(20071201_ss67p02_MYasuda)

墓埋法を廃して葬送基本法を

舛添要一・厚労相どの
「墓埋法を廃して葬送基本法を」

(2007年12月の会長コラムより)

 年金不安や薬害肝炎など不祥事続出で頭の痛い舛添厚労相に、また1つ問題を投げかけるのは心苦しい。しかし、国民それぞれが最後をどう葬るかにかかわる大問題です。

 いま国民は、おもに2つの葬送方法を選んでいます。1つは墓(墳墓)に遺骨(焼骨)を納める墓地葬、もう1つは海、山など自然に遺灰(焼骨)を還す自然葬です。ところが葬送のための法律としては、厚労省所管の墓地埋葬等に関する法律(墓埋法)つまり墓地一辺倒の法律しかありません。

 ●違法といわれ墓に押し込められた人たち

 わが国で自然葬が市民権を得たのは、1991年10月、われわれ「葬送の自由をすすめる会」がそれまで違法とされてきた壁を破って相模灘で初めて自然葬を実施、厚生省(現・厚労省)、法務省もこれを追認してからのことです。

 壁というのは、たとえば東京都知事の石原慎太郎さんのケース、亡くなった弟の裕次郎さんを好きだった海に還してやりたいと思ったが、墓埋法違反の恐れがあるというのであきらめた。著名人から一般の人まで自然に還ることを願いながら違法だといわれて墓に押し込められた人は少なくありません。

 有識者を集めた東京都霊園問題調査会(1988年)が出した公的報告書でも「遺灰を海や山にまくという慰霊方法は現行法のもとでは禁じられており、現段階では不可能である」と断定しているぐらいです。まして一般の方がそう思い込むのも無理はないでしょう。

 では、石原慎太郎さんたちをしばりつけた違法という固定観念は、どこからきたのでしょうか。江戸中期の檀家制度から400年間の墓に入れる習慣と、遺体の埋葬、遺骨(焼骨)の埋蔵は墓地以外の区域で行ってはならない、とする墓埋法や、刑法の遺骨遺棄罪の規定とが結びついて「遺体、焼骨はすべて墓にいれなくてはならない。それ以外の葬法はすべて違法である」かのように思い込まれてきたのです。明治政府が国の精神的背骨として“墓”を尊重する先祖崇拝を国民に奨励したことも誤った固定観念を助長してきました。

 ●国民の3割が自然葬を望み、8割が是認

 本会がスタートしてから17年、会員も1万2000人を数え、国民の葬送意識も大きく変わりました。

 本会が実施した自然葬は外国の方も含めて12月初めでざっと1288回、2235人に上ります。ほかに散骨ビジネスの業者もふえています。また墓地方式の樹木葬、散骨方式の植樹葬など扱う寺院、民間団体も多彩です。近年は、個人で自由に自然葬をされるケースもふえているようです。一部業者の推定ですが、全国で年間110万人という死者のうち自然葬が1割を占めているのではないかとみています。最近の各種世論調査からみても、3割ほどの人が自然葬をしたいと望み、8割の人が自然葬を是認しているのですからあながち無理な数字でもありません。

 自然葬を望む人がふえてきた背景には、社会状況の大きな変化があります。

 カネばかりかかって心のこもらない古い葬送習俗への反発、家族制度の崩壊、少子化、核家族、高齢化社会がすすむなかで墓の守り手がいなくなり、墓が重荷となっています。さらに山を削り、森を伐って造られる墓地造成の自然環境破壊に対する反省などがあります。

 それにもかかわらず厚労省は、明治時代からの墓埋法を後生大事に守っているのです。本会には外国人留学生がよくきます。葬送に関心をもち勉強している人たちです。一様に驚くのは、日本人が火葬後の焼骨を墓に入れて拝んでいることです。生の遺体を墓にいれるのは公衆衛生上の必要としてわかる。しかし火葬後の焼骨はリン酸カルシウムで無害でしょう。家におこうと、ペンダントに入れて胸に飾ろうと、海山にまこうとそれぞれ自由にしていいのに、というわけです。それを墓に埋蔵するよう強制してきたのが墓埋法です。

 ●焼骨の処理は個人の自由に任せてほしい

墓埋法の歴史を振り返ってみると――

 1872年(明治5年)に自葬(神官、僧侶に依頼しない葬儀)を禁止した明治政府は、1884年(明治17年)に「信仰の自由」を求める内外からの圧力によって自葬禁止を撤回せざるを得ませんでした。

 その際の明治政府内務卿の口達は、自葬解禁と引き換えに「葬儀は喪主の信仰するところにまかせるが、墓地の取締り及び葬儀を執行する場所の如きはその取締規則によって適当の警察を施すべし」と取締規則の制定を求めています。同年の墓地及埋葬取締規則(いまの墓埋法の前身)がそれで墓地以外に遺体、遺骨を埋葬、埋蔵するのを禁じました。明治期までは全国的に多様な葬法が残っていたが、国家的取締りのなかで次第に消えていきました。

 こんども同じで、「自然葬は墓埋法の対象外である」としながらも、同法の基本的性格は変わらないから折に触れて“先祖返り”する。ときにびっくりするようなコメントが出てくるのです。散布した遺灰の上に少しでも土をかぶせたり、木の葉をかぶせるだけでも墓埋法の“埋蔵”に当たるなどというのがそれ。日本語能力を疑わせるような話をマスコミに流したりします。その話に乗ってつくった放送内容が問題になり、NHKが陳謝する騒ぎもありました。そんなことをいったのかと厚労省にただすと返事をしない。NHKに本当にしゃべっているから否定もできないのです。

 焼骨(遺灰)の処理については個人の自由にまかせればよいのです。もちろん節度が必要なのは当然のことです。多くの憲法学者の通説といってよいでしょう。

 ●自然葬を望む孤独老人への対応も必要

高齢の単身女性が死後のことを考えて、墓を建て戒名をもらうために食費も切りつめて貯金をしていた、ということが都の福祉相談員から報告されています。その高齢女性も自然葬を知ってからはツキが落ちたように暮らしを楽しんでいるようです。自然葬の普及をはかることは国の社会福祉政策の一環にもなります。

 本会は生活保護家庭の会員を無償で特別合同葬にしていますが、身寄りのない孤独老人で死後の葬送とその費用に悩んでいる人も多いようです。これからはますますふえるでしょう。そうした孤独老人については、管轄の市町村が1人当たり20万円前後の葬送費を負担しています。それが自然葬を望む孤独老人の死には適用されていません。明らかに“死”の差別です。国と地方自治体の早急な対応が望まれます。

●環境破壊に見てみぬふりする厚労省

 東京都の郊外、八王子市の丘陵地などでは山を削って造成された墓地群が目につきます。道路に沿って墓石業者が軒を並べ、寺院と組んで宗教法人の看板で霊園を経営しています。全国の墓地造成の“モデル”といえるでしょう。いまも墓地開発をめぐって自然環境の破壊を恐れる地元住民の反対運動が続発しています。一方で守り手がなく宙に浮いた墓石を山林などに不法投棄する事件がめだっています。厚労省は見てみぬふりです。

 厚労省が国民の多様化した価値観、宗教的感情に背を向けて、墓一辺倒の墓埋法になぜ固執し続けるのか疑念も出ています。

 特定の宗教寺院、墓石業者の利益を守っているのではないか。全日本墓園協会の理事長にこれまで厚労省の高官が天下りしてきたことなども官業癒着を指摘する声につながるのでしょう。

 こうした疑念を払うためにも、時代遅れの墓埋法の見直しは緊急課題です。墓地に納めるか、自然に還すか、その選択を公正に保障する「葬送の自由」を原則として「葬送基本法」をつくる時がきたと考えています。すでに戦前、民俗学の巨人、柳田国男は「このまま墓を造り続けていたら、日本中が墓だらけになってしまう。為政者はこころすべきだ」と警鐘を鳴らしています。舛添厚労相は柳田先輩の声をきく耳をお持ちの方だと信じています。

2007年12月1日

会長 安田睦彦