(20070901_MYasuda)

講演「鶴見和子と木下順二」

『鶴見和子と木下順二――葬送の自由と自然葬のいま』
2人の死生観など通し運動を考える

 葬送の自由をすすめる会
会長 安田睦彦

 いま全国を、各支部からの注文で「鶴見和子と木下順二――葬送の自由と自然葬」と題する講演をして回っています。1時間足らずから2時間まで、そのときの事情で話す時間は多少違いますが、幸い熱心にきいていただいています。

 私の全国講演行脚は和歌山を振り出しに、大阪、福岡、秋田、広島、仙台ときて、これから静岡、岡山、札幌、宜野湾(沖縄県)と、11月まで続きます。

 以下、東北支部の阿部みちよ支部長の協力で、7月14日に仙台市民集会で行った講演要旨をまとめました。

 

 昨年2人の著名人が亡くなり、ともに自然葬を選択されたことで話題になった。社会学者で上智大学名誉教授の鶴見和子さん(享年88歳)と「夕鶴」などで知られる劇作家の木下順二さん(享年92歳)である。2人の死生観、葬送観などを通して葬送の自由と自然葬のいま、を考えてみたい。

 

■2人の接点

 鶴見さんに「葬」という文章がある。その一節に「葬式をしないという葬式がある。木下さんのお母さまは熱心なキリスト者であられた。長い時間をかけて木下さんとお母さまが話しあわれて、葬式をしないという約束をされたそうだ。そして木下さんは大へんな努力をもってその約束を守られた。葬式をしないということが生きている者にとって、終わりなき死者の生命のあかしになるかもしれない」と書いている。

 それは木下さんが本会の会誌「再生」に寄せた「入会の弁」とぴったり符合する。

 「1972年、母を93歳で見送ったとき、私はこういう手紙を知友に送りました」「亡母と私とは、お互いそれぞれ、死後の儀式はすべてやめようと、何度も(第3者の前でも)話し合って約束しておりました。それはプロテスタントの母親が無宗教の息子に説得されたなどというには、その都度あまりに自然な合意であり、合意というより、各自それぞれの発想をもとにした一致だったと思います」

 そうした事情に従って「お知らせをお届けするのみにとどめ、通夜、葬儀、告別式など一切おこないません」「この手紙をお受けとり下さった方々が、一度だけしばらく故人のことを思って頂ければ、それが故人の最も喜ぶところ」とし、「香料そのほかも勝手ながら花一輪といえども御辞退申しあげます」と重ねてお願いされている。

 鶴見さんが木下さんからの手紙を受けとったのがきっかけで「葬」について考えをめぐらされたのは明らかであろう。鶴見さんも葬式をしない理由として「他人に迷惑をかけたくないから」といっている。

■ひっそり死

 葬式で他人に迷惑をかけないためには「死んだときに、死んだことを公表しないことが大切なのだ。しかし、自分はもういないのだから、発表しないことについて、自分で責任を持つことができない」と鶴見さんは書いている。

 木下さんの死は、1カ月間公表されなかった。木下さんの晩年を誠実に支えられた養女の木下とみ子さんをはじめ2、3人の関係者が木下さんの意志を守り抜こうと決意、口を割らなかったからである。外部からのいろいろな問い合わせに対していいつくろってこられたとみ子さんも、1カ月が限度だった。マスコミは“ひっそり死”などと呼ぶが、死をかくすのは有名人であればあるほど至難のわざなのである。

 最近の有名人で死をかくすことに成功したかどうかは別として、“ひっそり死”を望み話題になったのは、1996年夏に亡くなった本会顧問で女優の沢村貞子さん、またそれと前後して鶴見さん、木下さんとも友人であった政治学者の丸山真男さん、さらに“寅さん”の俳優渥美清さんらである。それより少し前には漫画家の長谷川まち子さん、作家の五味川純平さんらがいる。

 有名人に限らない、一般にもそれが広がっている。「故人の希望により葬儀告別式は行わない」という断り書きをつけた死亡記事が新聞には毎日載っている。

■死生観

「アニミズムを自分の哲学として選んだ人にふさわしい」と鶴見和子さんの自然葬を総括したのは、弟の哲学者である俊輔さんだ。和子さんも「あなたの宗教は何ですか」と問われるとためらわず「わたしはアニミストです」と答えている。

 アニミズムは一口でいえば万物には魂がある、という考え方。原始人にみられる信仰として軽視されていたが、最近になって地球環境の破壊に直面、改めて見直す風潮が強まってきている。それは本会の自然葬にも通じるものである。

 鶴見さんは、アニミズムの立場から「死の作法について考え始めたのは、1967年にインドに行ってベナレスのガンジス河の夜明けに立会ってから。男も女もそして牛もそこで水を浴び、祈りを唱える。同じ場所で死体が焼かれ、煙は天にのぼり、灰は河に流される。人間が自然とともにくらし、死んで自然に還るとはこういうことなのだと、はじめて納得した」と書いている。

 そういえば、いま評判の「千の風になって」もときに雪になり、鳥になり、星となる。アニミズムなのだ。

 木下さんはどうか。民話を題材に汚れない魂をうたった「夕鶴」から、戦争責任と人間のモラルを問いつめた「オットーと呼ばれる日本人」「沖縄」など、そして1978年の「子午線の祀り」で天の極みから人間の営みと運命をみつめる壮大な叙事詩劇を生み出す境地に到達された。

 源氏によって壇ノ浦に追い詰められ、「見るべきほどの事は見つ、今は自害せん」と鎧を2領身につけると海に入った平知盛(清盛の3男)。その最期をテーマにした「子午線の祀り」は、平家物語のエキスといってもよいだろう。木下さんは書いている。「見るべきほどのことは見つ」といった知盛は何をみたというのか。「自分を取巻いて起こったすべての人間の悲劇と喜劇、そしていま平家一門のこの最期、長いようで短かったこの33年間を、一瞬のうちに自分はみた」ということではないか。まさにそれが平家物語が語った全体であり、底に一貫する仏教的無常観である。

 木下さんは若いころはキリスト教に親しんだ人だが、後年になって仏教的無常観に傾いていたのではないか。本人は無宗教と称していたが……。

 余談だが、木下さんは自然な暮らし方が好きで、冷暖房など大きらい。私も同じで「夏はハダカで執筆しています」というと「ぼくも同じ」と笑っておられた。近年の自然環境の破壊には強く心を痛めていた。

■ガンジス河と自然葬違法論

「わたし自身についていえば、灰にして太平洋の海にまいてほしいのである。しかし、困ったことに日本では埋葬、焼骨の埋蔵は墓地以外の区域にこれを行ってはならない、という法律がある。これを破った者は罰金もしくは拘留刑になる。どのような理由による禁止なのか調べたい。生きているうちにこの法律が改められなければ、だれかに頼んでガンジス河までもっていって流してもらいたいとも思う」と鶴見さんは「葬」のなかで書いている。

 そこは木下さんも同じで「親友であったクリスチャンの哲学者、在仏の森有正が賛成して」ガンジス河に一緒に行って私の母の骨を流そうという約束をしていた。森さんの急死で果たせなかった。鶴見、木下の2人に限らず、遺灰を自然に還す葬法は違法と受けとめられていた。木下さんの英文学の師であった中野好夫さんが「周恩来が揚子江に還ったように私の骨も海に流してほしい」と望みながら顧問弁護士に認められずあきらめたのは有名。裕次郎を好きだった海にと願った石原慎太郎さんも同様に断念していた。

 日本ではなぜ違法なのか、理由を調べたいと書いた鶴見さんはさすがに鋭い。その後の1988年(昭和63年)に有識者を集めた東京都霊園問題調査会の報告書でも「墓地や霊園に埋葬するのではなく、遺骨を灰にして海や山にまくという慰霊方法は、現行法のもとでは禁じられており、現段階では不可能である」と断定しているくらいだ。

 鶴見さんの遺志をついで「自然葬は現行法でも可能であり、これまで日本では葬送の自由という基本的権利が奪われていた」と主張。市民運動として旗揚げしたのが本会である。1991年2月に会を結成、その年10月に初の自然葬を相模灘で行った。厚労省、法務省もこれを追認、日本で葬送の自由が初めて確立されたのである。

 2007年7月31日現在で会員数1万2000人、自然葬の実施は1235回、2140人になる。

 葬送の自由という啓発と自然葬という実践を両輪とする本会の運動の広がりは、世間の葬送意識を大きくかえた。と同時に、業者の散骨ビジネス、寺院などの墓形式の樹木葬、そのほか多様な葬送形態が生まれている。さらには、芥川賞作家の大庭みな子さんが、遺灰をアラスカの海にと遺言されたようにゆかりの大自然にそれぞれ自由に還りたいという思いは強まっており、実際に行われてもいる。新聞の投書欄、テレビのドラマなどにはそれが投影されている。

■自然葬の「鶴見型」と「木下型」

熊楠が生命(いのち)をかけて守りたる神島(かしま)の海に灰を流さむ

(鶴見和子・歌集『花道』)

 熊楠とは、紀州が生んだ世界的エコロジストで民俗学者でもあった南方熊楠である。鶴見さんは同名の本を書き毎日出版文化賞も受けている。研究の対象であり、敬愛してやまない熊楠ゆかりの紀州・神島の海に灰を流してほしいというのが鶴見さんの遺言であった。

 木下さんは「入会の弁」で書いている。「母の骨は未だに私の手許にあります。私と2人いっしょに流していただきたいと思います。ただしガンジス河は取り下げで、そのときの会のご都合により、他の方々との合同葬でも一向構いませんが、ただ何となく土よりは水、海でも川でもと思います」

 木下さんは海にまいても、山にまいても、つまりは自然の大きな循環の中に還るだけ。遺灰をまく場所は自然にもどる入り口にすぎないと考えていた。

 自然葬には、鶴見さん型と木下さん型の2つのタイプがある。

 鶴見さん型――親しんだ山小屋がある大雪山ろくの白樺の根っ子に眠った北大生、幼いころの思い出につながる故郷の網走の海にと望んだ連続射殺事件の犯人で獄中作家の永山則夫さん、生前の約束に従って自宅庭で妻の好きな湖のイメージを生かして自然葬をしたサラリーマン、心のつながる場所に一握り散骨をと提唱した宗教学者の山折哲雄さん……。

 木下さん型――「体調のすぐれない遺族のため足の便がよい」と東京・西多摩山系の再生の森を選んだ政治思想史家の藤田省三さん、「旅立ちは暑い日にさようなら」という美しいデザインのテレホンカードを用意して、医師の予告通り酷暑の夏に相模灘に旅立った映画監督の藤田敏八さん、「広い太平洋ならどこでも」と望んだ女優・熊谷真美さんのお母さま……。

■葬送観のみごとな一致

 鶴見さんの「葬」の結びの言葉や木下さんが日ごろ口にされていた言葉を並べてみると葬送観のみごとな一致におどろかされる。

 鶴見さん――自由に生きた者には、死ぬ作法もまた自由でありたい。

 木下さん――自由に生きた者として、死後も自由でありたい。

 まさに「葬送の自由」である。

 鶴見和子さんの弟で哲学者の俊輔さんは、自然葬に立ち合ったあと、「葬送の記」で「人間の葬儀は、やがてこの方向に向かうものと信じます」と書いている。

 私どもはこの言葉にはげまされて、市民運動の初心を忘れずがんばりたい。

 

・7月14日、仙台市民集会で行われた1時間40分にわたる安田会長の講演要旨です。要約で、記録不足があればお許し願いたい。   (東北支部長・阿部みちよ)