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エコロジカルな死に方を望んで
多谷千香子
旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)の判事として国際的な正義と人道の確立のために活躍している多谷千香子さんがこのたび、葬送の自由をすすめる会に入会しました。ICTYは旧ユーゴスラビアで起きた大量虐殺や民族浄化の名による迫害など「人道に対する罪」を訴追するために、1993年に国際連合の下に設立されました。
東京高検の検事だった多谷さんは2001年6月の国連総会でICTYの裁判官に選出された、日本人としては初の女性国際裁判官です。多谷さんに入会にあたっての所信とともに、複雑きわまりない旧ユーゴ情勢についてわかりやすく解説してもらいました。
ハーグの旧ユーゴ戦犯法廷に着任してから2年半になろうとしています。旧ユーゴは1991年夏から音をたてて崩れていきました。その過程で、オマルスカ収容所ではムスリム人が同胞の睾丸を噛み切って殺すよう強いられ、セルビア人地域に囲まれたムスリム人の飛び地スレヴレニツァでは、祖父が孫の肝臓を食べさせられ、ノーベル賞小説「ダリーナ橋」で名高いダリーナ川は死体で赤く染まるなど、耳を疑うような拷問や虐殺が繰り返されました。
なぜそのようなことが起こったのでしょうか。裁判から見えてくるのは、血で血を洗うバルカンの歴史が生んだ民族の怨念の再来などとして片付けられるものではありません。赴任前は、ボスニアというのは民族のモザイクで、第二次大戦でも殺し合いをし、歴史の怨念のようなものがあって、それが再び噴出したのが民族浄化だ、隣りの親しくしていたお兄さんが突然殺しにきた、といった話を聞いていました。しかし、それは違うと思います。
指導者たちの野望
それは、ごく簡単に言うと、民族の怨念は、過去のものとして眠っていたのに、それを呼び覚まさせて旧ユーゴ崩壊に導いた人間がいたのです。民族紛争を仕掛けた人間は、今でも指導者です。一番の指導者はミロシェビッチ元大統領ですが、彼は元々優秀でも、政治家として非常にエリートだったわけでもない。彼の指導者のスタンボリッチは、セルビアのエリートというか、叔父さんが大統領で、自分自身も立派な政治家で、順調に出世してセルビア大統領もやった人です。ミロシェビッチはこのスタンボリッチの地位を狙って、穏健派を追い出して自分が政権につくことを図り、いわばクーデターを起こすために、過激な民族主義を煽ったのです。はじめに仕掛けたのはコソヴォのアルバニア人排斥ですが、それがクロアチアに飛び火しました。ミロシェビッチに劣らず過激な民族主義者として知られるクロアチアのトウジマンは、ミロシェビッチの動きに呼応して、クロアチアの少数民族セルビア人の権利保障をないがしろにするような憲法改正を行いました。
これにセルビア人が反発して、クロアチア内戦に発展しました。その余波は、当然ボスニアにも来ましたが、ムスリム人のトップだったイゼトベゴビッチは、「イスラム宣言」の著書でも知られるように、ムスリムの国にするようなことを言い出し、セルビア人の不安と反発が生まれてボスニア内戦という旧ユーゴ崩壊のクライマックスを迎えたのです。
国土の分捕り合戦
当時の権力者は、危機を、このように、千載一遇のチャンスとして積極的に利用し、いずれも、他民族の攻撃から自民族を守ることを口実に、将来の自己の権力基盤の確立を目指して、「国土の分捕り合戦」を行いました。口実を真実だと信じさせるために使われた手段は、他民族がありもしない集団殺害を計画していると宣伝して、あたかも身に危険が差し迫っているかのような「現在の不安」、及び他民族に天下をとられて二級市民の悲哀をなめることになるかもしれないという「将来の不安」を煽ることでした。
しかし、加害者になったのは、一般民衆ではなく、暴力団や前科者の集団でした。彼らは略奪が公認され、追いだしが利益につながるために加害者になったのです。そして、デイトン合意の後、落ち着いてみたら、民族紛争を煽った人間は、セルビア人もムスリム人もクロアチア人も一緒になって大臣のポストを分け合っていました。 多くの一般市民は民族浄化は何だったのか、避けられなかったのだろうかと思っています。
もし、民族浄化を命じた権力者や実行部隊となった犯罪者集団が、権力や金銭的利益に対する執着を捨て、自然体の生き方を心得ていれば、民族浄化は避けられたかもしれません。私が「葬送の自由をすすめる会」に入会したのは、エコロジカルな死に方が自然体の生き方につながると思うからです。
多谷千香子:大阪外国語大学卒業。京都大学大学院人間環境学研究科修士課程終了。2001年より、フランスのトゥールーズ在