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国立墓苑構想

〜 国立墓苑構想も視野に〜

 「葬送の自由をすすめる会」の出発点には、もともと遺骨の処理についての疑問があった。焼いた遺骨をなぜ墓に入れなければならないのか。墓に入れないで自然に還す葬法がなぜ違法なのか。万葉の昔からあった散骨(自然葬)の伝統がなぜ消えたのか。それらの「なぜ」と向き合うことから, 11年前、この市民運動は始まったのである。

 日本人には独特の“遺骨信仰”がある、といわれる。ツボに死者の骨灰をうやうやしく保存する日本人の風習は、世界の奇習の一つという外国人学者(イギリスの歴史家ジョン・マクマナーズの「死と啓蒙」)すらいる。

 たしかに日本では戦後久しくなっても、遠くシベリアの地や南方の島々にまで戦死者の遺骨収集に出かけた。遺骨を持ち帰った遺族は「これで死者の霊も浮かばれる」ときまって言った。南の海には、幾十万の戦死者がまだ眠ったままでいるのに・・。

 最近でもアメリカの原潜に衝突されて沈んだ宇和島水産高校の練習船「えひめ丸」の遺族は、海底から船を引き揚げて遺体を回収することを強く希望した。国民もそれを当然のことと受けとめ、政府も強くアメリカに要請して実現させた。その沈没現場に近いハワイの真珠湾には、日本軍の奇襲攻撃で沈んだ戦艦「アリゾナ」が1000人を超える遺骸を抱いたまま記念館として保存されている。この二つの例は、両国民の持つ遺体、遺骨観念の違いを如実に示している。

 日本人が遺骨に強いこだわりを持つのは事実だが、それには矛盾した側面があるのも否定できない。

 お葬式が済んで納骨も終われば、遺骨のことなどほとんど忘れてしまう。朝晩、仏壇の位牌に手を合わせ、お盆やお彼岸には墓参りを欠かさない人でも、お墓参りのときに骨ツボをあけて泥にまみれたご先祖さまをきれいに洗う人はまずいない。日本人が拝んでいるのは遺骨ではなく、死者の霊の依代(よりしろ)である位牌や墓ではないのか。遺骨にさわるのも気味悪いという人もいれば、死者を愛するあまりたべてしまった人もいる。

 日本人の火葬率はいま99パーセントだが、「日本に火葬などはない。遺体を焼却するものの、その遺骨を墓に納骨している。すなわち遺骨の土葬をしているのであって火葬ではない」と言い切る儒教学者もいる。

 また民俗学者の柳田国男は戦前すでに「いまのまま墓を造り続けていたら日本中が墓だらけになってしまう」と為政者に警告している。

 いずれにしても、暗いお墓のなかに遺骨をしまい込んでおくことが、果たして死者を大切にすることになるのだろうか。死者を大切にする方法はほかにもたくさんあるはずである。日本人が長い間に養ってきた宗教心、亡き人をいとおしみ、先祖を敬う気持ちを素直に表現するためにも、遺骨をどう扱うかは改めて見直してみる必要がある。

 昨年、小泉首相の靖国神社公式参拝に韓中両国が反発したことから、戦没者追悼の国立墓苑構想が浮上した。これも“遺骨”にかかわってくる問題だ。政府の「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」も発足した。どんな議論がかわされるのか注目されるが、肝心なのは死者を「墓」に祀ることではなく、死者の声をきくことである。「墓」は生者の心の中に建てるべきものではないだろうか。

 本会はこれまで、葬送の自由という基本的権利の啓蒙と、自然葬の普及という実践活動を積み重ねてきた。会員も10000人を超え、海に山に自然葬の実施もこの春で650回, 1200人に迫っている。本会の運動が全国的に広がる一方、自然葬の形だけをまねた業者や一部宗教関係者らの自然葬・散骨ビジネスが各地で目立つようになった。

 こうしたなかで今回のシンポジウムが、21世紀における「日本人と遺骨」のさまざまなかかわり方をさぐる機会になれば幸いである。

運動の出発点となった安田会長の論文

 シンポジウム「日本人と遺骨」の参考資料の1つとして、葬送の自由をすすめる会の安田睦彦会長による『遺灰を海に山には違法か』を掲載します。この1990年9月24日の朝日新聞に掲載されたもので、遺骨や遺灰に対する日本人の考え方を歴史的に振り返るとともに、自然葬をすすめる市民運動のきっかけとなった論文です
都市はいま深刻な墓地不足だ。地価高騰で墓は山へと追い上げられ、環境破壊まで招いている。それでも一区画セット購入だと、三、四百万円はかかりる。単身者や子供のない夫婦は、世話する人がいなければ無縁墓になるから、と寺や霊園から敬遠される。そこまで苦労して墓を造る必要があるのか、遺灰は山か海にまいてほしい、と遺灰をまくのは違法込んだように報道される。
三年前の俳優、石原裕次郎の死に際し、兄の慎太郎代議士が密葬で、「海が好きだった弟の骨を太平洋に戻してやりたい」とあいさつしたが、実らなかった。遺骨を海に流すことはできないと、当局の考え方が伝えられたからだ。これをマスコミが大きく取り上げたこともあって、遺灰をまくのは違法という先入観が定着してしまった。

 本当にそうか。同代議士の言った弟の「骨」は、火葬後の遺骨、遺灰と同義で「墓地、埋葬等に関する法律」(墓埋法)にいう「焼骨」に当たる。同法では焼骨の「埋蔵」は都道府県知事の認めた墓地、「収蔵」は知事の認めた納骨堂以外では許されない、としている。だから埋蔵でも収蔵でもなく、遺灰を「まく」行為は同法の対象にならない。現に、焼骨を家に保存している地方もある。厚生省も「墓埋法は土葬と火葬が半々だった戦後混乱期の昭和二十三年にできた。勝手に土葬して伝染病のいま、遺灰をまくこと自体は同法に触れない」と言っている。

 刑法一九〇条の「死体遺棄罪」との絡みが指摘されることもある。しかし、同条にいう「遺骨」は、土葬を前提とした生の遺骨で、焼骨とは違う。焼骨=遺骨=遺灰を山や海へまくことが同条に触れるなら、遺灰の一部を火葬場に残してくる遺族や、産業廃棄物・ゴミとして遺灰を捨てる火葬場関係者は、それこそ同条違反だ。他に海洋汚染防止法など環境関係法に違反することを心配する声もあるが、高熱処理された遺灰は全く無害だ。海ならまき餌(え)の方が問題だし、山なら樹木の肥料、酸性雨対策になる。「墓埋法も死体遺棄罪も、もともと遺灰をまくという行為を予想しておらず、判例もない。裕次郎の遺灰を太平洋にまいたとしても結局、当局はだまっていただろう。

 沖縄の宮古島で八、九年前、夫人の遺灰を海にまいた医師がいたが、問題にならなかった」と法務省OBは話す。遺灰をまく「散骨」は古代からあった。仏教の影響で火葬が始まると、淳和天皇(平安朝)は「林野にまいて墓をつくるな」と遺言した。万清き山辺にまけば散りぬる」など、散骨をよんだ歌がある中世には親鸞が「加茂川の魚に与えよ」と言い残し、墓も造らなかった。庶民が墓をつくるようになったのは、檀家(だんか)制度が普及した江戸中期からで、それまでは遺体を山や海に捨てていた。明治三十年の伝染病予防法で火葬が広がり、一つの墓に何人も入る家族墓が一般化した。そんな中で自由民権論者の中江兆民は、遺言で遺体を解剖に付し、墓碑も建てなかった。欧米では今も土葬が主流だが、火葬がすすんでいるところでは、遺灰を山や海やバラ園などにまいている。今月死去したライシャワー元駐日米大使に遺灰も,遺言よって太平洋にまかれた。わが国は火葬先進国。墓も必需品ではなかったのに、誤った先入観で自ら葬送の自由を失っているのは残念である。


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